門井慶喜 『夫を亡くして 北村透谷の妻・ミナ』2026/04/08

朝日新聞の連載小説。
名前は知っているけれど、どんな作品を書いたかわからない(私だけ?)北村透谷ですが、彼の妻のミナが主人公のお話です。
ミナは石阪美那、石坂美那子、北村美那、北村ミナと文献によっていろいろと表記が違うようです。


石阪ミナは慶應元年(1865年)に武蔵国多摩郡野津田村の豪農の家に生まれた。
そのため暮らしには困らず、食べたいものを食べ、着たいものを着て、家事などする必要もなかった。
そのかわり、ミナは本を読んだ。漢籍の四書五経を。
ミナの父親・石阪昌孝は自由民権運動に加わり、後に神奈川県会議員や群馬県知事を務めた人で、これからは女にも教養が必要だと考えていたので、ミナの読書に寛容だった。
こういう環境で自然とミナは勉強好きになる。

ミナは十三歳で日尾直子門下の竹影女塾に入り、和漢学を学ぶ。
ここで助教になり、ミナは教えることの楽しさを知る。
直子に気に入られ、養子となるが、英語を学びたいという思いから関係を解消し、復籍し、共立女学校に入学する。
はじめての夏休みに帰省した時に父に許嫁として平野友輔を紹介され、そしてミナの弟の公歴から勧められて家に来ていた北村門太郎(北村透谷)と出会う。

明治二十年(1887年)七月、ミナは共学女子学校の皇漢学科を卒業し、九月から英語科へ入学することになっていた。
いつもは実家に帰るのだが、父から本郷竜岡町にある別邸を見に行って欲しいと頼まれ、ミナは竜岡町の家に行き、透谷と再会する。
初対面の時は暗い男としか印象がなかったのだが、今回、北村は多弁でミナとの会話が弾んだ。

その一年後、再度、竜岡町の家で密かに再会したミナと透谷の前に許嫁の平野が現れる。
結局、平野からの申し出により破談となり、ミナと透谷は結婚するが、結婚式には親兄弟は来なかった。
ミナは京橋区弥左衛門町で北村の家族と同居する。

透谷は『楚囚之歌』(1889年、詩集)や『蓬菜曲』(1891年、詩集)などを自費出版しながら雑誌などに寄稿(「厭世詩家と女性」(1892年評論)など)し、その傍ら、翻訳や外国人の通訳をしながら普連士女学校の教師などをして生計を立てた。
一方、娘・英子が生まれてからのミナは普通の主婦になっていた。

しかし、そんな生活も長くは続かず、やがて透谷はひどくふさぐようになり、仕事もしなくなった。
そんな時に徳富蘇峰からアメリカの思想家ラルフ・W・エマソンの評伝を書く依頼が来る。
透谷は三ヶ月ほどで書きあげるが、その四日後、自殺未遂を起こす。
透谷の退院後、ミナが原稿を読んでみると、なんと、全文、意味不明。
困ったミナは島崎藤村に原稿を整えることを頼む。
三カ月後、「十二文豪」シリーズの第六巻として刊行される。
が、その四日後、透谷は自宅の庭で縊死する。

(北村に奇行や虚言、妄想や幻覚が見られ、最晩年の明治26年(1893年)には双極性障害による統合失調様症状に陥っていたようですが、公的な診断記録はないようです)

透谷とミナの結婚生活は5年と数カ月で終わる。
その後のミナは娘を透谷の母に預け、住み込みでウッドワースという宣教師の妻の姉に日本語を教えつつ、身のまわりの世話をした。
五年後、ウッドワースが帰米するときに、ミナは彼から一緒にアメリカに行き、大学に入らないかと勧められる。
ミナの英語教師としての道が開ける機会がやって来たのだ。

この後、アメリカでのミナの様子は全く書かれていません。
アメリカの大学を卒業し、日本に帰国した後の英語教師のミナが描かれています。

北村透谷は25歳という若さで亡くなっていたのですね。
名前だけが先行して、何をしたのかがさっぱり私にはわかりません(恥)。
こんなに有名になったのは島崎藤村たちのおかげですかね。
「恋愛至上主義」を提唱したらしいです。
この本には書かれていませんが、透谷にはミナと結婚生活を続けていながらも他に思いを寄せる人がいたようです。
若くで結婚し、家族を養わなければならなく、ミナからお金のことでせっつかれ、ミナも家庭生活も嫌になっていたのでしょうかね。
小説では透谷に「恋愛なき結婚など、この世にはありえないのです」などと言わせていますが、恋愛至上主義者なら結婚はしない方がいいと思いますけどww。

ミナはとてもバイタリティーのある女性で、普通の家庭にはおさまらない方です。
家庭に生きるというより、仕事に生きる人という感じです。
娘を義母に預け、外国人の家庭に住み込み、アメリカに留学したりと、彼女は自由に行動します。
誰も彼女を止める人はいないのです。恵まれています。
娘との関係は微妙ですが、それは仕方のないこと。
この本はミナの英語教師としての公的なことがほぼ書いてあるので、私生活で彼女がどのような生活を送り、何を思って暮らしていたのかがわかりません。
ひょっとして、未来だけを見据え、過去や現在にあまり思い悩んだりしない人だったりして。
わたしは「透谷の妻ではない。ただのミナよ」とサラッと言えるんですから。
だから読んでいてミナの性格に深みが感じられなかったのかもしれませんね。
父親の昌孝がミナについてこう言っています。

「いつも遠い未来を見ている。そうしていつか、たどり着けると信じている。そんな光がきらきらしているんだ。私はそれを見るていると、危なっかしいと思いつつも、何だかこっちまで若返るような気になるんだよ」
「未来のお裾分けをしてもらったような、と言ったらいいかな」

英語教育といえば津田梅子がでてきますが、調べてみると津田梅子は1864年生まれでミナは1865年生まれですので同年代です。
二人に接点がなかったのが残念です。
対談したら、どのような話をしたのでしょうね。

(参考:「よく学び、長く教えた北村美那」女子学院JGニュース」

コメント

_ ろき ― 2026/04/08 22時31分53秒

北村透谷を青空文庫で見てみたら、文語体で格調高く難しい文章。そのうち読もう。

ミナさんは全然知りませんでした。聡明だし活力ある女性で、頼もしいですね。
夫の死は悲しかったでしょうが、おかげで活躍の道が開けたのかも。

_ coco ― 2026/04/09 06時51分59秒

透谷は藤村が傾倒した人ですからそれなりの文才があった人なのでしょうね。でも精神が壊れたら、どうしようもありません。惜しい方でした。

ミナさんはものすごいヴァイタリティーの人です。心身共に健康で強い人だったのでしょうね。透谷は勝てませんわww 。
娘さんは後を継ぎ、女子学院で教師になったそうです。

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