南淵明宏 『医者の涙、患者の涙』2007/05/02

心臓外科医の南淵医師を知っていますか?
この頃テレビにも出ているので、見たことのある人がいることと思います。
ちょっと小太りの、優しそうな顔をした人です。
私は勝手に脳の手術をするなら、旭川赤十字の上山医師、心臓なら南淵医師と決めています。
彼は何の挫折もなく、医者の道を歩んでいったのだと思っていました。ところが、違ったのです。

小学校4年生の時に、父親が失踪。
中学校の時に学生寮に入り、高校1年の時に立川の総合病院で受けた仕打ちから、医療不信を持ったそうです。
そんな彼が何故医者になったのか?
自分で「私が俗物だったからである。」と書いています。
こういうことは、普通は書きませんね。
試験で高得点を上げ、偏差値が高ければ、医学部に入学できる。
立川の病院の出来事で、「なんだ、こんなバカでも医者として通用するんだな」と思ったそうです。
そういう気持ちで医学部に入ったら、なんとカリキュラムがとっても古臭く、医大生は講義に出ないというのが常態化していたそうです。
まさか、今もこうではないですよね。(そう思いたいです)

その後、医局に入ったのですが、なかなか手術をさせてもらえません。
そこで、オーストラリアに修行に行き、心臓手術の技術を磨きました。
日本に戻り、心臓外科部長になり、手術をしていたのですが、1996年8月、誰も彼の手術を手伝わないと宣言されたのです。
これが彼の最大の挫折だったようです。
しかし、彼は彼の患者さんに救われるのです。
彼が一人一人の患者と真剣にかかわってきたからなのでしょう。
彼はこう書いています。

「自らの才能を見出すのは、自分自身でしかない。自分を信じて何かをやり遂げたいと強く思うからこそ、才能は芽吹く。たとえその過程で傷つくことがあったとしても、それらはすべて才能を磨くことにつながり、自分を高めていく材料になる」

挫折をどう自分の中でよい方へと転じていくのかが、難しいですね。
悪いことがあっても、それを悪いことと取らない。そういう気持ちが大事なように思います。

南淵医師は我々患者に、「患者も患者のプロになる必要がある」と言っています。
日本人に多い、わからないから医者にまかせる(特に大学病院などの)という態度が良くないというのです。

「医療で人命が失われるなどの結果が生じた場合、医者や病院を選択したその人にも、相応の責任が生じるのではないだろうか。」

命にかかわる手術をする場合は、自分で出来る限りの情報を仕入れ、どの医者に手術をまかせるのか、それぐらいのことはするのが、我々患者側に必要なことなのです。

父が病気で入院していた時に、ある大学病院の医師の言葉と態度に傷つけられ、もうその病院には行きたくないと言い出しました。
私は娘が東京の病院で診てもらったらと言っているからと言って、紹介状を書いてもらえと入れ知恵をしたのです。
そこで、父は東京のキリスト系の病院に行ってみたのですが、そこの医師はいい方で、父親を優しく諭してくださったそうです。
北海道から東京に通いきれるものではないから、道内の病院に行った方がいい、そして希望する病院への紹介状を書いてくれると言ってくれたそうです。
父は今、他の大学病院に行っています。
私が死ぬときは、そのキリスト系の病院のホスピスに入院したいと思いました。
そういえば、眼科の先生は高校時代にアメリカにホームステイしたとき、ホームステイ先の父親が医者で、その姿に感化されたと言っていました。
患者のことを真剣に考えてくれて、時にはきついこともいう医者は大事にしなければなりませんね。

いろいろと病気をして、思ったことがあります。
良い医者に会うのは、宝くじに当たるぐらい難しいと。

南淵医師にまた惚れ直しました、笑。