「ハムネット」を観る ― 2026/04/15
2020年刊行の北アイルランドの作家マギー・オファーレルの小説「Hamnet」が原作で、英国女性小説賞と全米批評家協会賞を受賞している。
映画は第98回アカデミー賞で計8部門にノミネートされ、アグネス・シェークスピアを演じたジェシー・バックリーが主演女優賞を受賞した。

アグネスは毎日、森の中の洞窟の近くで薬草を集めたり、鷹を呼び出したりしていた。
町の人々は彼女のことを森の魔女の娘で、その魔女から薬草の知識を教わったと噂していた。
革手袋屋の息子のウィリアム・シェイクスピアはアグネスの家でラテン語の家庭教師をして父親の借金を返済していた。
ウィリアムはアグネスに興味を持ち、生徒そっちのけで森まで彼女をつけていき、知り合いになる。
二人は関係を深め、やがてアグネスは妊娠する。
アグネスの家族は彼女を勘当したので彼女はウィリアムの家族と同居し、急いで結婚する。
アグネスは森で娘スザンナを出産する。
父の仕事を手伝うことに嫌気がさし、自暴自棄になったウィリアムを見て、アグネスは彼をロンドンに行かせる。
また妊娠したアグネスは双子のハムネットとジュディスを出産する。
11年後、ウィリアムは成功し、ロンドンで暮らし、時折家に帰ってくる生活を続けていた。
やがてペストが流行し、ジュディスがペストにかかる。
アグネスは必死でジュディスを助けようとする。
ハムネットはジュディスを励まし、死神を欺くために自分がジュディスの代わりになると言い、いっしょにベッドに寝る。
ジュディスは回復するが、ハムネットは亡くなる。
急いで帰ってきたウィリアムはハムネットが亡くなった後に家に辿り着く。
ハムネットの死に悲嘆にくれるアグネスはウィリアムを責める。
ウィリアムは『ハムレット』を書き、グローブ座で上演する。
その噂を聞き、憤慨したアグネスは弟のバーソロミューといっしょにウィリアムに会いに行くが、ウィリアムは家にいなかった。
二人はグループ座で『ハムレット』の初演を観に行くことにするが…。
映画の最初に「イングランドのストラトフォードでは「ハムネット」は「ハムレット」と同じ名前だと考えられていた」と紹介されています。
原作が英国女性小説賞を取っているということですが、残念ながら映画からは何故女性小説賞を取ったのかがわかりませんでした。
映画の中のアグネスは最初から風変りでしたが自立した女性らしかったのですが、ハムネットが死んでからの彼女はウィリアムでなくともうんざりする女性に成り下がっています。
映画では彼女が何を考え、何を思っているのかがあまりよく描かれていなかったように思います。
自分が望んでウィリアムをロンドンに送り、別居生活を続けていたはずなのに、ハムネットが亡くなってから一年が過ぎたのに、なんでそんなにウィリアムを責めるのかと思いました。
本の『ハムネット』を読んでみるとアグネスの気持ちが理解できるかもしれませんね。
グローブ座が史実に基づいて作られているのでしょうか。
当時は舞台の前に一般の観客は座らず、立って見ていたのですね。
舞台と観客の距離が近いので役者も大変です。
アグネスのような観客もいたでしょうから、さぞやりずらかったでしょう。
「ハムレット」の最初の場面、父親の亡霊が現れる場面では舞台照明がなかったので、変な格好で笑っちゃいそうですねw。
まあ、グローブ座が見られただけでも見たかいがありました。
簡単に言うと『ハムレット』が何故書かれたのかが描かれた映画です。
全体的に暗い映画で、特にお子さんを亡くしている方は心して見に行ってください。
監督は「ノマドランド」のクロエ・ジャオで、ジェシー・バックリーは「ウーマン・トーキング」にも出演しているようです。
ハムネット役の子とハムレット役の役者は兄弟だそうで、道理で似ていると思いました。
読んだ文庫本(日本文学) ― 2026/04/13
読んだ文庫本が溜まってきたので、まとめて紹介します。

藤ノ木優 『コウノトリとんだ』
創世大学の助産師課程を卒業した守谷まゆは母校の横浜病院産婦人科病棟に就職する。大学では優秀な成績を修めたまゆには助産師として働くには重大な問題がある。子供が生まれる場面に直面すると、迷走神経反射を起こして気を失ってしまい、出産介助ができないのだ。
初出勤の日、まゆのプリセプターとなった鎌ヶ谷亜美はまゆに「あなたは助産師に向いていない」と告げる。しかし、その後、まゆが真摯に仕事に取り組む姿を見た鎌ヶ谷はまゆから生い立ちを聞き、まゆが過去を乗り越え、出産介助ができるようにサポートしていく。
藤ノ木さんは産科医なので、ここに書かれたことは実際に起こったことでしょう。
知らなかった産婦人科のことや出産時のことなどを知ることができます。
本に出てくる「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」はもともとは2000年にドイツのハンブルクの保育園で始まったそうで、日本とドイツの違いが興味深かったです。
行政が積極的にベビークラッペ(Babyklappe)の活動を支援しているドイツでは今や100箇所を超えるそうですが、日本には熊本県の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」と2025年3月に東京の賛育会病院に設置された「いのちのバスケット」の2箇所しかないようです。
江上剛 『ハリー亭の穏やかな日々』
ハリーはロンドンで生まれ育ったイギリス人。26歳の時にイギリスの大手銀行の日本支店勤務を命じられて東京にやって来てから三十年。十六年前に入行してきた優子とできちゃた結婚をした。娘が小学生になるのを契機に二人とも銀行を辞め、ハリー亭というイギリス料理店をオープンした。
ハリー亭においしい料理を食べに来るご近所さんたちだが、ハリーが銀行に勤めていたことから金融知識が必要な相談事を持ち込む人もいる。
さて、ハリーはどうやって相談事を解決していくのだろうか。
イギリス料理ですから、定番のローストビーフ、チキンスープ、ローストポーク、フィッシュアンドチップス、ビーフ・シチュー、サンドイッチ、イギリス風カリーなどがハリー亭で供されます。
胃の調子の悪い私はチキンスープ以外は失礼させていただきますw。
犬のタロウがかわいいですが、まあ、読まなくてもよかったかな(ゴメン)。
小湊悠貴 『若旦那さんの「をかし」な甘味手帖 北鎌倉ことりや茶話3』
秋月都は家事代行サービスのスタッフだが、都のお客である北鎌倉の花桃屋敷の離れで営む「ことりや茶房」で、月に二回、アルバイトをやることになる。都のアルバイト初日、ラストオーダーが終わっているというのに一人の女性客がやって来て、都の接待に対して難癖をつける始める。彼女は羽鳥一成の兄・柊一の店「翡翠堂」の関係者のようだ。
別の日、友だちと会った帰り道で都は一成と偶然出会う。二人で明月院に行き、紫陽花を鑑賞していると、一成は兄とのことを話し始める。
そんな頃、一成は料亭の若旦那の志貴から内輪の茶会で出す若鮎を頼まれる。
茶会には父から教わった通りの製法で作った若鮎を提供したが、その茶会に柊一が現れる。若鮎を食べた兄の感想が気になる一成。
その頃、都の部屋のクーラーが壊れ、花桃屋敷にお世話になる。一成の姉と彼女の娘もいっしょに泊まることになり、夏合宿みたいだとはしゃぐみんなだった。
一成は成り行きで柊一の弟子の手伝いをしてしまうが…。
「ことりや茶房」のアルバイトの陸君はホテル猫番館のパン職人、沙良さんの弟です。うれしいことに彼女が最後に登場します。
和菓子が好きな方が読むと、食べたくなりますよ。
そろそろ都と一成の恋バナを読みたい頃ですね。
楽しみに待ちましょう。
<この頃のヨーキー>

持って来いをやらなくなっていたのですが、またやり始めました。

ボサボサですが、可愛いので許してくださいww。これでも60歳です。

やる気満々のヨーキーです。
四季の香ローズガーデンでチューリップを見る ― 2026/04/11
そろそろバラが咲かないかなと思い、四季の香ローズガーデンに行ってきました。
HPでは5月1日からローズガーデンフェスティバルが開かれるということなので、少し早いですが人で込み合う前に行こうと思ったのです。

光が丘団地の中を通って行くとガーデンにつきました。
四季のローズガーデンの方から見ていきます。

アラ、バラではなくチューリップが咲いています。

様々なチューリップがあります。
これは紫色。

花がギザギザしたピンク。

いろいろなチューリップ。

茎が短い黄色いチューリップ。

かわいいウサギがいました。

うさぎの親子。

リス。

今年のイースターは4月5日でしたが、まだイースターエッグがありました。

残しておいていただき、ありがたいです。

真ん中にベンチがあり、写真が撮れるようになっています。
次は香りのローズガーデンの方へ行ってみましょう。
途中に風のガーデンがあります。

ちょっとした庭です。

季節の花が咲いています。

この花の前で写真を撮っている人がたくさんいました。

団地の中にこういうガーデンがあるというのがいいですね。

ここにもエースターエッグがあります。

イースターエッグの隣にうさぎがいます。

これは…?

鹿。

さっきの鹿のこどもかな?

後からHPを見てみると、「四季を通していつでもお花をご覧いただけるように、開花のバトンタッチを計算しながら計画を立てていきます」と書いてあるので、ひょっとして明日の「チューリップ摘み取り体験」で植えているチューリップを摘み、その後にバラを植える計画なのかもしれませんね。
ローズガーデンというので、バラしか植えていないと思ってしまいましたww。
チューリップも綺麗でしたよ。
バラは五月に見に来るしかないですね。
近くにイオンがあったので、寄って買い物をして帰ってきました。
光が丘団地の近くには公園やローズガーデンなど自然がたくさんあり、お買い物もしやすくて、意外と団地に住むのもいいものだと思いました。
永井紗耶子 『木挽町のあだ討ち』 ― 2026/04/09
神社に行くと、八重桜が咲いていました。

久しぶりの青空。

河津桜、枝垂桜、ソメイヨシノ、八重桜と次々と違う種類の桜が咲いて、長く桜が楽しめます。

映画の「木挽町のあだ討ち」が評判らしいので、原作を読んでみました。
2019年から「小説新潮」に連載され、2023年に単行本が刊行され、2025年に歌舞伎舞台化、2026年に映画化されたそうです。

睦月晦日の雪の夜、木挽町の芝居小屋の裏手で、菊之助という一人の若衆が見事な仇討をやり遂げた。
相手は菊之助の父、伊能清左衛門の仇、博徒の作兵衛。
朗々と名乗りを上げ、作兵衛に一太刀浴びせ、返り血で白装束を真っ赤に染め、作兵衛の首級を上げた後、菊之助は宵闇に姿を消した。
あれから二年。
菊之助の縁者と名乗る武士が森田座にやって来る。
木挽町の仇討について知りたいといい、仇討の場にいた者たちに話を聞いて回る。
その際に彼らの来し方も聞く。
武士に語った者たちは、元幇間の一八、立師の与三郎、衣裳部屋で端役の女形、二代目芳澤ほたる、小道具係・久蔵のお内儀、お与根、戯作者の篠田金治の五人。
仇討に秘められた真実とは…。
この作品は第36回山本周五郎賞と第169回直樹三十五賞を受賞しているのですね。
話題になっていたのを忘れていましたw。
あだ討ちよりも、市井の人たち、五人の来し方が面白かったです。
武士というものは、わかってはいますが、どうしようもないですねぇ。
まあ、オチは途中で予測できましたがね。
ミステリというよりも時代劇です。
時代小説が初めてという方でも読みやすいと思いますので、是非、挑戦してみてください。
私は見ませんが、ついでに映画も見ると、小説との違いがわかっていいかも。
なんか、役者が私の想像と違っていますわ…。
門井慶喜 『夫を亡くして 北村透谷の妻・ミナ』 ― 2026/04/08
朝日新聞の連載小説。
名前は知っているけれど、どんな作品を書いたかわからない(私だけ?)北村透谷ですが、彼の妻のミナが主人公のお話です。
ミナは石阪美那、石坂美那子、北村美那、北村ミナと文献によっていろいろと表記が違うようです。

石阪ミナは慶應元年(1865年)に武蔵国多摩郡野津田村の豪農の家に生まれた。
そのため暮らしには困らず、食べたいものを食べ、着たいものを着て、家事などする必要もなかった。
そのかわり、ミナは本を読んだ。漢籍の四書五経を。
ミナの父親・石阪昌孝は自由民権運動に加わり、後に神奈川県会議員や群馬県知事を務めた人で、これからは女にも教養が必要だと考えていたので、ミナの読書に寛容だった。
こういう環境で自然とミナは勉強好きになる。
ミナは十三歳で日尾直子門下の竹影女塾に入り、和漢学を学ぶ。
ここで助教になり、ミナは教えることの楽しさを知る。
直子に気に入られ、養子となるが、英語を学びたいという思いから関係を解消し、復籍し、共立女学校に入学する。
はじめての夏休みに帰省した時に父に許嫁として平野友輔を紹介され、そしてミナの弟の公歴から勧められて家に来ていた北村門太郎(北村透谷)と出会う。
明治二十年(1887年)七月、ミナは共学女子学校の皇漢学科を卒業し、九月から英語科へ入学することになっていた。
いつもは実家に帰るのだが、父から本郷竜岡町にある別邸を見に行って欲しいと頼まれ、ミナは竜岡町の家に行き、透谷と再会する。
初対面の時は暗い男としか印象がなかったのだが、今回、北村は多弁でミナとの会話が弾んだ。
その一年後、再度、竜岡町の家で密かに再会したミナと透谷の前に許嫁の平野が現れる。
結局、平野からの申し出により破談となり、ミナと透谷は結婚するが、結婚式には親兄弟は来なかった。
ミナは京橋区弥左衛門町で北村の家族と同居する。
透谷は『楚囚之歌』(1889年、詩集)や『蓬菜曲』(1891年、詩集)などを自費出版しながら雑誌などに寄稿(「厭世詩家と女性」(1892年評論)など)し、その傍ら、翻訳や外国人の通訳をしながら普連士女学校の教師などをして生計を立てた。
一方、娘・英子が生まれてからのミナは普通の主婦になっていた。
しかし、そんな生活も長くは続かず、やがて透谷はひどくふさぐようになり、仕事もしなくなった。
そんな時に徳富蘇峰からアメリカの思想家ラルフ・W・エマソンの評伝を書く依頼が来る。
透谷は三ヶ月ほどで書きあげるが、その四日後、自殺未遂を起こす。
透谷の退院後、ミナが原稿を読んでみると、なんと、全文、意味不明。
困ったミナは島崎藤村に原稿を整えることを頼む。
三カ月後、「十二文豪」シリーズの第六巻として刊行される。
が、その四日後、透谷は自宅の庭で縊死する。
(北村に奇行や虚言、妄想や幻覚が見られ、最晩年の明治26年(1893年)には双極性障害による統合失調様症状に陥っていたようですが、公的な診断記録はないようです)
透谷とミナの結婚生活は5年と数カ月で終わる。
その後のミナは娘を透谷の母に預け、住み込みでウッドワースという宣教師の妻の姉に日本語を教えつつ、身のまわりの世話をした。
五年後、ウッドワースが帰米するときに、ミナは彼から一緒にアメリカに行き、大学に入らないかと勧められる。
ミナの英語教師としての道が開ける機会がやって来たのだ。
この後、アメリカでのミナの様子は全く書かれていません。
アメリカの大学を卒業し、日本に帰国した後の英語教師のミナが描かれています。
北村透谷は25歳という若さで亡くなっていたのですね。
名前だけが先行して、何をしたのかがさっぱり私にはわかりません(恥)。
こんなに有名になったのは島崎藤村たちのおかげですかね。
「恋愛至上主義」を提唱したらしいです。
この本には書かれていませんが、透谷にはミナと結婚生活を続けていながらも他に思いを寄せる人がいたようです。
若くで結婚し、家族を養わなければならなく、ミナからお金のことでせっつかれ、ミナも家庭生活も嫌になっていたのでしょうかね。
小説では透谷に「恋愛なき結婚など、この世にはありえないのです」などと言わせていますが、恋愛至上主義者なら結婚はしない方がいいと思いますけどww。
ミナはとてもバイタリティーのある女性で、普通の家庭にはおさまらない方です。
家庭に生きるというより、仕事に生きる人という感じです。
娘を義母に預け、外国人の家庭に住み込み、アメリカに留学したりと、彼女は自由に行動します。
誰も彼女を止める人はいないのです。恵まれています。
娘との関係は微妙ですが、それは仕方のないこと。
この本はミナの英語教師としての公的なことがほぼ書いてあるので、私生活で彼女がどのような生活を送り、何を思って暮らしていたのかがわかりません。
ひょっとして、未来だけを見据え、過去や現在にあまり思い悩んだりしない人だったりして。
わたしは「透谷の妻ではない。ただのミナよ」とサラッと言えるんですから。
だから読んでいてミナの性格に深みが感じられなかったのかもしれませんね。
父親の昌孝がミナについてこう言っています。
「いつも遠い未来を見ている。そうしていつか、たどり着けると信じている。そんな光がきらきらしているんだ。私はそれを見るていると、危なっかしいと思いつつも、何だかこっちまで若返るような気になるんだよ」
「未来のお裾分けをしてもらったような、と言ったらいいかな」
英語教育といえば津田梅子がでてきますが、調べてみると津田梅子は1864年生まれでミナは1865年生まれですので同年代です。
二人に接点がなかったのが残念です。
対談したら、どのような話をしたのでしょうね。
(参考:「よく学び、長く教えた北村美那」女子学院JGニュース」
伊多波碧 『物が全てを教えてくれる 日本初の女性化学者・黒田チカ』 ― 2026/04/06
前に女性化学者・猿橋勝子について書かれた『翠雨の人』を読みましたが、NHKのおかげでしょうか、今まで日の当たらなかった専門職に就いた女性に関する本が続々と出版されるようになったようですね。
私が中高生の時にこのような本が読めたら、進路決定に何らかの影響があったかもしれませんねぇ。

黒田チカは明治17年(1884年)、元士族であった父・平八、母・トクの三女として佐賀県に生まれる。
小さい時から聡い子で、毎日、小学校に通う姉に付いていって、教室の外で授業を聞いていた。
5歳の時に小学校高等科の教師・米満与三郎の口利きにより、尋常小学校に入学を許される。
父の平八は「これからも女子にも教育が必要」と考える、進歩的な人だった。
そのためチカは当時の女性としては考えられぬ教育を受ける。
尋常小学校の高等科を卒業した後に佐賀師範学校に入学し、明治34年(1901年)に卒業後、小学校に一年勤務し、明治35年(1902年)に女子高等師範学校理科(今のお茶の水女子大)に進む。
明治39年(1906年)、女性高等師範学校を卒業後、福井師範学校の教諭となるが、一年で辞め、明治40年(1907年)、女性高等師範学校研究科に入学し、明治42年(1909年)に修了後、同校の助教授となる。
大正2年(1913年)、日本初の女性帝大生として東北帝国大学理科大学化学科に入学。
大正5年(1916年)に黒田の化学者としての生涯に多大なる影響を与えた眞島利行のもとで紫根の色素の研究に着手し、東北帝国大学化学科卒業するが、卒業後も大学に残り、研究を続ける。
大正7年(1918年)、紫根の色素構造の特定に成功し、研究論文を発表。東京化学学会で「紫根の色素について」講演する。東京女子高等師範学校教授となる。
大正10年(1921年)、英国オックスフォート大学に留学。フタロン酸誘導体を研究。
大正12年(1923年)、帰国して東京女子高等師範学校に復帰。
大正13年(1924年)、理化学研究所(眞島研究室)嘱託となり、紅花の色素の構造について研究を始める。
昭和4年(1929年)、「紅花の色素カーサミンの構造」で博士号取得。女性で二番目の博士となる。この後、ナフトキノン誘導体やウニの棘の色素(ナフトキノン系)の研究をする。
昭和24年(1949年)、お茶の水女子大学が発足し、同大学の教授となる。
自由学園の生徒たちに質問されたことがきっかけとなった、玉葱の皮からケルセチンの結晶を取り出すことに成功する。(1953年にケルセチンを主成分とした高血圧治療剤「ケルチンC」が開発される)
昭和27年(1952年)、お茶の水女子大学退官し、昭和38年(1963年)まで同大学非常勤講師を務める。
昭和43年(1968年)、福岡で逝去。享年84歳。
(参考:お茶の水女子大学附属図書館歴史資料館「黒田チカ」)
家父長制度があった時代では、女子が教育を受けられるかどうかは父親の考えに左右されます。
黒田チカは女子にも教育が必要だと思う父親がいたので、このように高度な教育を受けられたのです。
本人の資質も必要ですが、幸運の下に生まれたのでしょうね。
未だに古い、女には学問はいらないと考える親がいるようですが、本人がやろうと思えば何でもやれるのが今のいいところ。
ダメだと思わずチャレンジしていって欲しいですね。
本の中の米満先生の言葉を書いておきます。
「一つ知恵を授けよう。悩んだときは、物事を単純に考えるといい。自分の邪魔をするものには近寄らなければいいのだ。大きな石が道をふさいでいたらどうする?
回れ右をして別の道を通るだろう。上手に逃げなさい」
「物事を単純に考える」ことはいいことですね。
なかなか逃げるのも大変ですがねww。
小説としてみるとイマイチですが、黒田チカを知るにはいい本だと思います。
YAにお勧めです。
中野通りの桜並木 ― 2026/04/05
昨日は雨だったので、大分桜も散っているのではないかと思いましたが、もう一度桜を見ようと、東京で一番長いと言われている中野通りの桜並木を見に行ってきました。
中野駅から北へ哲学堂まで約2キロ続いているそうです。

葉桜になっていますが、まだなんとか見られますね。

この桜は戦後、区画整理事業の中で植えられたそうです。

都は街路樹として銀杏か楓を推奨していましたが、整理事業を推進した窪寺伝吉氏が将来の美しい桜並木を想定し、都と地権者の同意を取り付けて、街路樹として桜を植えることにしたそうです。

桜は昭和31年から植えれらたそうです。

当時、哲学堂や新青梅公園にはすでに桜が植えられていました。(「レファレンス共同データベース」による)

薄曇りなので、写真に撮ってもパッとしませんね。

結構大きい桜の木です。

右側が哲学堂公園です。

グルっと回ってもとに戻り、途中で別の道に行って帰ってきました。
意外と人が歩いていません。
調べてみると、「中野通り桜まつり」が開催されていますが、夜のライトアップ推しなんですね。
中野には沢山の飲食店がありますから、夜桜を見た後の一杯がよさそうです。
飲めたら私もしたいですわw。
駐車場がどこにあるのかわからなかったので、来年は電車で中野まで来て2キロ歩き、途中にある新井薬師公園と哲学堂公園の中に入ってお花見をしようと思います。
ミリアム・テイヴズ 『ウーマン・トーキング ある教団の事件と彼女たちの選択』 ― 2026/04/04

たまたま神明宮に行った時に見た光景です。

本殿から出てきた神主さんたちが北野神社の前でお辞儀をしていました。

毎朝、各神様のところに行ってご挨拶をしているのでしょうか。
第95回アカデミー賞の脚色賞を取った映画「ウーマン・トーキング 私たちの選択」の原作を読んでみました。
映画はまだ見ていませんが、そのうちに見ようと思います。

2005年から2009年の間、人里離れたメノナイトのコロニー「モロチナコロニー」で、朝起きた少女と女性の体に痣や出血が見つかるという出来事が相次いだ。
それは彼女たちの罪に対する亡霊や悪鬼による罰とされたが、実はコロニーの八人の男たちが家畜用の麻酔薬を使って被害者を昏倒させレイプしていたのだ。
八人は教会の牧師ペーターズによりコロニーの小屋に何十年か監禁する刑罰を計画されたが、それでは命が危ないので、警察に逮捕させられて街に連れていかされた。
コロニーの残りの男たちは犯人が審理の開始を待つあいだモロチナに戻れるようにと、街に保釈金を払いにいった。
モロチナの女たちは男たちがいない二日間のあいだに自分たちの身の振り方を決める話し合いをするために集まる。
オーガスタは男だが、女性会議の書記係になる。
彼の一家はモロチナコロニーの教会を破門され、英国に渡っていた。
英国で教育を受けた彼だが、モロチナに戻ることにし、許されて教師をしている。
女たちは読み書きができないので、彼が頼まれて会議の記録を書くことになったのだ。
女たちは子供たちを守るために、未来を決めなければならない。
何もしないか、留まって戦うか、それとも出ていくか。
はたして彼女たちの下した決断は…。
*メノナイトとは十六世紀のオランダ、スイスのアナバプティスト(再洗礼派)の流れをくむプロテスタントの一派。暴力を用いない抵抗と融和、平和主義を主張する。(本文より)
ボリビアのメノナイトのコロニー、「マニトバコロニー」で実際に起こったことを基にして書かれた小説です。
(詳しく知りたい方は「幽霊に犯されたボリビアの女性たち」という記事をお読みください)
どんな暮らしをしているのか、写真がありました。
(「getty images」の検索に「メノナイト」と打ち込むと見られます)
ボリビアには約六万人のメノナイトがいるそうです。
彼らの99%はカナダからの移民で、1920年代に子供の英語教育から離れるため、メキシコに移り、その後1960年代にメキシコの近代化が進んだために、ボリビアに移住しました。
半数が保守的なメノナイトで、トウモロコシや大豆を育て、それを家畜の餌にし、その家畜を売って生計を立てているそうです。
公教育は拒否し、男子は七年間、女子は六年間の小学校教育のみで、女性や子供たちは、ほとんで外出することはなく、コミュニティ内で孤絶した生活を送っています。
ボリビア政府は彼らが真面目な農民なので、彼らに自国の農業を託すために彼らを受け入れたそうです。
家父長制度が強硬なコロニーなので、牧師が権力を持ち、女性たちは家畜以下ともいえそうな扱いをされています。
本の中では女性たちが話し合い、自分たちの未来のために立ち上がるということが感動的に描かれていますが、「幽霊に犯されたボリビアの女性たち」という記事を読むと、現実はそれほど甘くはなかったことがわかります。
事件発覚後コロニーを出た人がいるかどうか。
未だにレイプは続いているらしいです。
識字教育は人間として生きていく上で必要最低限なことだと思いました。
なんか胸糞悪くなる事件ですねぇ。
伏尾美紀 『百年の時効』 ― 2026/04/03

今年の私には何やらよからぬことが多いような感じです。
身体のこともそうですが、機械類も壊れる時期のようです。
洗濯機を皮切りにルーターが壊れました。
というのも、午前中には使えたはずのインターネットが、用事から帰って来て使おうと思ったら使えません。
ルーターを見ると、インターネットのライトだけが消えています。
何をやってもつきません。
時間が経つと使えるようになるかもしれないと思って放っておきましたが、次の日になっても使えません。
ネットでサービス業者に調べてもらうと特に不備はないと言います。
もしかして昨年買ったばかりなのにルーターが壊れたのかと思い、新しいルーターを買いました。
携帯ではネットに繋がりにくい状況なので、設定ができません。
パソコンに繋いでやってみたら成功!
ネットに繋がった時の喜びったらありません。
パソコンに詳しい方はお笑いでしょうが。
大事なメールはパソコン用ではなく携帯用のメールアドレスに変えることにしました。
今回、私がいかにネットに毒されているかがよ~くわかりましたww。
さて、北海道札幌市在住で、『北緯43度のコールドケース』や『数学の女王』を書いた伏尾さんの昨年8月に出版された作品です。

令和6年(2024年)2月、28歳になる葛飾警察署刑事組織犯罪対策課の藤森菜摘は、アパートの一室で男性の遺体が発見されたという現場に臨場する。
遺体は74歳の桜井信吾のもので、桜井は昭和四十年から平成に入る直前にかけてまで天才的な相場師『兜町の異端児』として知られていた。
自然死であるとみられたが、藤森は微かな違和感を感じていた。
部屋を調べてみると、「警察のみなさまへ」と書かれた封筒が見つかった。
しばらくして藤森は警視庁刑事部捜査一課管理官の草加文夫に呼び出され、桜井が昭和49年(1974年)に起こった『佃島一家四人殺傷事件』の重要参考人で、この事件の捜査の幕引きをするために、一年間、徹底的に捜査を行うことになったが、それを藤森に任せたいと言われる。
捜査を引き受けた藤森に草加は先輩刑事の鎌田から託された捜査ノートを渡す。
鎌田のノートには昭和、平成、令和と半世紀にも渡り犯人グループを追い詰めながらも、決定的な証拠を掴み切れずにいた刑事たちの苦悩と執念が書かれていた。
果たして藤森は真実に行きつくことができるのか。
各時代の刑事たちが個性豊かで、それぞれの捜査の仕方が時代ごとに違い興味深かったです。
まだ戦争の影響が残りながらもバブル景気に沸く昭和、地下鉄サリン事件などのテロ事件やオウムなどの宗教問題が起こった平成など時代ごとの重大事件も折り込まれてあるので、歴史を振り返りながら読んでいきました。
登場人物が結構多いので、どの事件に関係する人物なのか、誰と誰が繋がっているのかなど途中でわからなくなる可能性があるので、時系列に並べたり、相関図や家系図などを自分なりに書き留めながら読んでいくといいと思います。
結構長い作品なので、最期まで行きつけるかと思いましたが、問題なく読み進めていけました。
満州のことと最後の犯人が私的にはちょっと惜しいかな。
この作品は第28回大藪春彦賞と第47回吉川栄治文学新人賞を受賞し、「本の雑誌が選ぶ2025年度ベストテン」一位、「週刊文春ミステリーベスト10」の三位、「このミステリーがすごい!」の四位で、第79回日本推理作家協会賞(5月13日最終選考会)の長編および連作短編集部門候補作品だそうです。
「グッド・ドクター 名医の条件 シーズン3エピソード1~10」 ― 2026/03/31
やっと桜が満開になったと思ったら、天気がイマイチ。
今頃の季節にはよくあることですね。
Prime Videoで、いつのまにか「グッド・ドクター」のシーズン3が見られるようになっていました。
研修医三年目のショーン君がうまくやっていけてるのか、心配です。

ショーンは自閉症でサヴァン症候群で、聖ボナベントゥラ病院の研修医三年目。
人とのコミュニケーションが苦手だが、高い空間認識能力と豊富な医療知識で様々な手術のアイデアを提案している。
そんな彼に恋人ができる。病理医のカーリーだ。
初めてのデートは、ショーン曰く、「悲惨なデート」とはいうが、同僚たちが聞く限り、うまく行ったように思えるのだが。
同僚たちはもう二度とデートはしないと言うショーンに一つずつ段階を踏むように説得する。そんなわけで、外のデートは止めて、家でテレビを見て、キスして…。
手がかかるショーンです。
ショーンの周りの人たちはというと、リムとメレンデスのカップルはリムが外科部長になったため、どうも仕事がやりずらい。病院には別れたと嘘の報告をする。
アンドリュースは病院を辞めたが、リムに説得され、指導医として復帰する。
三年目の研修医も手術ができることになり、四人の研修医たち(ショーンとモーガン、パク、クレア)は誰が一番最初に手術できるか気になる。
特にモーガンのリムへのごますりとアピールがすごい。
ショーンはカーリーとのことで頭がいっぱいで、同期の誰が最初の執刀医になるなんか気にしていないw。
最初の執刀医に指名されたクレアのところに、アパートを追い出された母親のブリーズがやって来る。
ブリーズは双極性障害でアルコールとドラッグの問題もあるトラブルメーカー。
一週間で次の部屋をみつけるという約束でアパートにおいてやることにする。
クレアの手術デヴューは成功するが…。
モーガンには秘密があった。
それは彼女のこれからに関係すること。
何故、彼女は外科医であることにこだわるのか。
グラスマンはデビーと結婚することにし、市役所を訪れるが、土壇場で逃げ出す。
しかし、ショーンの言葉で彼は自分の気持ちに気づき、再度プロポーズをする。
互いのことをよく知らないで結婚したため、グラスマンはデビーとの暮らしに驚くことになる。
パクの大きな活躍はなかったのですが、彼は大人な態度でみんなに接しています。
担当した患者の手術をショーンに奪われても恨むわけでもなく、ショーンがパニクッても、彼のフォローに回るという、そんな彼に好感がもてます。
エピソード10でショーンはグラスマンとリアに付き添われ、故郷のワイオミングに帰ります。
父親が膵臓癌になり、最期にショーンと話がしたいというのです。
二人の再会はどうなるのでしょう。
患者たちも様々です。
認知症の夫にガンが見つかったという老夫婦、結婚式を挙げたばかりの妻にガンが見つかった新婚夫婦、今回、右目を摘出すると失明する少年、骨盤内にガンが見つかり、子供は持てるが、セックスはできないと言われたカップル、左肺全摘と診断された宇宙飛行士、痴漢から女性を助け、犯人にスケボーで殴られ、頬とあごの骨を複数骨折した男性etc.。
こういう患者たちとどう関わっていくのかも、このシリーズの見どころです。
後半がどうなるのか、続けて見ていきます。
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