柳原和子 『がん患者学Ⅰ 長期生存患者たちに学ぶ』2009/02/03

昨年の年末に行った台湾で、目覚めるとすぐに、BSNHKを見ていました。
年末だったので、一年間のまとめみたいな番組が多く、卓球のプロ四元奈生美さんが四国八十八箇所を歩く「街道てくてく旅」なんかがおもしろくて、毎朝楽しく見ていました。(いつか八十八箇所を歩くのが夢のひとつですから)
たまたまその後だったと思いますが、2008年に亡くなった方々の、生前のインタビューを放送していました。
いろいろな人達がいたのですが、その中で特に印象に残ったのが、この柳原和子さんでした。

彼女は1950年生まれのノンフィクション作家。
1997年にがんに罹り、それをきっかけに医療過誤などの問題に取り組んできました。
残念ながら、昨年3月2日にお亡くなりになりました。

私が買った中公文庫の『がん患者学』は自分の体験を基に、自らと同じ日米がん患者にインタビューをした「長期生存患者たち学ぶ」、がんの専門医にインタビューをした「専門家との対話・闘病の記録」、そしてがん患者571人へのアンケートを収蔵した「がん生還者たちー病から生まれ出づるもの」の三巻に分かれています。

いろいろながんに罹った人たちが出てきますが、これらの人はインタビュー時はがんを克服している人たちです。
どの人の言葉も、心を打つものがあります。
その中でも、次の子宮がんにかかって後に大腸に転移した女性の言葉は、私にもよくわかるものでした。

「臓器を失うってことは、元の、人間にとって自然の身体ではなくなるということです。
仮にがんがなくなった、治ったとしても、身体は全然違ったものになっていると考えるべきでしょう。日常の端々にそれは現れます。思い知らされます。動作、所作一つ一つ、普通の人と同じにはできません。失った臓器が増えればそれだけ、体内をいじくればいじくるほど、その辛さは増します。肉体的な辛さはもちろんですが、心理的、社会的な問題として、辛いわけです。」

彼女は手術で子宮を失っただけではなく、医師の過失から排尿をコントロールできなくなってしまいました。
その上、自然療法でやっていこうと決心した彼女に対し、医師は抗がん剤治療を強制し、断ると、医師に丸め込まれた家族までが、彼女に抗がん剤治療を切望するのです。
薬に対して過敏な体質の彼女には抗がん剤治療は合わず、辛いものでした。
退院を希望するのですが、病院は許してくれません。
こういう病院ばかりではないのでしょうが、医師たちは自分の面子のために患者の心を無視することがあるんですね。
彼女の例はたまたま医師との出会いが不幸な例だと言えるかもしれませんが、でもそれでは駄目ですよね。
どの病院に行っても同じような医療行為が受けられるようにならなくてはね。

他のがん患者の言葉は私たちによりよく生きるためのヒントを与えてくれるでしょう。

「欲を捨てれば、病気の原因になったはずのいろんなことを処理する決断がつくし、新しい生活を始めようという気持ちになる」

「元気になっていく人は皆、プラス思考」

「今日一日に全力投球していけば、人生二倍になる」

「死は誰の近くにもある」

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://coco.asablo.jp/blog/2009/02/03/4098206/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。