「北の果ての小さな村で」を観る2021/07/24

映画で海外旅行ということで、暑い夏に、寒いグリーンランドに行ってみました。
グリーンランドは1721年から1953年までデンマークの植民地で、1979年に内政自治権を獲得しています。
(ネタバレあり)


デンマーク人のアンダース・ヴィーデゴーはグリーンランドで教職に就こうとします。彼は教師の経験はありませんが、私立や公立の学校や海外で実習をしたことがあります。上手く採用され、彼の赴任先の候補地は3つありました。
首都のヌークと人口200人のタシーラク、そして人口80人のチニツキラーク。
彼が選んだのはチニツキラークでした。
彼を面接した女性は彼にこう言います。
「グリーンランド語は学ばないで。言葉がわからなくて苦労するのは彼らなのよ。あなたはデンマーク語を教えるのよ。言葉を学ばずに私は10年間住んでいたけど、問題はなかったわ」

アンダースの一番の問題は父でした。
彼の家は7代続く農場で、父は彼に農場を継いでもらいたいのです。

友だちに送別会をしてもらい、アンダースはチニツキラークに向かいます。
周りは雪と氷の世界です。
村に着くと子ども達は歓迎の歌で迎えてくれました。
しかし生活は今までのようにはいきません。水道はなく、貯水タンクを使います。
シャワーや洗濯はサービスハウスで8時から3時半までの間にしなければなりません。トイレの汲み取り屋は週に3回しか来ません。
夜になると犬たちが吼えて眠れないこともあるとか…。

学校が始まりました。
子どもたちは騒ぎまくり、席に着こうとはしません。
デンマーク語を話そうとはせず、グリーンランド語で話します。

アンダースはアサーという男の子のことが気になります。
彼は祖父母と住んでいますが、理由を聞いても応えてくれません。
昼食もアサーが他の子以上に食べるのです。
学校で働いている女性に聞いてもアイスランド語で返され、何を言っているのかわかりません。
彼女は「何でもデンマークと同じように思うな。私たちを見下だす高慢な態度だ」と言っていたのです。

アンダースの面倒をみてくれているジュリアスに話してみると、ここでは養子縁組をして祖父母と暮らす子どもが珍しいことではないことや、仕事がほとんどないので、多くの住民が国から援助をもらっていることなどを教えてくれました。

アサーが学校を休みます。心配になったアンダースはジュリアスと一緒に家に行くと、アサーは祖父と犬ぞりで狩りに出かけていたのでした。
学校の授業に遅れると言うと、デンマーク流の教育はしないでくれ。人生に必要なことはすべて祖父が教える。アサーの夢は猟師になることだから、学校よりも祖父と過ごして欲しいんだと祖母は言います。
ジュリアスはみんな彼女のように考えているわけではない。学校へは来たい子が来ればいいんだと言いますが…。

アンダースは孤立していきます。
学校では注意しても子どもたちは笑うだけ。親を呼んでも来ないし、友人もできない。仲間はずれで、パーティにも呼ばれず、道で会っても無視される…。

寂しく一人で年末を迎えていると、外では花火を上げて騒いでいます。
外に出ると、そこには美しい風景がありました。

アンダースはチニツキラークの暮らしを理解し、村人たちに心を寄せようと努力することにします。
地元の猟師のトビアスから狩猟の旅の話を聞いたり、そりを作ってもらい、ジュリアスにそりの乗り方を教わり、魚の干物を作り、アイスランド語を学んだりします。

トビアスと釣りに行っていた時にジュリアスがやって来ます。
そしてアザラシは家で食べるために捕っている。皮は安い。猟師になるには小さいうちからやらなければ手遅れになる。ほとんどの村人は村から出たことがない。村の仕事はせいぜい15種類ぐらいしかなく、将来のために子どもたちは何を学んだらいいのかわからない、などと村の現状を話してくれました。
アンダースは村の子どもたちに教える必要のあることは何かを考えていきます。

アンダースはトビアスを授業に連れて行き、子どもたちに猟の話をしてもらいます。
子どもたちはトビアスに色々な質問をします。
彼らの目はキラキラと輝いています。

トビアスとオーロラを観ていると、トビアスは子どもの頃、あれは動物の魂がセイウチの頭でサッカーをしているのだと言われた。デンマークにオーロラがないというと、あんたの故郷はつまらない寂しい国だと言うのでした。
オーロラは口笛で呼ぶと来るので、怖くなって犬の糞をなげつけたもんだと言って帰っていきます。
アンダースはそっと口笛を吹いてみます。

そんなある日、アンダースは、トビアスとジュリアス、アサーとそりの旅に出かけます…。

英語を話す外国人に日本語が話せない人が多いような気がします。
何十年と日本に住んでいるのに、日本語を話せないのです。そういう人と会うと、不思議に思います。話さなくても十分暮らしていけるから話さないらしいのですが、なんか変ですよね。
この映画でもグリーンランド語は学ばなくてもいいと言う女性が出てきますが、それって驕りですよね。
住民は彼女には気を許さず、適当に接していたのでしょうね。
それはそれで彼女には良くて、特にアイスランドの人たちと仲良くなる必要性も感じなかったのでしょうね。
アンダース君は彼女とは違う個性の持ち主だったので、住民たちの中に入っていくことを選びました。
アイスランドの景色や風習、文化、価値観などがアンダース君と合ったのかもしれませんね。

そりの旅で「デンマークに帰りたいか」と聞かれ、アンダースがごちゃごちゃと言っていると、「デンマーク人は何でも複雑に考える」といわれる場面があります。
デンマーク人でなくても、私たちは何でも複雑に考えがちです。
何でもシンプルに考えると良いのでしょうね。

予告編を観てみてください。自然の美しさにこころが奪われます。
オーロラを観てみたいとか、犬ぞりに乗りたい、鯨をみたい…ときっと思いますよ。