廣中邦充 『見えない虐待』2007/01/31

愛知県の西居院というお寺の住職でやんちゃ和尚と言われている人のことを知っていますか?
彼の写真が載っていないので、推測するだけですが、多分テレビの6時台のニュースで、彼のことが何回か放送されていたと思います。
子供が不登校で困っていたり、ついつい子供を虐待してしまう親や親にネグレクトされている子供に気づいた教師など、いろいろな人たちが、このやんちゃ和尚のところに連絡してきます。
子供が悪くなるのは、100%親のせい、200%母親のせい、と和尚は言いきります。(母親が200%はちょっと過激かなとも思いますがね)
夫婦の関係が上手くいっていれば、子供は落ち着いているのですが、少しでもひずみがあると、子供に出てしまうと言います。
彼のすごいところは、口で示すのではなく、行動するところです。
呼ばれると、すぐに会いに行くのです。このフットワークの軽さには驚きます。
今の家庭の問題は、内にこもってしまうということです。
外に開かれていないため、何か問題があると、それが外に漏れず、関係している人にも救いがなく、大きな問題になってしまうのです。
彼は心を閉ざした子供を引き取り、集団生活をさせます。
必要ならば、親の仕事を捜してやり、親子一緒に寺で暮らさせたりもしているのです。
寺の生活では、食べ物は好きなだけ、いつでも食べていいことになっています。
ただし、自分の部屋に引きこもるのは禁止です。
どんな子も、和尚さんの家にくると、3日で学校に通い始めるといいます。

ドキッとしたのは、ワーキングマザーの話です。
子供を育てながら、仕事の手を抜かず、頑張っているお母さんだったのですが、子供が不登校になってしまいます。
そのせいで、夫婦のケンカが絶えなくなります。
夫は口達者な妻にやりこめられ、手が出るようなってしまい、夫婦仲は最悪になり、子供は不登校のまま。
そういうなかで、子供が和尚さんのことをテレビで見て、ここに行きたいと言い出しました。
和尚は子供に寺に来ないかと誘います。
寺に来た子供は他の子とコミュニケーションが上手くいかず、寺から何度も逃げ出してしまいます。
和尚は打開策として、母親に子供と一緒に寺に住むことを提案します。
しかし、この母親、集団生活をしても、自分の子供のことしか見えていません。
彼女の口癖が、「わたしは」、「でも」、「だから」、「だけど」という自己正当化と自己防衛の言葉だったそうです。
自分が他の人たちに、そういう言葉使いをしていないのか、反省しきりです。

とにかく、自分だけで抱え込まないで、周りにSOSを出すことが大事なのです。
わかってくれない人たちばかりかもしれないけれど、諦めずにいろいろな人に会い、助けを求めていれば、いい出会いがあるといいます。
とにかく、動かないと助けはやってこないのです。

子供にとって大切なのは、「衣食住」だと、和尚はいいます。
「衣」は質素でも洗濯した清潔な衣装を着ること。
「食」は心の交流の場。お腹をいっぱいにして、みなで仲よく食べる。
「住」は毎日同じふとんで寝ること。
当たり前のことなのに、この3つが満たされている家庭はどれぐらいあるでしょうか?

前にヤマンバメークをしている高校生と話したことがあります。
夜に遊び歩いているというので、早く家に帰りなっと言ったところ、「家に帰ったっても一人だもの」と淋しそうに言っていました。
そうなのです。
家に「お帰り」と言ってくれる人の存在があれば、子供は家に帰るのです。
親子が一緒にご飯を食べるという姿がだんだんなくなっていっているようです。
ワーキングマザーが増えると仕方ないのでしょうが、家に帰っても誰もいないと言った彼女の顔が浮かんできます。
子供を社会が育てるという、そういうことをそろそろ考えてもいい時期なのかもしれませんね。