「ラビング 愛という名前のふたり』を観る2021/03/20

今週は天気が悪いので、花見は来週にすることにしました。
満開だといいのですが。


(ネタバレあり)

ミルドレッドは恋人のリチャード・ラビングに妊娠を告げます。
喜んだリチャードはミルドレッドに結婚を申し込みますが、周りは同棲で良いだろうと言います。
それはミルドレッドが黒人で、リチャードが白人だからです。
1958年バージニア州では異人種間の結婚は法律で認められていませんでした。
リチャードとミルドレッドは、ミルドレッドの父親の車で異人種間の結婚が認められているワシントンD.C.に行き結婚し、地元で一緒に暮らし始めます。

しかしある夜、保安官が来て二人は留置所に入れられてしまいます。
次の日の朝、リチャードは保釈されますが、ミルドレッドは留置所にとどめ置かれます。
リチャードはミルドレッドを連れて帰ろうと留置所に行きますが、追い出され、保安官に彼女の家族を呼べと言われます。
「この町は人種が混ざっている。自然に反している。俺は白人と黒人の結婚はみのがさない。神の掟だ。自然の理だ。月曜にお前が来たら逮捕する」とまで言われてしまいます。
ミルドレッドは月曜日に父親が保釈金を払ったので、留置所から出られました。
一緒に暮らしていると再逮捕されてしまうので、リチャードはそこに暮らしていないフリをし、夜中にこっそりと忍び込むことにします。

弁護士は司法取引をし、婚姻関係を解消しないと25年間の州外退去、実刑なら1年間の刑務所暮らしということになりました。
二人はワシントン州に行き、知り合いの家にやっかいになることにします。姉と別れがたい妹にリチャードは違法だと知っていてなんで結婚したんだとなじられます。
しばらくしてミルドレッドが産婆をしているリチャードの母親のところで子供を産みたいと言ったので、リチャードは夜の闇に紛れてミルドレッドをこっそりと母の家に連れて行きます。
ミルドレッドは無事に男の子を産みますが、母はこの結婚は間違いだとリチャードを非難しました。
しばらくするとまた保安官がやってきて、二人を連行しますが、弁護士が出産時に一時帰郷できると言った自分のミスだと言ったので、情状酌量となります。

ある日、ワシントン大行進がテレビで流れていました。
それを見たローラおばさんがミルドレッドにケネディ司法長官に手紙を出してみたらと言います。
ミルドレッドは手紙を書いて出すことにします。
少し経ってからバーナード・コーエンというアメリカ自由人権協会(ACLU)の弁護士から電話が来ます。
ケネディがミルドレッドの手紙をACLUに回したのでした。
コーエンは二人にキャロライン郡裁判所に判決の不服申し立てをすることを勧め、控訴期限は判決後60日まで、判決から5年が経っているので、二人にキャロライン郡に戻り、再逮捕されるようにして欲しい頼みます。裁判を起こす気のなかったリチャードは断ります。
そのためコーエンは別の案を考えることにします。

ミルドレッドは都会に子どもたちの遊び場がないことが気にかかっていました。
とうとう息子が車に轢かれそうになり、二人は密かにヴァージニア州に戻って、畑の中の一軒屋で暮らすことにします。

その頃、コーエンは人権弁護士のハーシュコプの助けを得ることになります。
ハーシュコプは、このケースが異人種間結婚禁止法を廃止する糸口になるというコーエンに、様々なアドバイスを与えます。
ミルドレッドたちはコーエンの指示でライフ誌のインタビューやテレビの取材を受けていきます。

裁判は、郡裁判で訴えが棄却されたため、州裁判所に上訴できることになり、州裁で敗訴すれば、最高裁に持ち込むことができます。
裁判が注目されたため、リチャードは様々な嫌がらせを受けたり、冷たくされたりしましたが、ミルドレッドとは別れようとはしませんでした。
ミルドレッドはたとえリチャードから言われても、裁判を諦めようとはしませんでした。
彼らの望みはただ自分たちの結婚が社会的に認められることだけなのです。なぜなら愛し合っているから。

最高裁に上告が受理されました。
1967年6月12日、最高裁はすべての異人種間結婚禁止法を違憲としました。

夫のリチャードは無口でぶっきらぼうなので、損をしていますが、妻を愛する気持ちだけは間違いありません。もっと弁護士たちを信用してもいいのにと思いましたけど、笑。
ミルドレッドはそんな夫に寄り添いながら、出しゃばらずに、でもしっかりと自分たちのことが認められるように、弁護士たちのアドバイスを聞き入れて頑張っていました。これこそ賢妻です。
彼女が諦めなかったからこそ、裁判で勝訴を勝ち取れたのでしょうね。
ポスターが二人の関係をよく表しています。
実際のラビング夫妻もこんな感じだったのでしょうね。

アメリカに1960年代まで異人種間結婚が禁じられていた州があったなんてと思いましたが、『グリーン・ブック』も60年代のことですものね…。
今はアジア系住民に対する暴力事件が大きく報道されていますが、人種問題って根深いものがありますね。