佐々涼子 『エンド・オブ・ライフ』2020/08/22

この本も本屋大賞・ノンフィクション本大賞の候補作です。


この本では、訪問看護師・森山文則に2018年8月、すい臓がんを原発とする肺転移が見つかってから亡くなるまでをメインにし、著者自身の経験と森山が務めていた京都の訪問医療を行う渡辺西賀茂診療所で、2013年からの7年間に最期を迎えた人たちの話が描かれています。

病院ではなく家で最期を迎えたいと誰もが願うのではないでしょうか。
しかし様々な制約があり、たいていの人は諦めて病院で最期を迎えることが多いように思います。
私の親もそうでした。
父親は多発性骨髄腫で8年間入退院を繰り返し、最期は病院で亡くなりました。
まだ意識があった時に、「なんでこんなになっちゃったんだろう」と嘆いていました。
多発性骨髄腫は進むと骨が脆くなる病気なので、在宅で看るといっても難しいのではないかと思います。
母親は急性心筋梗塞でしたので、寝込まず、あっという間もなく亡くなってしまいました。
父の場合は亡くなった時にそれほどショックは受けませんでした。
闘病生活が長かったので、別れる時の準備が整っていたからです。
母の場合は本当に亡くなったの、という感じで、離れて暮らしていたので、尚更、まだ生きているような気がしています。
人には死を受容するための時間が必要ですね。

佐々さんのおじいさんやお母様の話を読むと、羨ましいなぁと思いました。
お母様はお父様に愛され、幸せでしたね。
お父様は難病にかかり、ロックイン症候群になってしまったお母様を最期まで介護していたそうです。それも完璧に。
私なんか性格が悪いですから、お父様のエゴのために生かされ続けていたんじゃないのと思ってしまいます。
私だったら、ロックイン症候群になるくらいなら死にたいと思うと思います。
佐々さんのお母様はそう思ったとしても、お父様のために生き続ける道を選んだでしょうね。

渡辺西賀茂診療所で働く人たちは訪問医療のモデルになるような方々です。
彼らは余命少ない患者のためだけを考え、時間とかお金とか責任とかは考えずに行動に移してくれます。
患者が最期にどうしてもやりたいこと、例えば、家族とディズニーランドに行くとか、潮干狩りに行くとか、をやらせてくれるのです。
こんなことをしてくれる診療所など、どこを探してもほぼないと思います。

この本に出てきた人たちのような最期を在宅で迎えるにはどうしたらいいのでしょうか。

「いい医者に出会うか、出会わないかが、患者の幸福を左右しますね」
「主治医がどれだけ人間的であるかが、患者の運命を変えてしまうんですよ」
「いい死に方をするには、きちんとした医療知識を身につけた、いい医師に巡りあうことですね」

これらは渡辺西賀茂診療所で働く医師たちが言った言葉です。
在宅医療は医師の裁量が大きいそうです。
自分の望むような在宅医療をおこなってくれる、いい医師を探すのは難しいんではないでしょうか。
第一我々患者に医師が「きちんとした医療知識」を持っているかどうか、わかりませんものね。

「出会う、出会わないも、縁のもの」

こう思って達観してしまうしかないのでしょうね。
どうしても納得した死に方をしたかったら、渡辺西賀茂診療所がある京都に住んじゃうという手がありますが(笑)。

佐々さんの書く物に興味を持ったので、しばらく読み進んでいこうと思います。

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