セス・シュルマン 『グラハム・ベル 空白の12日間の謎』2010/10/31



この本は出版社からいただきました。ありがとうございます。

英語の「telephone」はもともとはドイツ人、フィリップ・ライスが、1858年に電信線に沿って音を送信するのに成功し、その装置をギリシア語「遠い(tele)」と「音(phone)」を組み合わせて「telephone」と名付けたことから来ているそうです。

ということは、ベルが電話を発明したと言われていますが、彼の発明よりももっと前から電話の元祖が出来ていたことになりますね。

この本は、ベルが電話を最初に発明したとされているという通説に一石を投じるものです。

ベルと同じように発明家で有名なのがエジソンですが、この2人、1847年に12日違いで生まれたそうです。

エジソンはアメリカ生まれの短気な独学者。正式な教育は三カ月しか受けていません。特許数1093件(本書による)。

一方、ベルはイギリス、エジンバラに生まれます。父方の祖父は演説法を教えており、父は「視話法」を考案した大学教授です。彼はロンドン大学ユニバーシティカレッジで学び、後にボストン大学で教鞭をとっています。女性の権利拡大や国民参政権などの運動を支援し、聴覚障がい者教育に取り組んでいます。

祖父の影響かベルは話し方の能力に優れ、その上音楽の才能もありました。彼の母エリザは補聴器を使っていましたが、その彼女のためにピアノを弾いてあげるような優しさもありました。

「暖かさと博識、新しいものすべてに対する不当にも思える情熱」に周りの人々は好感を持つというような、人格的にもすばらしい人だったようです。

ベル一家は1870年に祖父と兄弟2人の死が続き、生き残った息子の健康を守るためにアメリカに渡ります。

ベルが電話を発明されたと言われているのが1876年3月10日。

著者のセス・ジュルマンは偶然見たベルの研究ノートから、ベルが本当に電話を発明した最初の人であるのかという疑問を持つようになります。

ノートの記述によると、ベルは2月24日に一旦実験を打ち切り、3月8日に再開し、10日に電話の実験に成功しています。この空白の12日間に、今までとは違った「送信機部分で針を液体に浸ける」という発想が出てくるのです。

ベルと同じ頃、同じ実験をしていた人がいました。イライシャ・グレイです。ベルとグレイは同じ日に発明特許保護願いを提出していましたが、ベルの方が早く提出していたことになっています。驚いたことに、ジェルマンが見たグレイの特許保護願いの文書には、ベルの研究ノートに描いてあった図と同じ図が描いてあったのです。

ベルはグレイの発明を盗んだのではないのか?

こういう疑惑がジェルマンの心に浮かび、調べていくと、次々と新しい事実が出てきます。その一つが、ベルの教え子で裕福な家庭で育った聴覚障がい者のメイベル・ハバートの存在です。彼女の父親はベルの研究に興味を持ち、資金援助をしています。ベルはメイベルを愛し、後に幸せな結婚をしています。ハバートの存在がベルに影響を与えなかったか?

ミステリーではないのですが、ミステリーを読んでいるような感じです。

一人の人の人生が色々なことにより狂うこともあるんですね。ベルは電話の発明者として有名になるよりは、聴覚障がい者の教育者として静かに生きていきたかったのではないでしょうか。

すべては愛のために、かな。

あまりこういう本を読まない私にでも興味の持てる内容の本でした。