ピーター・トレイン 『死をもちて赦されん』2011/02/01

七世紀アイルランドの王女でありドーリィー(法廷弁護士)でもある”キルデアのフィデルマ”シリーズの一番最初に書かれた本です。

何故今頃、第一作を訳して出版したのかと不思議に思うでしょう。あとがきに書いてありますが、この第一作はアイルランドのことではなく、大ブリテン島のノーサンブリア王国で行われたカトリックの神学論争に関する物語なのです。古代アイルランドのミステリだというのに、どこにもアイルランドの風物や文化が描かれていないし、神学論争も日本になじみがないということで、シリーズ第五作、第三作、第九作、第四作と出版し、そしてやっと今回第一作を出版する運びとなったのです。
第一作から順番に出版されても私は読んだと思います。



という訳で、この物語のフィデルマは若くて未熟な感じがします。
アイルランドでは女性と男性は対等な関係ですが、フィデルマが赴いたノーサンブリア王国(大ブリテン島北東部の古代王国)では女性は男性よりも下と見なされていました。そのため、自分が軽視されるたびにフィデルマはカリカリしています。
その上、殺人事件を解くためにエイダルフ修道士と一緒に行動しなければならなくなった時、ライバル意識まるだしなんですから。
それでもちっともフィデルマは嫌な感じがしません。かえって微笑ましく思いました。

この物語は期限664年に開催されたウィトビア教会会議で起こる殺人事件を扱っています。この会議はローマ派とアイオナ派(アイルランド・カトリック教会)のそれぞれの派を代表する弁論者たちを召集し、論議し、ノーサンブリア王国はどちらに帰依すべきかを決めるものでした。
フィデルマはこの会議で何か法的な助言や説明が必要になった時に備えてキルデアの修道院長エイターンから出席を求められたのです。キルデアの院長エイターンはこの会議の弁論者の一人でした。

会議が始まろうとしている時、院長エイターンの死亡の知らせがもたらされます。
ローマ派とアイオナ派、どちらが殺したか、いろいろな見方ができます。公明正大に事件を解決するために、アイオナ派のフィデルマはローマ派の修道士エイダルフと共同で調査をすることになります。

フィデルマもエイダルフもお互いに人と一緒に調査をしたことがなく、ぶつかることもありますが、互いに惹かれあうこともあり、いつしか二人は良き相棒となっていくのです。

私の知識では、昔からカトリックの聖職者は生涯独身を通し、プロテスタントの聖職者は結婚してもいいと思っていました。
この物語の7世紀では、ローマ派もアイオナ派も、キリスト教聖職者の間では、結婚や出産は”罪”とはされておりません。多くの僧院では、神の信仰に生きる修道士と修道女が共に暮らし、信仰を広めるために共に勤しみ、結婚までしていたそうです。もちろんそんな中にも禁欲主義者もいたようですが。時代時代によって教義も変わっていくのですね。

この物語の終わりにフィデルマはローマに行くことになります。もちろん次は第二作目が翻訳されて発売されますよね。ちょっと心配です・・・。

有川 浩 『シアター!1・2』2011/02/02




父・・・売れない役者。野たれ死ぬ。
母・・・父を見捨てて離婚。子どもが大人になってから再婚する。
兄・春川司・・・工務店勤務のサラリーマン。超常識人。
弟・春川巧・・・元不登校のいじめられっ子。演劇のワークショップが転機になり、中・高と演劇部に在籍。大学時代に自分の劇団を立ち上げ、今はシアターフラッグの脚本と演出を担当している。

巧の主宰する劇団、シアターフラッグにプロ声優の羽田千歳が加わり、方針転換をすることになります。そのため不満を持った劇団員は退団していくことになりました。その際に赤字を自費で埋めていた女の子が辞めることになり、今までの借りの300万を返すことになりますが、お金はありません。巧は兄の司に泣きつきます。

司は条件を出し、300万を貸すことにします。
出した条件とは、「2年で金を返すこと。ただし、その金は公演で儲けた金であること。返せなかったら、劇団は解散」。

司は父親と同じ道を歩いている巧が心配だったのです。
彼のえらいところは、金を出して口も出すところです。今までの劇団の資金繰りを見て是正し、自分で管理し、なんとか黒字になるようにします。
口では色々ときついことを言っていますが、劇団員たちは彼のことを信頼し頼っています。

劇団員は貧乏というのは、世間一般の常識で、なんとなく当たり前と思っていますね。劇団員の方もハングリーな方がいいとか思っている場合もあります。それはおかしいと思うところが司のすごいところです。
そういえば劇団四季は劇団員がバイトしなくてもいいような月給を与えていると言っていましたっけ。

有川さん、よく調べたね~ぇ。
彼女のSFっぽいのは読んだことがないけれど、こういうのはうまいです。読ませる内容になっています。
恋あり、笑いあり、さて、300万は返せるのか。三巻目に期待します。    

佐藤正午 『アンダーリポート』2011/02/04




検察事務次官の古堀の家に、15年前にアパートの隣に住んでいた家族の娘が現れる。

15年前、あることをきっかけに母親と話すようになり、たまに娘のお守を頼まれていた。この家族の夫は妻に暴力をふるっているようだったが、彼は関わらないようにしていた。
ある日、夫が金属バットで殴られ死亡。通り魔の犯行であるとして処理された。
大学生になった娘はその事件の前に東京に遊びに行ったのを思い出した。母親はディズニーランドへ行ったと言うのだが、娘は行った記憶がない。その時、電車の中である女性と知り合いになったことを思い出し、母親に尋ねるが、母親は彼女の妄想であると否定する。その女性は一体誰なのか?古堀に思い当たる人はいないか。

娘の言葉から古堀は15年前のことを探り始める。
自分の書いた日記や警察記録を読み返し、推理し、出した答えは・・・。

今時日記を書いている人なんてあまりいないと思います。なんかさえない孤独な中年男性の世迷言なのですが、他の作家なら大嫌いな設定なのに、佐藤正午だと読めてしまうというのは、何なんでしょうね。はまる人は佐藤正午にはまるでしょうね。

たいしたことではないですが、本の中に何回も出てくるトーストの上にリンゴの薄切りを載せるというのは、美味しくないのではないでしょうか。

坂木 司 『青空の卵』2011/02/06



母親から捨てられ、父からも顧みられず、ふとしたことからいじめに会い、不登校になってしまった鳥井真一。
そんな彼に惹かれ、友達になると宣言した坂本司。
そんな二人と縁があって関係を持つ人々。
その彼らの謎を解き明かしていく真一と彼に付き添う司。
そんな短編集です。

不思議なのは、司君。
「彼が僕みたいな凡人と一緒にいるのは、僕だけが彼に向かって必要だと宣言したからだ」
なんて、ナイーブ過ぎる。いい人過ぎる。
彼のような性格の優しい男の子って、それだけで光って見えるよ。
だから彼の周りにいい人が現れるのよ。

ひきこもりの真一を人のいる社会に連れて行こうと奮闘する司。
若いっていいなぁとついつい思ってしまう私がいます。
若い頃の悩みって終わらないのよね。いくつになっても。
自分は何者か。死ぬまで謎だと思う。これが最大の解けない謎なのよ。

ちょっとセンチメンタルに流れているような感じもありますが、坂木さんのデビュー作ですから大目にみましょう。


A.S.スタカート 『淑女の肖像』2011/02/07

探偵レオナルド・ダ・ヴィンチ』で30代のダ・ヴィンチが出てきましたが、この本はその続きにあたるものです。2009年9月に発売されていたのに、気づかなかったようです。



ダ・ヴィンチの弟子のディノはダ・ヴィンチの発明した装置を持って工房に帰る途中に、スフォルツァ城の塔から転落死した女性を見つけます。彼女は女伯爵カテリーナの侍女でした。
彼女の死を怪しく思ったダ・ヴィンチは塔の部屋を調べ、残されていた侍女の履物と四枚のタロットカードを見つけました。
ディノはふたたびダ・ヴィンチの片腕となって働くことになります。

しばらくして、カテリーナの乳母だったリディアの死体が見つかります。彼女は何か薬物で殺されたようでした。

ダ・ヴィンチはディノを女装させ、侍女としてカテリーナの元へ送り込みます。

実はディノは女性でした。父親から無理やり結婚させられそうになり、家から逃げ出し、男装してダ・ヴィンチの弟子になっていたのです。久しぶりに女性用の服を着て喜ぶディノ、本名デルフィーナでしたが、彼女の前にイケメン騎兵隊の隊長、グレゴリオが現れたことから、心を乱されることになります。

ダ・ヴィンチは絵だけではなく、色々な発明もしていました。本の中にダ・ヴィンチが計画した仮面舞踏会の様子が出てきます。出席者はみんなタロットカードに関する仮装をし、余興としてダ・ヴィンチが発明した機械仕掛けのライオンが登場します。本当にこういう舞踏会が開催されていたのでしょうか。

何故ダ・ヴィンチに謎がわかったのか、不思議なところもありますが、ルネッサンスの人々の様子が興味深く、おもしろく読めました。
昨年1月に第三作目が発売されているということなので、早く翻訳してもらいたいものです。


坂木 司『仔羊の巣』2011/02/08

青空の卵』に引き続き、ひきこもり探偵シリーズを読んでみました。



よくわからないのが、司と真一の関係。
司はひきこもりの真一に何かあったら、すぐに駆けつけられるようにと、休みが簡単に取れる(本当?)外資系保険会社に就職します。
なんで友達ごときに、そこまでするのか?

真一はひきこもりといいながら、コンピュータのプログラマーの仕事を自宅でして稼いでいます。料理が上手で家に来る司たちのために美味しい夕食をいつも用意してくれます。

何故ひきこもりではいけないのか。
人は社会的な動物だから?でも、人と繋がりをもたなくてもいいという人がいてもいいじゃないですか。
真一は人と付き合えなくても、自分の食い扶持をちゃんと稼いでいるのだから、それだけでもいいんじゃないの?
色々な人の生き方を認めるといいながら、何故司は真一のひきこもりを認めようとしないのか、それが不思議です。

司は優等生的なのですが、何故か自分の生き方に自信が持てません。

「いつも思うのだけれど、僕という人間は、もうちょっと昔に生まれていたら、結構幸せだったのではないだろうか。親の決めた進路や、遺言に従って生きるなんてことが、まったく苦ではないのだから。むしろそうした制約があったら、悩む必要もなく、誰かのためになると喜んだことだろう」

永遠のモラトリアム人間?
一見社会とうまくやっているような司ですが、実は真一を必要としているのは彼の方だったりしてね。


本の中で見つけたそうだよな~という言葉。

「人間は、理解できないものにこそ恐怖を覚える。特に自分の言葉が通じないと知ったときの衝撃はでかい」

そう、理解できないものは恐怖です。
言葉が通じない時は、「衝撃」ではなく、「諦め」になっていますが・・・。

♪かわいい自販機♪2011/02/09

千駄木方面に散歩に行った時、見つけたかわいい自販機があります。



これはおむすび屋さんの横にあった自販機です。
澤の屋の折鶴の自販機もシックでよかったのですが、この自販機はかわいいです。味気ないメーカーのすぐわかる自販機よりも、こんな自販機が増えると街の美観がよくなりそうですね。あまり自販機を使わない私ですが、こんなのがあったら買ってしまう・・・かな?

東京駅に行った時、こんな表示を見つけました。



「空頭」ってどう読むのかしら?
「くうとう」?「からあたま」?

思わず自分の頭のことを考えてしまいました。あまりにも物を考えずに世の中を渡っていこうとする、私は「空頭」そのもの。
そんな自分に喝を入れろ!ということかしら?

そんなことはなくて、どうも建築(工事)用語らしいです。

私と同じようにこの表示に疑問を持った人がたくさんいるようですが、誰も意味がわからないみたい。

誰か、教えてください。


坂木 司 『動物園の鳥』2011/02/11

シリーズ物を読みだすと、最後まで読まなきゃならないということはないのですが、坂木さんのはシリーズといっても三作しかないし、結構こういう青臭いのが好きなので読んでしまいました。
私もいい年して、永遠のモラトリアムみたいなもんですから・・・。


表紙の絵の表すように、ひきこもり君こと鳥井が鳥かごから出ていく様子を表していますが、そうは簡単にはいきません。
少しずつ、一歩一歩足を踏み出していきます。それでいいよ。無理しなくていいんだよ。司のおせっかいなんだから。

結構このシリーズでの司君のつぶやきが説教的(う~ん、もっといい言葉が考えつかない)です。例えば・・・。

「違って当たり前なんだな、っていうこと。だって同じ人間はいないんだからさ、違うこと考えるのが当然なんだよ。それを無理やり同じにしようとするから、いじめとか仲間外れが起こるんだよな。違うなら違うで、話し合って近寄ればいいだけのことでさ」

「世界はたった一つの考えで動いているわけはなく、いつも多面的で複雑だ。物事の片面だけを見て断罪する人の目には、ひきこもりもホームレスも野良猫も、同じように良くないものとして映るのだろう。
 言葉は通じない。
 だとしたら、一体僕らはどうしたら理解し合うことが出来るのだろうか」

「では、僕たちにとっての檻とはなんだろう。それは考え方の枠ではないだろうか。(中略)そこまでではなくても、僕らは普段、まるで動物園に暮らす動物たちのように、それぞれの常識、それぞれの考え方という檻の中に入っている。だから言葉も届きにくいし、顔も見えにくい。でも、そんな僕たちの上を野生の鳥がかすめてゆくことがある。それは、自由と不安を司る存在。どう、たまには飼育係の人と散歩でもしてみたら?そんな囁きが聞こえてくる。その声に答えて、僕は僕自身を檻の外に出して日射しを浴びさせてやる。それは心のストレッチ。僕の飼育係は僕だけなのだから、きちんと世話をしてやらないといけない。
 そしてほんの少し外に出た僕らは、顔を合わせることがあるかもしれない。もし、言葉が通じなくてもそれはそれでいい。いつかわかりあえるかもしれないというほのかな思いを抱いて、また僕は自分の檻に帰る。手をのばし続けること。誰かと関わり続けること。それが、それこそが生きているということなのだろうから」

何物でもない若者の悲痛な心が伝わってきます。誰かと繋がりたいんだ。淋しいんだ・・・。
人と人のつながりが気薄になり、人の痛みを知らない人が多くなっているような気がします。
それでも手を伸ばし続けることが大事なのでしょうね。

33歳の坂木さんが描く、ちょっと赤面するような青春物語です。
作家のデビュー作って大事ですね。

北森 鴻 『孔雀狂想曲』2011/02/12

本格的ミステリー好きには馬鹿にされるかもしれませんが、私、軽いミステリーの方が好きです。



この本も軽いミステリーです。

東京、下北沢の骨董品屋・雅蘭堂の店主越名集治が主人公。
北森さんというと、旗師・宇佐見陶子を主人公にしたシリーズという風に、私の中にはインプリントされています。今回は扱っている物は陶子があつかっているような高価なものではなく、もっともっと私たちには身近なものばかりです。

例えば、ジッポーのライター。
煙草を吸わないので、なんであんなライターが有名なのかと不思議に思っていました。しかし、すごいんです。
ジッポーは1932年に発売された、「徹底した堅牢性と耐風性を備え持った簡易型オイルライター」です。ライターが壊れたら、無料で修理してくれますし、どんな強風下でも安定した炎を供給。その上、専用オイルだけではなく、どんな燃料も使えるそうです。
こんなジッポーですから、戦地では重宝され、≪ベトナム・ジッポー≫と言われているものが古物商の間で一万円前後の値段で取引されているとか。ベトナム市内でも売られているらしいですが、ほとんどは偽物だということです。でも戦場で使われていたライターなんて、なんか怖くて使いたくないですわ。

他にもジャンクカメラ(ようするに壊れた古いカメラ)、アンディ・ウォーホルのポスター、鉱物標本、江戸切子、根付、ビスク・ドールなどがでてきます。

ビスク・ドールってどんなんだと思って画像を見ると・・・結構ゾクッとしました。怪しい魅力の人形が多いですね。生きている人のよう。暗闇に浮かび上がると・・・。

『孔雀狂想曲』は全然気持ち悪くないですよ。どちらかというとユーモアのある内容です。
だって、主人公の越名は目利きなのに、商売は下手なさえない中年男性で、彼も店も「眠っているような」んですから。彼の店のアルバイトがジッポーを万引きしようとした小生意気な今時の女子高生、長坂安積で、越名と安積の二人の掛け合い漫才が楽しいんです。主に越名が安積の非常識さに振り回されていますがね。そうそう越名の不肖の兄も物語のいいアクセントになっています。

残念なのは、北森さんがお亡くなりになっているので、越名が活躍するのがこれ一冊しかありません。シリーズ化して欲しかったわ。

有川 浩 『キケン!』2011/02/13




一見表紙を見ると、SFか?と思うでしょ。でも、全然違います。城南電気科大学「機械制御研究部」略称「機研(キケン)」の話なのです。

新入生で実家が喫茶店という元山高彦と大らかな性格の池谷悟は「機研」に入ることになります。「機研」には2回生の「城南のユナ・ボマー」またの名「クレイジーライダー」上野直也と「大魔神」大神宏明という危ない先輩がいました。さて、この先輩たちにしこまれて、後輩たちはどうなるのか。

ハチャメチャな理系男子の話ですね。
有川さんが書くんですから、漫画チックなところもありますし、ジーンとくるところもあります。
私としましては、何といっても、文化祭の場面が懐かしくなりました。「機研」の連中は本格的ラーメン店をやって、前代未聞の売り上げを達成しちゃうんです。どんなに本格的かは読んでのお楽しみ。

私が大学生だった時、ラーメン屋はしませんでしたが、1回生では「きりたんぽ屋」、二回生では「焼き鳥屋」をしました。
「焼き鳥屋」では私がタレ係になり、近くの焼き鳥屋に食べに行き、女店主にタレの作り方を聞いてきました。醤油と味醂が半々にザラメを入れるとかなんとか教えてくれたと思います。実際に作ってみると、このタレが大評判で、大学の警備員さんが毎日買いに来て、褒めてくれました。肉は友達が安い店を探して買い、リュックで運んできました。一応ワンダーフォーゲル部だったので、リュックは大きいのを持っていますから。

今になって思えば、昔は大らかだったわ。というのも、この文化祭で我が焼き鳥屋はお酒を売っていたのです。警備員さん、ホント、嬉しそうにしていました。もちろん、お酒は熱燗で、徳利に溢れるぐらいに入れてあげましたよ。

「機研」に比べりゃたいしたことないかもしれませんが、楽しい思い出です。
大学時代が一番楽しかったですわ。
あの頃の友は何処・・・。