原田マハ 『たゆたえども沈まず』 ― 2018/10/14
近所に建った一戸建ての家を冷やかしに見に行ったら、あまりのお値段の高さにびっくりしました。
オリンピック前だから土地の値段が上がっているのかしらねぇ。
画家のゴッホの弟・テオと日本人画商との交流を描いた作品です。
19世紀末、パリではジャポニズムが流行っていました。
その頃、パリで画商をやっていたのが林忠正とその助手の重吉。
彼らはパリの「グービル商会」で働いているテオと親交を結び、浮世絵を愛してやまない兄のフィンセントとテオに優先的に浮世絵を売っていました。
テオは兄・フィンセントを自らの半身とまで思い、金銭的な援助を惜しまなかったですが、何事にも型破りな兄に悩まされていました。
テオの苦悩と葛藤がよく描かれていたと思います。
林たちとテオが交流を持ったという記録はないそうですが、あっても不思議はないでしょうね。
オランダのゴッホ美術館でアーモンドの花を描いた絵を見て、その美しさに感動したことを思い出しました。
この絵(↓)はテオの子どもが生まれた時にフィンセントがプレゼントしたものだそうです。
生き生きと花が描かれた絵で、フィンセントの喜びがよくわかる絵ですね。
ゴッホが日本を愛したように、日本人もゴッホの絵を愛していますよね。
もしゴッホが日本に来ていたら、どんな絵を描いたでしょうか。
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