鴨川に行く①(大山千枚田の桜と天津神明宮) ― 2025/03/31
桜を見に千葉の方へ行って来ました。
ホテルか何かのインスタで大山千枚田の桜がオススメと書いてあったので、11月にも行ったのですが、また行ってみました。
(*11月の様子はこちら)

今回は田んぼに、水が張られています。
右側の木は桜ではなくて、アンズの木です。もう花が散っています。

思ったほど桜の木は多くないです。

久しぶりに見たタンポポ。

兄は車が苦手です。
海ほたるが満車だったので、外に出られず、君津PAまで乗っていたので、兄は車の中で吐いていました。
それでも外に出ると元気一杯で、グイグイ歩きます。
坂道もものともしません。

桜が咲いているところまで行ってみました。

わんこたちはなかなかジッとしてくれません。

桜はどこ?

お座りと言っても、お座りせず。前を向いてくれただけましです。

パパがお水をあげようとしているのに、無視をするわんこたち(笑)。
まだホテルのチェックインまで時間があったので、天津神明宮に行ってみることにしました。
千枚田から30分ぐらいかかりました。

ここの鳥居は伊勢神宮と同じタイプのものだそうです。
境内はペットを連れて行けないので、パパとママは別々に拝んできました。

鳥居を入って左側に県指定天然記念物「まるばちしゃの木」があります。

この木かしら?

私の前に拝んでいる女性が長くて、何を拝んでいるのかしら。
そんなことを思ってイライラしたせいか、おみくじを引くと、「小吉」でした。
アララ。
気にせず、これからよくなると思いましょう。

パパが戻るまで暇なので、わんこたちと黄色い花を撮ろうとしたら、珍しく二匹ともにお座りしました。
しかし・・・。なんでヨーキー弟は後ろを向いているのでしょうか。
ホテルにチェックインし、お部屋で自由にさせると、弟はすぐに座っているママのところに来て、膝の上にのります。
弟はジャンプ力があるので、椅子に飛び乗ります。
兄は椅子にはのれないので、ママが椅子の上にのせてやります。
弟は自分で椅子から下りますが、兄は下りれません。

兄はママたちが何をしているのか気になるみたいです。
見栄えが悪いのですが、絶対にお部屋で粗相をさせないように、しっかりとマナーベルトをし、いつも取れないようにガムテープでとめています。

二匹がママの脚の上にのり、寝ています。重いんですが。
早めに餌を食べさせ、パパママは食事に行きました。

とても春らしい先付けです。

海のそばなので、お刺身が新鮮で美味しかったです。
明日は天気が悪そうで。どこに行きましょうか。
米子に行く③(米子城下町散歩) ― 2025/03/26
次の日の朝、ホテルでゆっくり朝食を食べ、9時過ぎに出かけました。
結構、朝から食べてしまい、お昼は食べませんでした。
鳥取のガイドブックを買ってみてみましたが、びっくりしたことに米子市については地図のみで詳しい情報が全く載っていません。
この頃のガイドブックにはグルメとショッピングしか載せないのでしょうか。
みんなネットで調べるようになっているので、紙のガイドブックも地図もなくなるんでしょうね。
仕方ないので、ネットで調べてみました。
帰りの飛行機が混んでいて、早い時間のしか取れなかったので、2時間ぐらいしか時間がありません。
お寺が好きなので、寺町付近に行ってみることにしました。
国道9号線を三の丸を通り過ぎて歩いていくと、賀茂神社天満宮があったのに、私は中に入らずに通り過ぎてしまいました。
何でお参りしなかったのか、今になって後悔しています。
しばらくすると、鳥取大学医学部付属病院があります。
この病院は2つも大きな駐車場がある、立派な病院です。

建物が古くなったので、建て替えの話が出ていて、隣にある泰山公園の土地が使われるようです。

チラッと道路からのぞいてみた泰山公園。ここも時間がないので、中に入りませんでした。
何故米子市に鳥取大学医学部と附属病院があるのかというと、第二次世界大戦中に軍医が不足し、軍医養成のため医専増設を文部省が考えたからです。
この時、鳥取市は昭和18年に起きた大地震で壊滅的な被害を受け、余裕がなかったため、米子市が適地であるとされ、昭和20年に米子医学専門学校が開校されたそうです。(鳥取大学医学部HP「医学部の歴史」より)
ずっと歩いていくと加茂川にぶつかります。
加茂川に沿って歩いていくと、立派なお屋敷がありました。

後藤家住宅です。

住宅以外に長楽軒と松風庵などもあるようですが、一般公開はしていないようです。
後藤家は石見国浜田の出身で、戦国末から近世初頭に米子に来住し、江戸時代に廻船問屋として財をなしました。
明治期に後藤家の養子になった後藤快五郎が山陰鉄道の建設に尽力し、「山陰鉄道の父」と言われているそうです。

加茂川はもともと外堀だったみたいです。
加茂川沿いに土蔵が沢山あったそうです。

土蔵も壊されてなくなっているようです。

加茂川にかかる京橋。
加茂川と京橋。京都と何か関係があるのかしら?

お地蔵さんがいました。
「橋守り地蔵」で交通安全祈願のお地蔵さんです。
上に白い紙と赤い紙が貼ってあります。
これは「札打ち札」といい、身内に不幸があったとき、霊を慰め、浄土に着かれるまでお地蔵さんにお守りいただくように、7日ごとに7回札を貼ります。
おしまいの四十九日目には赤札を貼り法要を行うという風習なのだそうです。
安永の初め頃に宮大工の彦祖伊兵衛が、加茂川で亡くなった子どもたちの供養のために、川や橋のたもとに36カ所の地蔵札所を奉納し、祠堂を建てたのが始まりだそうです。
旧加茂川の地蔵は平成28年に「地蔵信仰が育んだ日本最古の大山牛馬市」の構成文化財として日本遺産に認定されたそうです。
お地蔵さんは二千体以上あるそうです。
この辺りにお地蔵さんがいくつかあるそうなので、探しながら歩いてみましょう。

「判屋船越家」。
米子には京都と同じように町家があります。
この船越家の住宅は主屋、土蔵2棟、裏門からなる町家だそうです。
船越家は江戸時代初期に備前岡山から移り住み、代々船問屋を営んできた有力商人だったそうです。
米子には約700の町家が残されていますが、壊される傾向にあるそうです。
ホテルにしたり、お店にしたりしてでもいいので、保存してもらいたいですね。
米子の町家は京都のとは違い、入ったら土間があり、吹き抜けになっていて、大きな神棚があるそうです。
竃は外にあり、坪庭ではなく、庭園があったりと、京都のよりは大きいみたいです。

裏門と二つの蔵。左側の蔵には窓がありますが、戦時中に人に貸し、部屋として使っていたそうです。

京橋を渡ると、「橋番地蔵」があります。「お許し祈願」のお地蔵さまです。
京橋の袂に刑場があり、罪人が百叩きの刑を受けた後に泣いてお詫びして帰ったそうですww。
お地蔵さまは閻魔様ですからね。
このお地蔵さん、よくみると、丸い石のままです。ただの石でもお地蔵さんにしちゃうんですね。

「米子まちなか観光案内所」も町家で、旧外江屋店舗(旧海産物問屋)だそうです。
中に入ると、お土産物や飲み物などを売っています。蕎麦なども食べられるそうです。ガイドも一時間2000円でしてくれるそうです。
町家を改築しているので、右奥に行くと町家らしい大きな神棚と明かり取りがあります。

正面の神棚。

左側の神棚。何かを入れる引き出しかと思いました。

振り返るとこんなものがありました。

「げぎょ」といって、「防火のまじないを込めた屋根飾り」。
本当に米子城のものか?という感じですね。

道を見ると、真っ直ぐではなく、ズレています。

「鹿島小路」。「小路」は「しょうじ」と読みます。この辺に沢山小路があります。(参考:「なつかしの小路と町家めぐり」)
鹿島家は岡山から行商に来ているうちに定住した、米屋、質屋と手広く営んだ豪商で、ここら辺の土地を持っていたようです。
米子城の小天守再建の費用を肩代わりしたのですが、お金は戻らず、その代わりに下贈された鯱(しゃちほこ)が残されています。
鹿島茶舗が本家だそうです。
寺町の方に行ってみましょう。

立派な門のお寺は心光寺です。
本堂は焼失後、昭和49年に再建されたようで、コンクリート製です。

鐘楼も立派です。
このお寺は庭園が有名で、豪商のお墓もあるそうです。

ここにもお地蔵さまがいました。
「心光寺地蔵」です。子安祈願だそうです。ぼけてますが(恥)。

この通りにお寺が九つほど並んでいます。

アラ、お地蔵さまじゃないのに、札打ち札が貼ってあります。
石ならすべてがお地蔵さまなんですかあwww。

「妙善寺小路」。
米子を代表する小路だそうです。
町家、お地蔵さん、お寺、鳥取大学医学部、米子城が見えるからです。

「与太郎地蔵」。新転祈願です。
毎年8月23日の地蔵盆の宵祭りに、近くの遊園地に移されますが、いつもちゃんと戻ってくるので、新転祈願なんだとか。

明治元年創業の駄菓子屋の「岡本一銭屋」。
江戸末期の町家で、二階建てに見えますが三階建てで、大正時代の一銭硬貨をあしらった看板です。

享和元年(1801年)創業の老舗のお茶商、ながた茶店。
つし二階、漆喰壁、虫子窓、うだつなど良質な町家だそうです。

かわいらしい「つなぎ地蔵」。良縁祈願だそうです。
この地蔵の制作は安来市の石彫刻家清水洋一氏で、後ろの詩句は仏教詩人板村真民氏のもの。

江戸時代に木綿問屋を生業にした豪商の坂口家住宅。
そういえば心光寺にお墓があり、米子市寄贈の燈籠がありました。

門の屋根から松が顔を出しています。

向かい側も坂口家の住宅のようで、この門は戦後、天皇陛下が坂口家にご宿泊した時以来、開かずの門になっているそうです。

右奥が坂口合名ビルで、地方財閥坂口平兵衛が昭和6年に本社ビルとして建てた近代洋風ビルです。

町家はレストランや飲み屋、ショップなどになって使われているようです。
このお店、女性に人気らしいです。次回に行ってみましょうかね。
最後に2つ、お地蔵さんに会って来ました。

「出現地蔵」。立て直し祈願のお地蔵さまだそうです。
木下薬局の徳子さんが7歳の時に、観世音菩薩のお告げを聞き、加茂川の井戸を掘り下げたところ、お告げとおりの地蔵尊が現れたそうです。

最後は「咲(わら)い地蔵」。
もともとは左端のお方が祀られていたそうです。
笑い人生祈願といって、とてもいいお地蔵さまですね。
このお地蔵さまは心が広くて、どんなお地蔵さまでも受け入れるそうです。
出現地蔵さまから拒否された方もここにいらっしゃるとか。
一番人気でしょうかね。
笑いが多い人生になるように、拝んでおきました。
ここで時間がなくなったので、ホテルに荷物を取りに行って空港に向かいました。
初めての米子でしたが、十分楽しめました。
米子市はこれから海外の裕福層向けの観光地を目指していくそうです。
行くなら今のうちかもしれません。
<注意事項>
米子のバスは現金のみで、運賃箱に入れてしまうとお釣りが出ません。
知らずに入れてしまい、「お釣りは出ません」と運転手さんに言われてしまいました。
忘れずに両替しましょう。

お土産物を並べて写真を撮ろうとしたら、食いしん坊の兄がやって来て、蒲鉾の匂いをかいでいましたww。

買って来たのは、夫用の辛口のお酒としじみと羊羹などです。
何故かお座りした兄。
兄には何もありません。ごめんね。
でも君はママが帰って来ても塩対応だっだもんね。
弟はものすごい勢いでママに抱きつき、匂いをかいでいましたよ。
今度はどこに行こうかしら。
ひとつ行きたいところがあるんだけど。
「ママ、いい加減にしてください」by ワンコズ
*米子について詳しく知りたい方はこんなHPを見つけたので、見てみて下さい。
足利に行く ― 2025/02/10
一度、有名なあしかがフラワーパークに行ってみたいと思っていました。
藤の花が咲いている頃は人が多そうなので、イルミネーションの頃はどうかと思い、行ってみました。
まず、最初に腹ごしらえです。
ココ・ファーム・ワイナリーに行きました。

平均斜度38度という急な斜面に葡萄畑があり、その前にショップとカフェがあります。
アラカルトメニューの場合は、ショップの奥の席で、コースメニュー(要予約)は別の部屋になるようです。

コースはここの中で食べます。

こちらはあまりお客さんはいませんでしたが、カフェの方はほぼ満席でした。
季節のコースは4800円です。

前菜。

海老と野菜(忘れました)のリゾット。

メインは豚肉のローストとパン。

デザートはプリン。ちょっと固めでした。
ケーキが食べたかったです。
これにコーヒーか紅茶がつきます。
食欲旺盛な男性にはちょっと物足りないかもしれません。
食事の後にワイナリー見学をしました。
斜面の葡萄畑が開かれたのが昭和33年で、特殊学級の中学生たちと担任教師の川田昇によって2年がかりで開墾されました。
教師でお金がなかった川田さんが買えたのがこの土地でしたが、陽当たりと水はけがよく、葡萄栽培には最適でした。
この畑は過保護にされ、あてにされることのなかった障がいを持った子どもたちに大切な役割を果たしてくれたそうです。
この葡萄畑の麓に、知的障がいをもつ人たちの自立支援を目的に、こころみ学園が設立されたのが昭和44年。
だんだんと葡萄が売れなくなってきたので、葡萄でワインを作るために、学園に賛同する保護者たちの出資によりココ・ファーム・ワイナリーができたのが昭和55年。現在では100名以上の方が働いているそうです。
詳しくはこちらをご覧ください。
ここでは化学肥料や除草剤などを使っていないそうです。
私たちは昔からSDGsを実践してきましたとガイドさんが言っていました。
草取り、大変です。私にはできませんわ。(膝が・・・)

果汁に酵母を入れて発酵させるタンクが並んでいます。

ぶどうを集めて絞る機械。

ここで生徒たちがラベルを貼ったり、箱詰めしたりするみたいです。

左の小さな村入り口から貯蔵蔵に入っていきます。

小さな窓から覗いてみました。Bottling Roomって書いてあるのかな?

ワインを寝かす樽たち。
ワイナリー見学というよりもこころみ学園の成り立ちを聞くという感じでしたが、ワインに興味のない私にはよかったです。

ワイナリー見学の後に試飲もできます。
飲めないので、ジュースです。

古い樽の上にガラス板をのせて、テーブルになっています。

かわいい羽のあるねこちゃんを見つけました。
お土産に夫がフルボディの赤ワインがいいというので、「陽はまた昇ぼる」とカマンベールチーズを買いました。
イルミネーションまでまだ早いので、日本名水百選に選ばれているという出流原弁天池湧水に行ってみました。
磯山公園の中にあるみたいです。

水がとても透きとおっています。

鯉たちもこういう所に住めると嬉しいでしょうね。

涌釜(わっかま)神社。

手水鉢に花をいけるのがいつから主流になったのでしょうか。

白蛇弁天?
蛇がいました。水が出ていますが、飲めないようです。

磯山弁財天は十二年に一度のご開帳のために工事をしているので、行けませんでした。残念。
御朱印張は池のすぐ前にある「ホテル一乃館」で頒布しているそうです。
4時になったので、あしかがフラワーパークに行ってみます。
蛇窪神社に行く ― 2024/12/31
蛇を祀っている神社で調べてみると、奈良の大神神社や熊本の阿蘇白水龍神權現など遠くの神社が出て来ました。
都内では品川区に蛇窪神社がありました。
年が明けると混むと思うので、年末ですが、早朝に行って来ました。

鳥居をくぐると、一粒万倍の石像があります。

右側の石像は隠れて見えませんでした。
左側に赤い鳥居があり、法蜜稲荷社があります。

願掛け水掛宝珠があったので、水をかけました。
願いが叶うかしら。
持ちあげて軽いと感じれば願いが早く叶うという重軽狐石や運玉投げがありましたが、運玉がひとつも置いていないので、できません。
おみくじも早朝だったんで、用意ができていません。
早く来すぎたのかもしれませんが、時間が経つとだんだんと人が多くなったので、まあ、仕方がないでしょう。

手水舎に菊の花が飾られています。

綺麗ですね。

菊も色々な種類があるのですね。
参拝順序があるようですが、私はよく調べずに行ったので、順番が違ってしまいました。順番を書いた紙が貼ってあるので、よく読んでからお参りしましょうね。
神様は順番を守らなかった私を許してくれるでしょうかww。
まず、撫で白蛇で再生・気力の復活、開運を願います。

次は蛇窪龍神社で拝みます。

そして、白蛇種銭をひとつ取り、石臼の金杯に乗せて三回、ゆっくりと銭回しをします。
その後、ザルに白蛇種銭と自分の種銭を入れ、水鉢の中に浸して清めます。

白蛇種銭は財布に納め、自分の種銭は自宅に保管します。
最後は白蛇辨財天社で拝みます。

本殿では自分の名前やどこから来たのかなどの自己紹介に留めたほうが良いそうです。

なかなか地味な味のある社殿です。

福活岩と親子岩で、悪運・悪縁・病気など不要なエネルギーを取り払うそうです。
左側にあるのが愚痴壺。
九時ぐらいになると、人がやって来て、混み合ってきました。
へび年なので、お正月はいつも以上に混んで大変でしょうね。
後でわかったのですが、葛飾区の葛西神社に厳島神社があり、白蛇さんがたくさんいらっしゃるそうです。撫蛇様もいますよ。
年が明けてから行って来ようかしら。
皆様、今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎え下さい。
長崎旅三日目・中通島 ― 2024/12/26
最終日です。家に帰れるかどうかはジェットフォイルが出航するかどうかにかかっています。
朝の6時半の段階では出航予定です。
朝食を食べてから、福江城跡に行ってみることにしました。
ちなみにこの日の日の出は東京は6時49分ですが、長崎は7時20分で、日の入りが東京は16時34分、長崎は17時21分です。
大分違いますね。

ホテルから出た時の福江港はこんな感じでした。
歩いていても出会った人はひとりでした。

福江城(石田城)は残っていませんが、石垣が残っています。

横町口蹴出門と石垣。
石橋を渡って中に入ると、左手に国の名勝に指定されている五島氏庭園があるようですが、早朝なので、入れませんでした。

歩いて行くと、本丸跡は長崎県立五島高校になっています。

朝早いというのに、生徒たちが登校しています。真面目な生徒たちですね。

左側が保育園で、右側が石垣です。

横町口蹴出門の前の石橋。

暗くてよく見えなかった外堀。

だんだんと日が出て来ました。
道を歩いていると、平和な町のはずなのに、数分の間にパトロールカー二台と会いました。何かあったんでしょうか?

フェリーが出ていくようです。

かもめが沢山飛んでいました。

福江島は良いところです。
米は採れるし、近大マグロなどの刺身や五島美豚や五島牛などの肉がうまいし、景色も綺麗だし、住んでもいいかもと、歩きながら思いました。
そうそう、武家屋敷もあったらしいのですが、調べていなかったので行けませんでした。ダメですねぇ。これからはちゃんと調べましょうね。
心配していたジェットフォイルが定時に出航しました。
座席指定があり、外には出られません。
30分ぐらいで中通島の奈良尾港に到着しました。
ちょっと揺れましたが、あっという間の到着でした。
船から降りる時にハプニングがありました。
私のスーツケースが見当たらないのです。何回探してもありません。
船員さんに聞く前に、もう一度スーツケースを置いたところを見に行ったら、ありました。
誰か間違えて持っていって、まずいと思って置いて行ったのかしら?
変ですね。私のスーツケースはあまりない柄で、上に焼酎の入ったマリメッコの買い物袋がのっていたので、間違えようがないと思うのですが…。
意外と人のスーツケースを持って行く人がいるようなので、気を付けてくださいね。
中通島は人口約一万六千人で周囲約278㎞の入り組んだ海岸線の島です。
南風が強く、95%が山で、川はありません。川の様に見えても海なんです。
昔キリシタン三千人が自分たちの命と信仰を守るために、開拓民として福江島に渡ったそうです。
ちなみに上五島にある29の教会は今も使われているそうです。
福江島とは違い米は育たず、小麦を育ててうどんを作ったそうです。
五島うどんは中通島から始まったのですね。
うどんはお歳暮にすることが多いらしく、12月はうどんの製造所が一番忙しい時期だそうです。
水は豊富ですが、雑木林ばかりなので、家を作る時は木材を運んで来なければならないそうです。輸送費が相当かかりそうですね。
塩水に強い椿が古くから自生していたそうです。
漁業の島で、ハマチやマグロなどの養殖をして、中国などに出荷しているそうです。ここのマグロは近大マグロではないそうです。
この島にある上五島国家石油備蓄基地は「浮遊式海洋構造物(洋上タンク方式)」による世界で最初の洋上石油備蓄システムをとっているそうです。
貯蔵船1隻あたりの貯油能力は世界最大の88万㎘で、五隻あるので、合計440万㎘になります。
この会社では約200名ほどの人たちが働いているそうです。
通勤はもちろん船です。
見学できるようなので、次回見学してみたいですね。
今は人口増加を考えるのではなく、人口減少対策を考えているそうです。
大学には離島推薦制度などがあるそうです。

国指定重要文化財に登録された赤レンガの青砂ヶ浦教会。
1878年頃には初代教会があり、1899年から青砂ヶ浦が上五島の中心の教会となったそうです。
1910年建立の三代目の現教会は、鉄川与助が設計施工したもので、信徒が総出でレンガを運び上げたといいます。
残念ながら中は見られませんでした。

教会の門の前に建っている大天使ミカエル像。
ミカエルが悪魔を踏んづけています。

屋根は瓦です。

可愛らしいマリア様です。

この後、有川で昼食です。

途中に鉄川与助が設計施工した、元海寺のレンガ造りの山門が見えました。
鉄川与助は明治12年生まれ、長崎県南松浦郡新上五島町丸尾郷出身で、大工の棟梁の家に生まれ、布教でやってきた宣教師のもとで西洋建築を学び、長崎県を中心に多くの教会堂建築を手がけています。彼自身は生涯仏教徒でした。
木造やレンガ造、石造、鉄筋コンクリート造などの教会堂34箇所、寺院3箇所の設計施工に携わっています。

昼食は五島地獄炊きうどんと海鮮丼。
うどんをすくうための歯が五本ぐらいしかない「うどんすくい棒」というものがあるんですね。便利です。五島うどんは椿油を使っているので、時間が経ってものびにくいそうです。
うどんはあごだしにネギ、ショウガなどの薬味を入れて食べます。
海鮮丼はもう少し刺身が多かったらいいのにww。
昼食場所の近くにスーパーのエレナ有川店があるので、五つ星があるかどうか見に行きました。
そうすると、いつもは売り切れているというのに、ありました。奇跡です。
それにGOTOGINよりも安くていいですわ。
旅の最後はユネスコ世界遺産の頭ヶ島の集落に行きました。
「病人の療養地として使われた島に開拓移住することによって共同体を維持した集落」だそうです。
もともと頭ヶ島は無人で、1858年から開拓が始まり、1864年にキリシタンが移住したそうです。
先に移住した仏教徒の人たちはキリシタンかどうかは不問にしたようです。

頭ヶ島天主堂。
逆光でどういう風に撮れているのかわかりませんでしたが、見てみるととても幻想的に撮れていました。
この天主堂も鉄川与助の設計施工により、1910年に着工し、1919年に完成しました。石は地元の砂岩で、石積みなどに地元の信者が関わっていたそうです。
天井は二重の持送りハンマー・ビーム架構で、折りあげられているらしいのですが、建築に疎い私にはよくわかりませんわww。

内部を見学できました。(撮影禁止です。まっぷるの一番始めに載っているのがこの教会の内部の写真です)水色が可愛らしいです。
白いツバキの花も装飾として使われています。
ツバキは4つの花びらで表されていますが、実は花びらは1つしかないんですって。知りませんでした。4つで十字を表しています。
他にもハマギクやハマユウ、ユリなどの花が使われています。

教会の右横にマリアさまがいました。

教会から少し歩くと海になります。

海がとても青いです。

入り江になっているので、それほど風は強くありません。

海の側にキリシタン墓地があります。

結構大きな墓地です。
見学を終えて有川港まで戻りました。
心配だった高速船は出航します。長崎港まで約一時間四十分。
フェリーの三時間に比べると短いですが、始めの三十分ぐらいは結構揺れました。
ジェットフォイル同様に座席が指定されていて、外には出られません。
通路側に座り、頭を動かさないように、本も読まないようにして、できるだけ寝るようにしました。
帰りはすべて時間通りに進みました。
空港で長崎だからと夕食に皿うどんを食べました。
家に着いたのは夜の10時過ぎでした。
約一万二千歩、歩きました。
滞在中に気になった言葉が、「隠れキリシタン」と「潜伏キリシタン」、「一次離島」と「二次離島」です。
「江戸幕府の禁教下でキリスト教信仰を子孫に継承した人々のことを「潜伏キリシタン」、明治になり、一応、解禁状態になってもカトリックに戻らず、自分たちが受け継いできた潜伏信仰をそのまま続けた人たちのことを「隠れキリシタン」と、明確に区別しています」
「一次離島」は本土から直接行くことができる離島で、「二次離島」は直接行けない、近隣の一次離島から渡るしかない離島のことだそうです。
五島列島に二次離島が多いそうです。(「二次離島ってなんだろう?」参考)
家に無事に辿り着き、ワンコたちと感動の再会…なんかありませんでした、笑。
グースカ寝ていて、どちらの犬も起きません。
名前を呼ぶと、目を開けはしましたが、眠たいのか無視されましたwww。
ママがいなくても平気なのね。ママは悲しいです、なんて嘘です。
ママがいてもいなくても同じなら、いつでも旅に行けると思ったママでした。

堂崎天主堂のパンフレットに島の教会と巡礼地の地図があったので、載せておきます。
今回行った教会に印を付けてみました。
全ての教会に行ってみたいです。
冬は海が荒れるので、他の季節がいいようです。

買って来たのは、焼酎二本、あおさ、塩、ふしめんと五島うどん、椿油、ばらもん凧です。焼酎の前にあるのがルルドの聖水で、その前にあるのが堂崎マドレーヌです。貝殻二個もあります。
五島列島はいいところでした。また行きたいと思います。
次回はドライバーを連れて、島を巡りたいです。
*五島列島について間違っているところがあったら教えて頂けると嬉しいです。
長崎旅 ・福江島後半 ― 2024/12/25
午後最初に行ったのは、高浜魚藍観音展望台です。

この写真では見えませんが、観音さまは手に鯛を抱えています。
東シナ海の大漁と航海安全を祈願して建立された大観音です。

すごく見晴らしがいいです。

見える白砂のビーチが高浜海水浴場でしょう。
福江島にはこういう海水浴場が沢山あるようです。

高浜ビーチで貝拾いをしましたが、二個で止めました。
風が強く、寒いですが、海はいいですねぇ。

次の所に行く途中にクジラのアーチがありました。
五島列島は昭和30年代に捕鯨が盛んだったそうです。

道端に教会のミニチュアみたいなものがあるので、何かと思ったら、今はもうない立谷教会跡地ということです。

横の道を辿っていくと上に十字があるキリシタンの墓がありました。

井持浦教会の入り口です。
今年五月に125周年のルルド祭を行ったそうです。

「いらっしゃい」と招いてくださっています。

「1897年建立のレンガ造教会が台風で倒壊し、1988年にコンクリート造の現教会」となったそうです。
1891年、バチカンにルルドの洞窟が再現されたと聞いたペルー神父が五島の信者に呼びかけて、島内の奇岩や珍石を集め、1899年に日本で最初のルルドを作ったそうです。

霊水は本場フランスの奇跡の泉から取り寄せたものを洞窟横の泉水に注ぎ入れたものだそうです。

残念ながら泉は湧いていないみたいです。しかし、右横に水を汲むところがあります。

ここに蛇口があり、水を注ぎ入れます。入れ物を忘れても大丈夫。教会の入り口で聖水入れを売っています。
私は少し飲んで、聖水入れに聖水を入れて持ち帰りました。
時間が経ってから飲むのも何ですので、お風呂に入れて身を清めていますが、いけないかしら?

屋根が瓦屋根になっています。

大瀬崎断崖展望所で東シナ海を見ました。
写真には見えませんが、中央の断崖に白い灯台があります。
灯台まで行けるようですが、往復一時間ぐらいかかるようです。
健脚の方、歩いてみて下さい。
でも、風が強い日に灯台まで行く時は気をつけてくださいね。
灯台は映画「悪人」のロケ地だそうです。

絶景ですが、風が強くて、寒いです。
第二展望台もあるそうですが、気がつきませんでした。
事前に調査しておかなければ…。
次の場所の鬼岳に行く途中の富江は珊瑚加工の名産地だそうです。
五島は明治時代以降サンゴの島として知られているそうです。
血のように赤いサンゴが一番いいものなので、お金のある人は買いましょう。
五島珊瑚資料館にはかわいいワンコがいます。体重が15キロぐらいあるそうで、うちのワンコが三匹いるようなもので、持ちあげようとしましたが、できませんでしたww。
最後の場所は標高315mの鬼岳です。
南伊豆の大室山のような感じです。

ロープウェイはないので、舗装された道を歩いて行きます。

とにかく風が強く、向こうの小高い山の上まで行こうとしましたが、風でさすがの私も飛ばされそうなので、止めました。

展望所がありますが、座るどころではありませんでした。

福江市街地。

かつて噴火した火山だそうです。


鬼岳四季の里という売店がありました。
お茶とかんころ餅をいただきました。
かんころ餅は五島の郷土菓子で、かんころはサツマイモを薄く切って日干ししたもののことで、餅にかんころを混ぜて作ったのがかんころ餅で、今も冬の保存食として各家庭で作られているそうです。

写真はばらもん凧です。
五島民芸のHPにこの凧の謂れが書かれているので、興味のある方はお読み下さい。
手書きの額入りばらもん凧を買って来たので、縁起の良い魔除け凧として、家の玄関に飾ろうと思います。
ホテルに帰り、食事まで時間があるので、福江教会のイルミネーションを観に行きました。

戸が開いているので、中に入ることができました。

教会の横にマリア様像があり、ルルドを模しています。
この教会は下五島地区で信者数が最も多く、市内の教会の中心的な役割を担っているとのことです。
夕食はホテルのイタリアンです。

前菜。魚が新鮮です。
この後、パスタと魚料理と五島牛。

デザートでチョコレートケーキとコーヒーをいただきました。
夫が五つ星を買って来て欲しいと言っていたので、地元のスーパー、エレナ福江店に行ってみることにしました。
エレナは月曜日に10%割引きだそうです。ただし、お土産類は割引きになりません。
五島つばき蒸留所のGOTOGINが評判だそうで、翌日、中通島に行くので、その時に五つ星がなければ買って帰ろうと思います。
この日は一万三千歩ぐらい歩きました。
フィンランド旅行③ーラーセポリ博物館とムーミン美術館 ― 2024/08/01
【第四日目】
二日間、ヘルシンキ市内を回ったので、この日はヘルシンキ郊外へ行くことにしました。
友人が大好きなヘレン・シャルフベックの絵がある、小さな博物館まで行きました。
博物館はラーセポリ博物館(Raaseporin Museo / Raseborgs museum)といい、タンミサーリ(Tammisaari / Ekenäs)という町にあります。
*(フィンランド語/スウェーデン語)
友人が交通機関を調べてくれたので、わたしはただ着いて行くばかりで、楽ちんでした。
VRアプリで電車の切符もバスの切符も買えました。
あまり電車やバスがないので、気をつけないと接続が悪く、帰りが遅くなります。
ちょうどヘルシンキからの電車が全線改良工事をしていたため、ヘルシンキからカリス(Karyaa/karis)までバス(片道10ユーロ)、カリスからローカル線(片道 3.40ユーロ)に乗り、タンミサーリ(Tammisaari / Ekenäs)まで行きました。
バスも電車も好きな座席に座れました。
田舎の風景が見られて、楽しかったです。
タンミサーリ駅から博物館(入館料12ユーロ)まではGoogleさんに頼りましたが、わたしの携帯では案内人が道から外れていて、不思議でした。
詳しい経路を知りたい方はこちらをご覧下さい。
ヘレン・シャルフベック(1862年ー1946年)の絵はシャルフベック館にあります。
絵の他に彼女が使用していた杖とかイーゼルとかもありました。
英語の説明書きがなかったのが残念です。
軽く彼女の生涯を紹介しときますね。
1862年にヘルシンキに生まれる。
3歳の時に階段から落ち、足が不自由になり、一生杖をつく生活をした。
小学校に通えず、家庭教師に教わる。
11歳の時に絵の才能が認められ、フィンランド芸術協会の素描学校で学ぶ。
1880年、≪雪の中の負傷兵≫がフィンランド芸術協会に買い上げられ、奨学金を得ると18歳でパリに行き、画塾アカデミー・コラロッシで学ぶ。

≪雪の中の負傷兵≫ 1880年 アテネウム美術館蔵
1889年、≪快復期≫で国際的な名声を得る。

≪快復期≫ 1888年 アテネウム美術館蔵
1890年にフィンランドに帰国。ヘルシンキの素描学校で教鞭を執る。
1902年に療養をかねてヒュヴィンカーへ引越し、母と暮らすが、その後15年間、家に引き籠もって制作に集中する。
1914年、フィンランドを代表する9人の美術家のひとりとして、フィンランド芸術協会から自画像を依頼される。

≪黒い背景の自画像≫ 1915年 アテネウム美術館蔵
1918年、内戦が勃発。タンミサーリに二週間滞在する。
1920年、フィンランド大統領から高位勲章の白薔薇勲章を授与される。
1923年、母が死去。
1925年、タンミサーリに引越す。
1939年、第二次世界大戦が始まり、フィンランドは冬戦争に突入し、シャルフベックはタンミサーリから北のテンホラにあるポルカの農場に疎開する。
1939年、第二次世界大戦が始まり、フィンランドは冬戦争に突入し、シャルフベックはタンミサーリから北のテンホラにあるポルカの農場に疎開する。
1944年、スウェーデンのサルトショーバーデンの療養ホテルに定住する。
晩年には自画像連作を描いて、1946年1月23日83歳で死去する。
大きな失恋をパリ時代とヒュヴィンカー時代に二回ほどしたようです。
写真が写せないので、どういう絵があったのか紹介できませんが、わたしが一番印象に残ったのが、彼女の自画像です。彼女は40点以上の自画像を描いたそうです。その中に彼女は自分の悲痛な思いを込めているのかもしれません。
入り口の壁に若い頃から順番に自画像の写真が並べてありましたが、晩年のものは…ハリーポッターに出てくるヴォルデモート卿かと思えるほどです(失礼)。
ショップとカフェがあったので、カプチーノを頼み、しばし庭でくつろぎました。

両側に犬連れの方々がいて、右側のわんこはご主人様がやって来ると、嬉しくて飛び上がっていました。か・わ・い・い。

ランチがまだだったので、駅までの帰り道の途中にあるカフェに入ってみました。

海老ののったオープンサンド(紅茶とともに7.50ユーロ)を食べました。
カフェの横から海が見えたので、行ってみることにしました。

石の教会が見えました。

通り過ぎていくと、パターゴルフをしている人たちがいます。

水辺に行くと、犬を連れて水の中に入っていく女性がいました。

わんこは水が好きなんですね。

もう一匹やって来ました。
お姉さん、スカートが短くて、お尻が見えていますよ。水着かな?
わんこがブルブルすると大変です。

浜辺になっていて、海水浴をしている人もいるようです。

空が晴れ渡っています。

ガレージセールかな?色々と古いいらなくなった物を売っていました。

海辺にはヨットが沢山停めてあります。
乗ってみたいですねぇ。
ヘレン・シャルフベックの絵も浜辺もよくて、ずっとここにいたかったです。
帰りは電車からバスに乗り込み、無事にヘルシンキまで戻って来られました。
【第五日目】
この日はタンペレ(Tampere)のムーミン美術館(Muumimuseo)に行きました。
前日にVRアプリで特急列車の切符を買っておきました。今回は座席指定しなければなりません。行きと帰りの運賃が違います。
1時間半で着く電車もあったのですが、少し運賃が高かったので、2時間ぐらいかかる電車にしました。行き、22.90ユーロ、帰り、23.90ユーロ。
ひょとすると、もっと前に予約するともっと安かったかもしれません。

わたしたちの前の座席にテーブルがありました。
長距離の電車には二階席や食堂車があり、犬禁止の車両もあります。
電車に乗っていて気づいたのですが、フィンランドの白樺って北海道のに比べると細いですね。寒いと白樺も大きくなれないのかしら?
ヘルシンキでは晴天で汗をかくぐらいの天気が続いたのですが、なんとタンペレではザンザン降りの大雨に遭いました。
ゴアテックスのスニーカーとポリエステルの服とパンツをはいていたので、わたしはそれほど被害はなかったのですが、友人はスニーカーがグッショリ濡れて、大変でした。
駅からムーミン美術館の道のりが遠く感じました。

この大きなタンペレホールの中にムーミン美術館はあります。

右側がホールの入り口です。

ムーミン美術館の入り口。
大雨にもかかわらず、ムーミン美術館(14.50ユーロ)には沢山人がいました。
人気なんですね。

美術館にはムーミンの挿絵の原画やスケッチ、5階建てのムーミン屋敷、本のワンシーンのミニチュアなどが展示されていて、日本語でもムーミン作品の朗読が鑑賞できます。
狭い部屋に人が多くて、わたしは疲れが出たのか、あまり見る気になれず、ほどほどに見て、お腹が空いていたので、カフェで食事をしながら友だちを待ちました。
そうそう、ムーミンの銅像は見に行きましたよ。といってもホール正面の左側にポツンとにありましたけどね。

かわいいムーミンです。
少し大きくしてみましょうか。

握手ができますね。
ショップは小さく、それほどムーミングッズが置いてなくて、残念でした。
帰る時には晴れていて、行きのわたしたちが歩いている時だけ雨が降ったようです。
帰りの道はあっけなく、こんなに駅から近かったのかと思うほどでした。
この後、パイプオルガンのコンサートに行くので、タンペレの町は見ずにヘルシンキに戻りました。

フィンランドの電車を載せておきます。

猫の絵が描いてあった電車です。猫はこの地方のマスコットなのかしら?
7時からヨハンネス教会(Johanneksenkirkko)でパイプオルガンのコンサートがありました。
この教会に行くにはソコスデパートの横にあるLasipalatsiから10番のトラムに乗ります。

トラムのJohanneksenkirkko駅からすぐの所にある、ルーテル派教会で、フィンランド最大規模の石造教会だそうです。

スウェーデンの建築家が多くの装飾や窓材料をスウェーデンから輸入して建てたそうです。

入り口の上、座席の後ろ側にパイプオルガンがあります。
コンサートは10ユーロで一時間でした。今回はパイプオルガンとバリトンの共演です。
<Program>
RICHARD WAGNER オペラ「さまよえるオランダ人」序曲
リヒャルト・ワーグナー 「ヴェーゼンドンク歌曲集」より
「天使」、「悩み」、「夢」
「タンホイザー」
ヴォルフラム:
Blick ich umher
Pilgerchor
Wie Todesahnung... O du mein
holder Abendstern
OSKAR MERIKANTO Rukous (祈り)
オスカル・メリカント Suvi-illan vieno tuuli (san. Eino leino)
(夏の夜の風)
Häähymni (婚礼讃美歌)
Juhana Kotilainen , baritone
Arttu Selonen, organ
プログラムに英語がない上に、「タンホイザー」のことをよく知らないので、ヴォルフラムの歌う歌をドイツ後のまま書いています。(どなたか教えて下さい)
Oskar Merikanto(オスカル・メリカント)はフィンランドの作曲家だそうで、フィンランド語の訳を載せました。

オルガニスト(前)もバリトン(後)の方も若いですね。バリトンの人の声がよかったです。
多彩なパイプオルガンの曲を聴きましたが、たまには正統派のバッハなども聴きたくなりました。
帰りにダンスをしている人たちを見かけました。

遠くから撮ったので、よくわからないかもしれませんが、昔のフォークダンス風の踊りでした。
楽しそうでいいですね。
この日は帰ってからハプニングがありました。
フィンランド旅行①ーヘルシンキ市内とパイプオルガン ― 2024/07/30
【第一日目】
フィンランドへの飛行機は夜の11時ぐらいに出発し、ヘルシンキに早朝5時頃着く便があります。
朝着いてすぐに活動するほどの元気がないので、日本を午前10時過ぎに出発するフィンエアに予約をしました。
ところが8時25分発のJAL便に変更になってしまいました。
朝が苦手なのに、家を五時過ぎに出なければなりません。
休日にもかかわらず、結構電車に人が乗っていて、驚きました。
仕事に行くのか、朝帰りなのか…?
空港は夏休みになったばかりなので、少し混んでいました。
アプリでオンラインチェックインをしていたので、自動手荷物預け機で荷物を預けます。
この時、バーコードをかざす場所がわからなかったり、バーコードをかざしてもなかなか読み取ってくれなかったりして焦りました。
FACE EXPRESSを使うために、顔情報を登録しようとしましたが、またバーコードをかざす所がわからず、やっと見つけてかざしてみても読み取ってもらえません。
他の人がどうやっているのかよく観察してからやってみると、見事成功ww。
バーコードはわたしには鬼門です。
バーコードやパスポートは下に向けましょうねww。
バーコードで苦労した以外は何事もなく、無事に搭乗でき、隣の席が空いていてラッキーでした。
窓からフィンエアのマリメッコ機体が見えました。

これに乗りたかったわ…。
機内では寝ないで映画を観まくりました。
観たのは「異人たち」、「アーサー・ザ・キング」、「バービー」、「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」の4本です。
「異人たち」は見る時に注意が必要です。男同士の…があるんですもの。
機内食の味はまあまあで、量は男の人には少ないかも。
メインの食事ではチキンか豚肉かを選び、デザートはハーゲンダッツのアイス、軽食としてツナサンドをもらい、最後の食事は無印のバターチキンカレーでした。
カレーが一番美味しかったです。
ヘルシンキに15時40分に着く予定でしたが、15時10分ぐらいに着きました。
早くホテルに行けると思ったら、とんでもなかったです。
入国審査場まで遠くて、その上、入国審査に時間がかかり過ぎでした。
フィンランド国籍のある人はパスポートを機械にかざすだけでOKですが、それ以外の国籍の人は入国審査官に呼ばれるまで待っています。
呼ばれても、なかなか終わらないんですよ。何を質問しているんだか。
わたしの時は一人で旅行するのかとか、何日間いるのか、他の国に行かないのかなどということを訊かれ、すぐに終わりました。
若い審査官でしたが、英語が聞き取りにくくて困りました。
入国審査に時間がかかったので、荷物はすでに出ていました。
空港を歩いていると、犬がいました。
フィンランドって犬がOKの場所が沢山ありそうです。
ヘルシンキ中央駅の近くのホテルに滞在するので、電車で行くことにしましたが、駅までもが遠かった。東京の大江戸線みたい。
切符の買い方はVlogなどを見ていたので、迷わず買えました。
空港からヘルシンキ駅までABCゾーンで4.10ユーロです。
電車に乗ると、思わぬことが起りました。
行き先に「Helsingin rautatieasema」がないんです。
心配になって乗っている女性に英語で聞くと、この電車でいいと言われました。
でも、行き先が…。
ここで閃きました。電車の場合、中央駅は「Helsinki」なんですよ。
アナウンスで「Helsinki Central Station」って言ってました。
「Rautatieasema」はトラムや地下鉄の駅なんです。
後でこのことを話すと、友だちも迷ったそうです。
私たちだけがわからなかったのかしら?
ヘルシンキ中央駅に着いたのが五時過ぎ。
お腹がすくかもしれないと思いキオスクでヨーグルトとクロワッサンサンドを買いました。
カードを使うと、日本語で指示されましたが、キオスクと空港以外では日本語表示はでないようです。
ホテルの部屋はツインでバスタブのついている部屋です。
しかし、バスルームのシンクの排水が悪く、ちょっと心配。
友人はイギリスから来たのですが、夜の11時過ぎにホテルに着きました。
【第二日目】

ちょっと薄曇りの朝。中央駅付近に人はそれほどいません。
まず最初にアテネウム美術館に行きました。
2019年に国立西洋美術館で日本とフィンランドの外交関係樹立百周年記念として開催された「モダン・ウーマン―フィンランド美術を彩った女性芸術家たち」展で印象的だったヘレン・シャルフベックの絵があるということで、最初に行くことにしました。
入館料は22ユーロで、特別展のエーロ・ヤルネフェルト展にも入れます。
財布以外の荷物をロッカーに入れてしまい、後で困りました。
せめて携帯を持っていれば、好きな絵を写真で撮れたのに。
そんなわけで、この美術館の詳しい情報はこちらのブログでご覧下さい。
ヘレン・シャルフベックの絵は数点しかなく、それもあちこちにあるので、ウォーリーをさがせ!状態でしたww。
子どもたちを描いた絵が可愛くて、好きです。
エーロ・ヤルネフェルト展はそれほどの規模ではないだろうなんて思っていたら、とんでもなかったです。展示されている絵画が多すぎです。
彼の後期の風景画が気に入りました。さすが雪国の人。雪の描き方が上手いです。
腰が痛くなってきたので、最後の方の肖像画は飛ばしました。
友だちとの待ち合わせまで後10分というところで、足と腰にきたので見るのを諦めてカフェに入り、カプチーノ(4.90ユーロ)を飲みました。
初めてのフィンランドのカプチーノは美味しかったです。
カフェは美術学校時代には彫刻のギャラリーだったそうです。
美術館の後はエスプラナーディ公園へ。

銅像の頭の上にカモメがとまっています。
カモメは人の頭の上が好きなんでしょうか。

かわいいわんこがいました。オペラ座の怪人風なので、名付けて仮面わんこ。
この公園は小さいですが、芝生があるので、寝そべったり、ピクニックしたりするのがよさそうです。
ヘルシンキといったら、ヘルシンキ大聖堂でしょう。

雲が多いですが、雨は降りませんでした。
ここの階段を上るのは嫌でしたが、仕方なく上りました。
意外と上りやすく、筋肉痛にはなりそうもありません。(なりませんでしたよ)
実はこの階段を上らなくても、教会に行けます。
足が不自由な方は左側の通りから行ってみてください。
そうでない方は階段を上りましょうね。

階段上から見た元老院広場です。
教会の入り口に夜の7時からパイプオルガンのコンサートが開かれるというポスターがあったので、行ってみることにしました。
お腹が空いたので、マーケット広場とオールド・マーケットホールに向かいます。

海辺はいいですね。晴れてきました。

この船がスオメリンナ島へ行くのでしょうか。
マーケット広場にはベリー類や食べ物を売っている屋台のテントがあります。

日差しが強く、暑いので、オールド・マーケットホールに入ってみることにしました。
この中に食料品や食べ物を売っているお店が入っています。
サーモンやトナカイ肉なども売っています。
ちょうど真ん中にあるStoryというお店でサーモンスープランチ(16.90ユーロ)を食べることにしました。

たっぷりとたくさんのデルやサーモン、ジャガイモが入ったスープです。
これだけでお腹がいっぱいになりましたが、ちょっとわたしには塩辛かったです。
夜にパイプオルガンを聞きにいくので、エスプラナーディ公園に戻り、マリメッコなどのお店を覗いてから、デパートのストックマンとソコスの地下にあるスーパーを見学に行ったついでに夕食を買うことにしました。
そうそう、帽子を忘れたので、買いました。(しかし、最終日になくしてしまったのです(>o<)。馬鹿なわたし)

ストックマンではスーパーに行くまでの間にペットショップがあり、わんこたちに音のするおもちゃを買いました。フィンランド製ではなく、中国製でスウェーデンの会社のものです。

スーパーにサーモンのお寿司が売っています。大体12〜13ユーロぐらいでした。
醤油がついていませんが、このまま食べました。
カード決済では、フィンランド語、スウェーデン語、英語のどれでするかと聞かれます。
英語が3番なので3番を押すと、決済できないことが多いです。何故なのでしょうね。

少し休んで、パイプオルガンを聞くために、再度ヘルシンキ大聖堂に行きました。
道を間違えたおかげで、階段を上らずに行くことができましたww。
オルガニストは井上圭子という日本の方です。
<Program>
NICOLAS DE GRIGNY Récit de Tierce en taille
CÉSAR FRANCK Choral No.1 E-dur
THÉODORE DUBOIS Toccata
HARRI VIITANEN Images d'oiseau
LOUIS VIERNE Cathédrales ("Pièces de Fantasie")
Hymne au soleil ("Pièces de Fantasie")
10ユーロで1時間の演奏会でした。
「Images d'oiseau」という曲を作った作曲家のHARRI VIITANENさんが来ていました。
パイプオルガンの音色の多彩さが印象的なコンサートでした。鳥の鳴き声もオルガンで描けるんですよ。
夏のこの時期にはヘルシンキ市内のどこかの教会でパイプオルガンのコンサートがほぼ毎日開かれているようです。
興味のある方は是非行ってみて下さい。
前売り券を買わなくても、その場で入場券が買えます。もちろんカード払いもできます。
泉神社と大御神社に行く ― 2024/01/16
宿でネットを見ていると、泉神社は縁結びの神様だけど、近くに縁切りの神様がいて、いっしょにお参りするといいと書いてありました。
ひたち海浜公園でアイスチューリップでも見ようかと思っていましたが、これは行くしかないということで、二日目は二社参りをすることにしました。
泉神社のすぐ側の駐車場はいっぱいでしたが、昨日停めた駐車場は空いていました。この神社はわんこを抱いてお参りできます。

大鳥居。

参道には幟が、左側に戦没者慰霊祭と三峯神社があります。
しばらく行くと、御神木、社務所、手水舎、そして拝殿。

拝殿には龍。
拝んでから左の道に行くと、目洗いの泉があり、左目が緑内障のわたしは拝みました。ここの水で目を洗うといいらしいです。細菌が怖いのでしませんでしたが、本当にそんなことしていいのでしょうか?

代わりに目洗いの泉と書いてある石碑(?)に水をかけました。
本殿の後ろを歩いていくと、近頃見つかったという龍が宿る木「龍木」があります。

右の方が頭になるのでしょうか?
説明をしている人が後ろから見ると、違った顔をしているというので、後ろも見させていただきました。

どうでしょう。龍が見えますか?
道を辿って行くと、湧き水のところに弁天様がいます。水が透き通っていて、きれいです。

カップルが拝んでいます。幸せになってねww。
わたしはブレスレットが欲しかったのですが、節分以降でないとないそうです。

神社の前はイトヨの里泉が森公園です。
そうそう、この神社のトイレが新しくてきれいです。
次は大甕(おおみか)神社です。泉神社から車で7分ぐらいです。
泉ヶ森の泉神社が女の神様で、そこで心を清めてから男の神様の大甕神社に行くといいらしいです。
こちらは人がそれほど来ていません。みんな知らないのかしら?
織物の神様と星の神様が祀られているそうです。

大鳥居と新築された神門(2023年7月に完成)。

立派ですね。
歩いて行くと、鶏がいました。

東天紅鶏というらしです。近付いても逃げません。

甕星香々背男社。
ここで拝んで、右側に行くと境界石があります。
現世の悪しき縁を絶ちきろうとする祈願札がベタベタ貼ってあり、異様な感じです。

祈願札は社務所でいただき、貼ってから祝詞を唱えながら真ん中の穴をくぐります。
わたしたちはどう回ったらいいのかわからず、ここから本殿まで行きました。
右側に道があったので、辿っていくと岩場みたいになっていて、そこを登ると本殿です。
雨の日は滑りますね。ヒールの靴は登りずらいので、止めましょう。

本殿の両側に鷹のような鳥の彫り物があります。

ここにも龍がいました。

上が鳳凰?下が龍ですが、よくわかりませんねぇww。
ここから下りなければなりません。
鎖場のようなところがありますが、そこはやめてなんとか下りれるところを探して下りました。
筋肉痛になりそうです。
この本殿のある岩山全体を宿魂石といい、日本最古のカンブリア紀層の地層だということです。

山から下りていくと、拝殿があります。
鳥居のしめ縄が独特の形をしています。

拝殿にも龍がいました。「笑龍」で、鳥居から笑龍を見ながら近付くと、口が開いているように見えるそうです。
写真が相変わらず悪いですが、笑っているように見えますよね。
悪縁とは特に人間との縁というわけじゃなくてもいいそうなので、わたしは太る習慣と縁を切りたいですわwww。
帰りはまた守谷SAでドッグラン体験をしようと思いましたが、今回の旅はドッグランに縁がありませんでした。

下りは右端にドッグランがあります。
ドッグランに二匹のわんこがいて、近付くと吠えてきました。
喧嘩すると困るので、大型犬用に一匹も犬がいなかったので、そちらに行きました。大型犬が入ってきたらいつでも出られるように、そして隣の犬と吠え合いにならないように、リードはつけたままにしました。

兄は駆けたかったみたいです。
二匹がいなくならないかと期待していたのですが、居座ります。誰かを待っているのかな?残念。
ドッグランは土なので、わんこの毛に土がつくし、雨が降るとベチャベチャになりそうです。草がいいのですが…。
ちょっと寒かったけど、天気に恵まれた旅でした。
朝は浜辺で、昼は神社で歩いたので、iPhoneの万歩計では一万三千歩ぐらいになっていました。
次の旅は連休までお預けかな。できれば松本に行きたいけど。
兄はよく歩き、走ったのにもかかわらず、なかなか寝ません。
ママが部屋でブログを書いていると、弟といっしょに犬部屋から脱走してきました。
お年のわりに元気です。
次はいつもの公園に行こうね。
秩父に行く ― 2023/12/30
ニュースで秩父今宮神社に中学生の描いた龍の絵が奉納されたと聞き、夫が行ってみようと言い出し、急遽秩父まで行くことになりました。
高速で事故があったらしく、行きは2時間以上もかかってしまいました。
まず最初に秩父今宮神社に行きます。
駐車場は神社のすぐ目の前にあります。

入り口から入って右側に御神木があり、龍上観音がいます。

龍神池の上にかかっている赤い橋を渡ると樹齢1000年という龍神木があります。

年越しの祓の茅の輪があったので、茅の輪くぐりをしました。
1年の間についてしまった穢れを落とし、心身共に新年を清らかな状態で迎えるという意味があるそうです。

左端にある小さい茅の輪はわんこのためのものです。
この神社は犬がOKのようです。

社殿。左側に御札所があります。
お守りを買い、龍のおみくじを引いてみました。
末吉でこれからだんだんと良くなるようです。

社殿の右側に中学生が描いた龍の絵がありました。
上手いですね。

天満宮もあり、撫で牛がいます。
この牛の頭を撫でてから自分の頭を撫でると頭がよくなり、どこか身体で悪いところがあったら、牛を撫でると治るそうです。
私は頭と目、膝を撫でてきました。

馬頭観音の下に清龍の滝があり、水を汲んでいけるようです。
社殿でご神水入れをくださるので、水を入れて持って帰りました。
お清めの霊水なので、お風呂に数滴入れるといいと書いてあったので、早速今夜やってみます。
水音が心地よい、いい気の神社でした。
お昼になったので、近くに豚味噌丼のお店があるというので行ってみたら、お休みでした。周りに飲食店がないのであきらめて、秩父神社に行くことにしました。
車で2分ぐらいの近くにあります。
駐車場がわかりずらいとネットに書いてあったのですが、境内に駐車場がありました。年末だから特別なのでしょうか?

左手前が駐車場になっています。
「八意思兼命」という知恵や開運を司る神さまが祀られているそうです。

神門を通って御本殿に行きます。

徳川家康が寄進したという社殿には様々な色鮮やかな彫刻があります。

子宝 子育ての虎。



つなぎの龍。

北辰の梟。
お元気三猿がどこにあるのかわかりませんでしたが、後から写真を拡大してみるといました。

左の方にいます。

画像がよくなくて、すみません。
ここの猿は「よく見て・よく聞いて・よく話す」なんだそうです。
グルッと回ってみると、それぞれ面白いお話ができそうです。

天神地祓社。
秩父三社というと、三峯神社、宝登山神社、秩父神社だそうです。
三峯神社は大学時代に雲取山に登った後に行ったような記憶があります。
いつかまとめて三社を回りたいですね。
お守りを買いました。

左側の家内安全と厄除開運のものは三体守と言って、今宮神社の八大龍王神と聖観世音菩薩、神変菩薩の御力が集結されているそうです。
三体は別々にしないで、このまま持っているようにと言われました。
小さい水入れに霊水が入っています。
右端は秩父神社の交通安全守です。
緑色のはカエルではなくて龍です。この龍の中におみくじが入っています。
帰りに道の駅はなぞのがあったので、寄ってみました。
この道の駅の隣にあるひだまりの公園に深谷ドッグランがあります。
沢山のわんこたちが遊んでいました。
うちのわんこたちを連れて来ようかしら。

食べられなかった豚肉の味噌漬やホルモン、地酒などを買いました。
この道の駅の隣にいちご園やスイーツのテーマパーク、花園フォレストがあるので、お土産選びには苦労しないです。
野菜が欲しかったので、JA花園農産物直売店に行くと、遅かった…。
ほとんど売り切れでした(T.T)。

夫がお正月に飲むと言って買ってきた日本酒を食いしん坊の兄が食べ物かと思ってやって来ました。食べられないと知るとつまんなさそうでしたwww。
秩父はよさそうなので、次はわんこたちを連れて訪れてみようと思います。
どこか犬がOKのいい宿がないかしら。
年末に神社に行き、いい気をもらってきました。
来年はいい年になるかもしれません。
では、皆様、良いお年をお迎え下さい。
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