朝井まかて 『グロリアソサエテ』2026/01/10



大正十三年(1924年)、サチは昨年の地震の後、京都に居を移していた宗教哲学者、柳宗悦(1889-1961)の家で女中として働き始める。
サチは東京で生まれ育ったが、地震で父を亡くし、兄の勧めで大阪の遠縁の家に避難したが、京都の家で女中を求めていると追い出され、奉公先が決まるまで出町柳の八百久で居候をさせてもらっていた。
柳家は八百久から紹介された。

柳家には声楽家の奥様、兼子と子どもが二人、そしてばあやがいる。
時にばあやにいけずをされるが、奥様や子どもたちは優しく、柳家はサチには居心地のいい家だ。

柳家の家計はすべて兼子の稼ぎによりまかなわれている。
柳は好き勝手に金を使うばかりで、金を稼ごうとはしない。
その上、家ではいつも不機嫌で黙っている。
兼子がやっと留学費を貯め、ドイツに行きたいと言っても、反対するばかりで、兼子のことを「エゴイスト」だとまで言う。
兼子は女性たることと芸術家たることを両立したかったのだ。

柳宗悦の家には陶芸家の河井寛次郎や英国帰りの陶芸家の濱田庄司たちが訪れ、共に小道具市を巡り、「下手物」を買い、日用の品に美を見出していた。
彼らはそれらを後に「民藝」と名付ける。
サチはそんな彼らを身近で見守るが…。

このお話では1924年から1937年までのことが描かれています。
柳は1924年から木喰仏の調査を行い、1925年から「民藝」の言葉を使い、1926年に「日本民藝美術館設立趣意書」を発表、1934年に日本民藝協会設立、1936年に東京駒場に日本民藝館を創設し、柳は初代館長になります。
その後、この本に関係することでは、沖縄への工芸調査とそれにともなう方言論争などの活動をしたそうです。

私は柳宗悦よりも兼子(1892-1984)の方が気になりました。
兼子は凄いですよ。スーパーウーマンです。
柳と兼子は恋愛結婚で、声楽を続けることを条件に結婚したそうです。
彼女の声楽でお金が稼げると思っていたのかどうかはわかりませんが、柳の民藝運動の大きな助けになったことは確かです。
他の有名人の伝記などを読むと、柳だけを責めることができません。
この頃は何かを成し遂げるためには男は家庭を犠牲にし、金のような下賤なものなんかには構わず、大義のために戦うべきだという感じですものね。
兼子はお金のためもあるんですが、様々な場所でリサイタルを行い、夫の反対にもかかわらずドイツに留学し、ベルリンではドイツ人を驚愕させるほどのリート歌手だと言われながらも日本に戻り、夫を支え続けます。
戦中は軍歌を歌うことを拒否し、1961年に柳が死んでからも歌い続け、85歳まで公式のリサイタルを行い、92歳で亡くなる二カ月前まで後進の指導をしていたんですって。
やっと80歳になって歌が歌えたなという気がする。長生きしてよかったと思うというようなことを言ったそうです。
ひょっとして柳が亡くなってからの方が歌に集中できてよかったかもしれませんねぇww。

この本はサチの視点から書かれていますが、兼子の視点から書かれていたら、どんなになっていたでしょうね。
読んでみたかったです。
もしよろしければ、どなたか、兼子のことを書いてくれないでしょうか。

サチの隠された身の上が意外なものでしたが、最後に幸せになりそうな感じで終わっていたのでよかったです。
面白く読めましたけど、どことなく現実感のない柳家のことよりも、柳兼子のことが知りたいと思いましたけどねww。