白川優子 『紛争地の看護師』2019/05/04



「国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)」を知っていますか。
1971年に設立し、1992年に日本事務局が発足したそうです。
1999年にノーベル平和賞を受賞したことで知った人が多いかもしれません。

この本を書いた白川さんは7歳の頃、テレビのドキュメンタリーで国境なき医師団のことを知ったそうです。
商業高校に入学し、3年生になり進路をなかなか決められなかった時に、クラスメートの一人が看護師になるために頑張っていると言ったのを聞き、自分も看護師になりたかったんだと気づきます。
7歳の時の埋もれていた記憶がこの時によみがえったのかもしれませんね。
その後、定時制の看護学校に入学し、半日を医療機関で勤務、半日を看護学校で勉強するという生活を四年間行い、看護師の資格を取りました。
看護師になった後は外科で経験を積んでいましたが、国境なき医師団がノーベル平和賞を取ったことを聞き、すぐに自分も参加しようとスタッフの募集説明会に行きます。
しかし、英語(またはフランス語)ができないことに気づき現実の厳しさを思い知ります。
ここで諦めたら終わりですが、白川さんは英会話学校に通い始めます。
でも、英会話学校の英語では医療活動を行うことは不可能です。
悩んでいる彼女に母親は後悔しないように今行動を起こすようにと言います。
それからの白川さんは留学資金を貯めるために産婦人科に転職し、資金を貯め、
2003年にオーストラリアのメルボルンに語学入学をし、2004年に大学に入学、
2006年に晴れてオーストラリアの看護師資格を取得します。
オーストラリアの病院で働いた後、MFSに入るために2010年に日本に帰国。
彼女は37歳になっており、初の派遣は内戦終結直後のスリランカでした。

紛争地では理想の医療などできません。
限りのある薬剤や物資、人材、設備ですが、その限界下で最善を尽くした医療を患者に提供することが求められていると白川さんは言います。
たとえそれが患者の手を握り続けていることであろうと。
その根底には「国、国籍、人種を越えた、同じ人間としての思い」があるのです。

本としては派遣された場所の羅列っぽいところが多くて、チョット残念でした。
彼女のようなことはできないけれど、でも何かできないか考えさせられます。


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