坂木 司 『動物園の鳥』2011/02/11

シリーズ物を読みだすと、最後まで読まなきゃならないということはないのですが、坂木さんのはシリーズといっても三作しかないし、結構こういう青臭いのが好きなので読んでしまいました。
私もいい年して、永遠のモラトリアムみたいなもんですから・・・。


表紙の絵の表すように、ひきこもり君こと鳥井が鳥かごから出ていく様子を表していますが、そうは簡単にはいきません。
少しずつ、一歩一歩足を踏み出していきます。それでいいよ。無理しなくていいんだよ。司のおせっかいなんだから。

結構このシリーズでの司君のつぶやきが説教的(う~ん、もっといい言葉が考えつかない)です。例えば・・・。

「違って当たり前なんだな、っていうこと。だって同じ人間はいないんだからさ、違うこと考えるのが当然なんだよ。それを無理やり同じにしようとするから、いじめとか仲間外れが起こるんだよな。違うなら違うで、話し合って近寄ればいいだけのことでさ」

「世界はたった一つの考えで動いているわけはなく、いつも多面的で複雑だ。物事の片面だけを見て断罪する人の目には、ひきこもりもホームレスも野良猫も、同じように良くないものとして映るのだろう。
 言葉は通じない。
 だとしたら、一体僕らはどうしたら理解し合うことが出来るのだろうか」

「では、僕たちにとっての檻とはなんだろう。それは考え方の枠ではないだろうか。(中略)そこまでではなくても、僕らは普段、まるで動物園に暮らす動物たちのように、それぞれの常識、それぞれの考え方という檻の中に入っている。だから言葉も届きにくいし、顔も見えにくい。でも、そんな僕たちの上を野生の鳥がかすめてゆくことがある。それは、自由と不安を司る存在。どう、たまには飼育係の人と散歩でもしてみたら?そんな囁きが聞こえてくる。その声に答えて、僕は僕自身を檻の外に出して日射しを浴びさせてやる。それは心のストレッチ。僕の飼育係は僕だけなのだから、きちんと世話をしてやらないといけない。
 そしてほんの少し外に出た僕らは、顔を合わせることがあるかもしれない。もし、言葉が通じなくてもそれはそれでいい。いつかわかりあえるかもしれないというほのかな思いを抱いて、また僕は自分の檻に帰る。手をのばし続けること。誰かと関わり続けること。それが、それこそが生きているということなのだろうから」

何物でもない若者の悲痛な心が伝わってきます。誰かと繋がりたいんだ。淋しいんだ・・・。
人と人のつながりが気薄になり、人の痛みを知らない人が多くなっているような気がします。
それでも手を伸ばし続けることが大事なのでしょうね。

33歳の坂木さんが描く、ちょっと赤面するような青春物語です。
作家のデビュー作って大事ですね。

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