沢木耕太郎 『世界は「使われなかった人生」であふれてる』2007/04/17

ノンフィクション・ライターの中で、好きな人の一人が沢木耕太郎です。
彼の年齢を見てびっくりしました。
なんと今年60歳なんですね。
彼には若々しいというイメージがあったのですが、時間が経つのは早いものです。(自分の年齢を考えてみると、それぐらいになってるのが当たり前なのですが、笑)
めずらしく、というか、彼の書いた映画評論は読んだことがなかったので、興味を持って読みました。
流石、ライターですね。全然切り口が、私なんかのど素人が書くのとは違います。
どの評論を読んでも、その映画を観たくなります。
その中で、題名にもなっている「使われなかった人生」というフレーズが心に残りました。
「ありえたかもしれない人生」と「使われなかった人生」の違いがわかりますか?
「ありえたかもしれない人生」には、それは「もしこちらの道ではなく、あちらの道を選んでいたらどうなっていたのだろう、あちらとこちらと違うどういう人生があったのだろうか」という夢を見るしかない遠さがあると、沢木は言います。
一方、「使われなかった人生」は、「具体的な可能性のあったと思われる近さ」のあるもので、「後悔したり、追憶にふけるだけでなく、いまから使ってみようという未来にむけての意志を生む可能性がある」ものだと言います。
例えば、楽器好きな若者が、世間の常識的な意見に従い、ごく普通の会社勤めを選んだのだけれど、年をとってまた音楽をやってみようと思うようなものなのでしょう。
人生は選択の連続だと言います。その選択の時に捨ててきたものが、「使われなかった人生」なのでしょうか。
ひょっとして、捨ててきたものの中に、何か大切なものがあった可能性がありますね。

ただの映画評論ではなく、沢木ワールドが広がっています。