重松清 『小さき者へ』2006/07/09

重松は本当に泣かせどころを知っています。
なにげない日常の一こまを描いてはいるのですが、そこに何らかの意味を与え、解答を出さないあざとさ。
うまい作家です。
『小さき者へ』には6つの短編がのっています。
そのどれもが、夫婦と子どもの家族の話です。

「海まで」は、老いた母親の住む故郷に里帰りをしつつも、いつまで母を一人で置いておけるのか、その答えを出ししぶっている息子が出てきます。
彼には2人息子がいて、それぞれタイプが違います。
次男が生まれるまではおばあちゃんのお気に入りだったのに、今は何事にも屈託のない次男に自分の場を奪われてしまった長男。
その長男の気持ちを推し量っている息子は、母に長男に対する態度を変えない限り、もう来ないと告げます。
母は何も答えず、墓参りに連れて行って欲しいと頼みます。
漁村の高台にある墓には今の母は一人で行けません。
結局、結論も何もなく、すべて空に浮いたまま、物語は終わります。
本当に何気ない日常のヒトコマなのだけれど、でもそれはそれぞれの人に特有で、答えはありません。
それぞれが自分なりに答えを出すしかない、そのことを重松は言っているのでしょうか?

「団旗はためくもとに」から。

「・・・人生には押して忍ばなきゃいけない場面がたくさんあるけれど、いちばんたいせつなのは、なにかに後悔しそうになったときなんだ。後悔をグッと呑み込んで、自分の決めた道を黙々と進む、それが『押忍』なんだ、人生なんだ。決断には失敗もあるし、間違いもある。悔しいけれど、自分のスジを曲げなきゃいけないときだってある。そういうときも、『押忍』の心があれば、いいんだ」

彼が描いているのは、この『押忍』の心で生きているおじさんたちのつぶやきなのかもしれません。
人生って辛いね、でも後悔してるって言えないね、そういう気持ち、わかっているよ、がんばろうねっていう・・・。
重松の世界はおじさんたちのメルヘンなのかもしれません。

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