ドキュメンタリー「おかえり お母さん」&『いつか来る死』 ― 2020/11/30
「ぼけますから、よろしくお願いいたします。」のその後を描いたのが、「おかえり お母さん その後の「ぼけますから、よろしくお願いいたします。」」です。
アルツハイマー型認知症になった信友直子さんのお母様は、2018年10月、食事中に脳梗塞で倒れました。
お父様は片道1時間かかる道を歩いて病院に通いました。
リハビリに励む妻を見て、自分が介護しようと思ったお父様は体力作りを始めます。
彼は98歳。それより若い私でさえ筋トレなんかやっていません(恥)。
その上、娘の直子さんが「一緒に介護しようか」と尋ねると、「働けるうちは働いていいよ。わしが介護します」と言うんです。
残念ながらお母様は脳梗塞を再発してしまいます。
寝たきりになる可能性がでてきたため、療養型の病院に移ることになり、その合間に家に一度連れ帰ります。
お母様は家に帰ったことがわかるのか、泣いていました。
お母様がまた病院に入院して、お父様は一人暮らしを続けます。
99歳になったというのに、お風呂の残り湯を使い洗濯物を手で洗っています。
腰が曲がっていますが、身体は丈夫なのですね。
なんで全自動洗濯機を買ってあげないのかと、また思ってしまいました。
洗濯機の置く場所がないからかしら?
今年の3月から病院は面会禁止になり、その頃からお母様は少しずつ弱っていきました。亡くなる間近に面会が許され、お父様は毎日お母様の手を握り続けました。
6月、お母様はお亡くなりになりました。91歳でした。
私には羨ましい最期でした。
11月にお父様は百歳になり、市長からお祝い金をもらい、とっても嬉しそうにしています。120歳までは生きるそうです。
本当にお父様はすごい人です。百歳になってもしっかりしています。
120歳と言わず、もっと長生きしてください。
お父様にエールを送りたくなるドキュメンタリーでした。

小堀鴎一郎さんは映画「人生をしまう時間」に出ていた医師です。
糸井さんとの対談が主な本です。
表紙の写真は小堀さんの家の庭のようです。彼の両親(鴎外の娘・小堀杏奴と画家の小堀四郎)の家の跡に家を建てたそうです。
出てくる写真は彼の家で写したそうで、鬱蒼とした木々の生えた広大な敷地のように思えます。家を維持していくために仕事を続けていると言っていますが、冗談ではなく本当なんでしょうね。
糸井さんも若いと思っていたら、もう72歳だそうで、そろそろ死を考えるお年頃ですね。だからこの本を作ったのでしょうね。
彼は性格でしょうか、明るいお葬式を考えています。それだけ人との繋がりを大事にしてきたのでしょうね。
彼の楽観的な死生観と小堀さんの理性的な死生観とが混ざり合って、重すぎない死を語る本になっています。
本の中の心に残った言葉。
「ちゃんと生きてない人は、ちゃんと死ねないんですよ」
「人は生きてきたようにしか死ねませんからね」
「「死に目に会えないのは親不孝者」といった考えは思考停止の一つです」
「本人の希望を叶えても、叶えられなくても、残された家族は何かしら後悔するんです。ああしてあげればよかった、こうしてあげればよかった、と思い続ける。それは仕方のないことで、時間をかけて納得していくしかないんでしょうね」
これらはすべて小堀さんの言葉です。
在宅医療医として400人以上を看取ってきた82歳の人の言葉は、厳しさと優しさのあるものだと思います。
「幸せなひとりぼっち」を観る ― 2020/11/11
本屋大賞・2020年ノンフィクション本大賞は佐々涼子さんの『エンド・オブ・ライフ』に決まりました。
在宅医療についての本ですので、興味のある方は是非読んでみてください。

スエーデン映画。
原題が「オーヴェという男」で、ベストセラーの本を映画化したようです。
ポスターは英語版の方が好きです。
主人公のオーヴェの雰囲気出てますもの。
(ネタバレあり)
オーヴェは59歳。最愛の妻を亡くし、43年間働いてきた会社を首になり、生きていても仕方ないと思い自殺しようと思います。
首を吊ろうとした時に、前の道に車が入って来るのが見え、見に行くと、前の家に引越してきた家族でした。
上手く駐車できないようなので、運転を代わってあげます。
次の日の朝、駐車禁止の張り紙を貼ってから、いつものようにパトロールに行くオーヴェ。ガレージの戸締まりを点検し、ゴミの分別をチェックし、違反した車のナンバーを控え、外に出ていた自転車をしまい、砂場のおもちゃを片付け・・・。
ルールを守らないことが許せないのですね。
こんなおじいさん、いいえ59歳なのでおじさん(?)かしら、周りにいたら私なんか絶対に話しかけないわ。それでもみんな話しかけるのは何故でしょう?
奥さんが亡くなって間もないので、気にしてくれているのかもしれませんね。
再度、首を吊ろうと、ロープを首にかけたところ・・・今度はチャイムが。
前の家の子供がお礼にペルシャ料理を持って来てくれ、ついでにはしごを貸してくれと言います。
気分を変えて、再度トライすると、今度はロープが切れてしまいます。
その後どうしたかというと、わざわざ店までロープの耐久性の文句を言いに行きます。切れても仕方ないような細いロープですけど。もっと太いのを買いましょうね、笑。
今度はどうするのかと思ったら、昔の親友で今は半身不随になっているルネの家に行って貸していたホースを返してもらいます。
この二人、何やら因縁がありそうです。
ルネの奥さんはオーヴェと仲直りをしようとして、ランチに誘うのですが、オーヴェは頑として受け付けません。
ホースを使うと言えば、そうです、車の排気ガスを使うのです。
意識を無くし、昔のことを思い返していると、ガレージを叩く音に起こされます。前の家の夫がはしごから落ちたというのです。
妊娠しているイラン人の妻・パルヴァネは車の運転ができないので、オーヴェが彼女と子どもたちを病院まで連れて行くことになってしまいます。
パルヴァネが医師と話す間、オーヴェはこどもたちの面倒をみますが、警備員に危険人物と見なされ、病院から追い出されてしまいます。
オーヴェってくそ真面目な要領の悪い人ね。
次の日、駅でオーヴェはプラットホームから飛び降りようとしますが、彼より先に側にいた男が倒れて線路に落ちてしまいます。
その人を助けに線路に降り、ちょうど電車が来たのでそのまま線路にいようかと思ったのですが、子供が彼を見ているのに気付き、思いとどまります。
子供に見せたらトラウマになっちゃうもの。
そんなわけで、何回も自殺未遂を繰り返し、いい加減にしろよと思ったところに、パルヴァネが現れ、運転を教えて欲しいと頼んできます。
本当は嬉しいのに最初は断りますが、他の奴が教えているのが気にくわなくて、結局は運転を教えることにします。
なかなか一筋縄ではいかないですね(笑)。
パルヴァネと彼女のこどもたちと接するうちに、段々とオーヴェは変わっていきます。
彼はもともと心優しい人なのですが、それを表現できない不器用な人なのです。
たぶん奥さんはそれを知っていたのでしょうね。それでなければ彼のような人と長年一緒に暮らせないでしょう。私だったらサッサと逃げ出しますわ。
自殺を諦めたかと思ったら、今度は銃を持ち出します。
でも、またチャイムが。
今度は妻の教え子が友達のミルサドを泊めてくれないかと言ってきたのです。
ソーニャ先生なら泊めてくれると言われ、仕方なく泊めてあげます。
妻は彼にとって絶対的な存在なのですね。
次の日の朝、ルネが家族の意思に反して介護施設に連れて行かれると聞きます。
オーヴェはルネのために介護施設の不正を暴き、他の住民達と共に職員を追い帰します。
これでルネとオーヴェは仲直りできました。
自殺はできなくても、今度は身体が危険信号を出しました。
オーヴェは道で倒れてしまったのです。
医師は命に別状はない、心臓が大きすぎるだけと言い、それを聞いたパルヴァネは「本当に死ぬのがヘタクソね」と大笑い。
しかし笑っているうちに産気づいてしまいます。
パルヴァネも無事に出産をし、オーヴェも落ち着いたかという時、朝の8時なのに、オーヴェの家の前は雪かきがされていません。
パルヴァネは大急ぎでオーヴェの家に行きますが・・・。
人生って思い通りにはいかないものですね。
オーヴェの性格がこうなってしまったのも、どうしようもないなという感じです。
唯一の心のよりどころが妻のソーニャだったのね。
お墓で愚痴ったり、寝たり・・・死んでも奥さん大変そうです(笑)。
福祉国家であるスエーデンは一見よさそうなのですが、是正すべきところもあるのも仕方ないかなと思いました。
とにかくオーヴェ役の人、役にピッタリです。
頑固で偏屈、不器用、意固地、意地っ張り・・・でも寂しがり屋な感じが出ていました。
ブレイディみかこ 『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』 ― 2020/10/23

2016年2月、20年ぶりに一ヶ月、日本に滞在することになったみかこさんは、日本人が見ていない、いえ目に入れようとしない「ブロークン・ジャパン」の状態を草の根の活動家たちに会って記録しておこうと思いました。
本にはイギリスの状況も書いてありますが、ここではできるだけみかこさんの見た日本の状況のみ書いて行こうと思います。(詳しくは本を読んでね)
最初に訪れた場所は上野。そこで争議に行きます。
キャバクラユニオンのメンバーたちがあるキャバクラに行き、賃金未払いについて話し合うために責任者に会おうとするのですが会えません。
キャバクラから外に出ると、そこには黒服軍団がいて、ユニオンのメンバーたちに罵詈雑言を浴びせます。
みかこさんは水商売で荒稼ぎをしてイギリス留学の資金を貯めたそうです。
私が20代で新宿の歌舞伎町に行った時、「お姉ちゃん、働かない。100万円」と声をかけられたことがあります。(一日、100万?一ヶ月、100万よね、と胸算用していました、笑)
その時、水商売ってお金が儲かるんだと思い、ずっとそう思っていました。
しかし、それも過去のことなのだそうです。
キャバ嬢たちの給料が例えば時給3000円とか言っていても、厚生費や雑費という名目(ティッシュペーパー代やボールペン代、おしぼり代とかもあるんですって)で給料から引かれていたり、遅刻や欠勤をすると罰金が取られたりします。
そのため引かれた後の手取りは最低賃金を割っていることもあるとか。
その上、キャバクラによっては精神的虐待があり、すべて自己責任、「私が悪い」と思い込まされたり、暴力的に管理されていたりするようです。
キャバクラのキャストは労働者ピラミッドの底辺、キャッチはそれより上の存在だそうです。そのためかキャッチ達は団結してユニオンと闘っているそうです。
普通に考えたら、キャストやキャッチは同じ労働者。団結して雇用者と闘うのが筋なのにねぇ。
みかこさんは思います。「労働運動が健やかに広がり、逞しく進化しなかった社会では、労働者のプライドは育たないだろう」と。
『下流老人』という本を書いている藤田孝典は「日本には下層意識が根付かない」と言っています。
1970年代から日本人には中流意識がありました。いいえ、未だに日本人の9割が中流意識を持っているそうです。
今や子供の6人に1人が貧困と言われているのに、おかしいですね。
若者たちは貧困という現実に向き合うと終わっちゃうから、「考えたくない」のだそうです。
自分のことを労働問題として考えることを嫌がるのだそうです。
非正規でも仕事があるよ、生涯アルバイトさえあればいい、結婚とか子供をつくるとかはエリートのすること、などと思っているとか。
結婚や子供を作ることは普通のことではないですかぁ。
藤田さんによると、「現在の若者はまるで監獄に入れられている奴隷のようです。それなのにそのことに気づいていない。気づいていないからより深刻」なのだそうです。
日本政府も「抽象論を展開しておいて、暮らし自体を見させない」ということをしているそうです。
日本はお金の話、すなわち経済を劣ったもののように見なす傾向があるため、労働問題に経済が持ち込まれていないのです。
すなわち「地べたのミクロを政治のマクロに持ち込め」ていないんですね。
みかこさん曰く、「経済にデモクラシーを」。
保育士であるみかこさんは世田谷区の保育施設を見に行きます。
彼女を案内してくれたジャーナリストの方が「子供を産まないのは、日本の女のテロなのよ!」と言ったそうですが、産まないというより、諸事情で産めないというのが実情ですよね。
日本と英国の園児と保育士の比率を見ていくと、3歳児以降の違いに驚きます。
英国は3歳児と4歳児は8人に1人なのに、日本は2歳児6人に1人から一気に3歳児20人に1人、4歳児以降30人に1人になるのです。
あんなに動き回る子が20人、30人も・・・私は保育士にはなれませんわぁ。
どうやって1人で20~30人を見ていられるのかというと、「保育士は積極的に子供と何かするのではなく、何事も起こらないように全体を監視する」ようにしているからとか。
私は幼稚園しか知らないのですが、保育所もそうなんですか。
みかこさんはイギリスの保育士なので、こう言っています。
日本のような保育ではアドベンチャーをさせられない。そのため失敗したり成功したりという経験の積み重ねができず、決断力が育たない。
あわせて他人と違うことをやってみたいということからクリエイティビティは育つので、日本のような保育では想像力も育たない。
日本の保育の良いところは給食だそうです(笑)。
英国の保育所にも日本の保育所にも共通するのは緊縮財政で、牛乳パックを色々なことに再利用したり、おむつなどを家庭に持ち帰らしたりしている日本は最前線を行っている・・・かな?
何故世田谷区の保育施設を見に行ったのか、疑問をもった方もいるでしょう。
たまたまなんでしょうが、実は世田谷区は日本の待機児童ワースト区です。(2019年ワースト一位、2020年2月では世田谷区ワースト二位)
産後ケアセンターとかプレイパークなど子供の施策が充実していて子供応援都市を宣言しているそうですが。
英国では保育園、託児所、チャイルドマインダー、ベビーシッターなど子供を預かる仕事をしている人はすべてOFSTED(Office for Standards in Education英国教育水準局)への登録が義務づけられているそうです。
保育施設もすべて当局に登録・認可される必要があり、認可された後もOFSTEDの職員が定期的に監査を行うようです。
日本の保育施設は誰が監査を行っているのでしょうか?
「日本で一番進んでいる草の根は障害者運動」であると企業組合あうんの中村光男は言います。
障害者運動は当事者運動であり、労働を自分たちの運動のなかに取り込んで発展していったそうです。
中村さんは障害者運動の発展に刺激を受けながら、山谷で「当事者一人ひとりがもう一度自分の人生を取り戻す」、そして「仲間自身が仲間を守る」という発想で活動を進めていきます。
NPOは出資や投資が禁止されていて、経済的自立ができないので、事業体として「あうん」を立ち上げます。
反貧困ネットワークにも参加しますが、この運動の問題点は当事者が参加していないため、垣根を越えられない、学び合えない、そのため繋がれないという結果になっているそうです。
「日本の貧困問題を社会的に解決する」というミッション(HPによる)のもと、活動を続けているもやい事務所のボランティア志望者セミナーにもみかこさんは参加します。
彼女が驚いたのは、「人権って何ですか?」という質問が出たことです。
英国では人権は普通に生活のなかにあるものなので、こういう質問はされないそうです。
気になったみかこさんが日本の小学校で人権はどう教えられているのか調べてみると、貧困をつくりだす政治や経済システムも人権課題であるのに、人権教育の指導内容に「貧困問題」がなかったそうです。
みかこさんの思った日本と英国の違い。
日本では「権利と義務はセット」で「国民は義務を果たしてこそ権利を得る」。
つまり「アフォード(税金を支払う能力がある)できなければ、権利は要求してはならず、そんなことをする人間は恥知らずだと判断される」。
英国では「「権利」といえば普通は国民の側にあるものを指し、「義務」は国家が持つ」。人権は誰にでも普遍的に与えられているものと考えている。
日本社会を変えるためには、人権についての考え方を変えるところからやらなければならないようですね。
「人権というのは、アフォードする力(日本流「人間の尊厳」)も、コミュニケーション力(相互扶助スキル)も、すげての力を人間が失ってしまったときにそこにあってわたしたちをまるごと受け止めてくれるものなのだ」
日本に住んでいても見えない(見ようとしない?)日本の貧困の一部を見させてもらい、色々と考えさせられる本でした。
イギリスについての記述はケン・ローチ監督の映画を見る参考になりますので、映画を観る前でも後でもいいので、興味がありましたら読んでみてください。
佐々涼子 『駆け込み寺の男ー玄秀盛ー』 ― 2020/08/28

佐々さんの出生作。
ひょっとしたら、テレビのドキュメンタリーで駆け込み寺のことをやっていたのではないかしら?見たような・・・。
私の記憶違いかもしれませんが、同じような場所が他にはないですよね。
新宿歌舞伎町と言えば、女性が一人で歩くには勇気のいる場所(私だけ?)のような感じでしたが、今はそうでもないのかしら?
大学生の時に一人で歩いていたら、私でもスカウトマンに声を掛けられました。
未だになんか猥雑な怖い町って感じです。(変な本の読み過ぎかも)
この歌舞伎町に「日本駆け込み寺」があります。
「日本駆け込み寺」はDV、虐待、借金、ストーカーなどの深刻な問題を抱える人が最後に助けを求めて駆け込み場所です。
その代表が玄秀盛です。(今は理事になったようです)
佐々さんは初めて本を書く対象として玄を選んだのです。
玄は不幸な少年時代を過ごしています。
彼の父親は韓国の済州島からの密入国者で、外人登録も住民票も持っていませんでした。母親は在日韓国人の娘で、弦が物心つく頃には二人は別居していました。
彼らにとって玄はいらない子。
5歳になってやっと出生届が出され、互いに面倒を見るのが嫌で玄を押しつけ合っていました。
母は男出入りが激しく、父には方々に女がいました。
どちらの家にいっても世話をしてくれる人はいません。
小さい時から腹いっぱい食べたことがありません。
小学校1、2年生の頃から万引きをします。「盗まなければ死んでしまう」のですから。小学校4年からは新聞配達をしています。
家では毎日の暴力は当たり前、普通のことでした。
こんな家から出て自由になることが彼の望みでした。
学校も彼にとっては心安まる場所ではありませんでした。
言葉は聞き流しますが、暴力は別です。
大勢で囲まれた時は大人しく殴られていますが、彼らが一人になった時、家の前で待ち伏せし反撃します。
普通の子にとって自分を出せ、守られるはずの家は、玄には彼らの弱みに見えるのです。
こういう悲惨な少年時代を過ごした玄は17歳で盗みは止め、様々な職業を経てから人夫だしをやり、「銭ゲバ」の世界へと入っていきます。
武勇伝(本で読んでね)は色々とあり、エグい金儲けをしていますが、何故金儲けを止め、人助けの道へと入っていったのでしょうか。
きっかけとなるのは、血液検査です。
検査でHTLV-1(レトロウイルス)感染がわかり、いつ発症するかわからない時限爆弾を抱えるていることがわかったからです。
彼がすごいのは、駆け込み寺をするために彼が持っているすべてのものを手放したということです。
なかなかできないことです。
もともと持っている人は持っているものを手放せなく、そのことが弱みになります。
もともと持っていなかった彼にとって、手放すことはなんてことのないこと。
これが彼の強みです。
人を救うということは、普通の人にはできません。
その人の人生をそのまま引き受けるということですから。
彼に比べれば、自分がいかにちっぽけな存在かがわかります。
悩みも、彼曰く「鼻くそ」のような悩み。その通りです。
玄の心の闇に比べれば、どんな人の悩みも鼻くそにもならないかも(笑)。
本の中で気になったのは佐々さんが書いている、「この国(日本)は一度失敗した人間にはきわめて不寛容で冷たい」です。
「心の成熟よりも、優秀な労働者になることを重視され、人間が過度に均質化されたこの国では、一度イメージが「穢れて」しまえば、規格外とされて疎まれ、仕事を探すことも、地域で暮らすことも、非常な困難になる」
日本の均質化がいい方向へ向かえばいいのですが、コロナ禍の今、これが人の排除へと向かっているような感じがします。
人に対する不寛容さが攻撃的になっていかなければいいのですが。
2019年6月頃の新聞記事によると、「日本駆け込み寺」は資金難で出資者を募集していると書いてありました。
HPを見るとクラウドファンディングをしていますが、なかなか資金が集まっていないようです。
「日本駆け込み寺」以外にも受刑者が働く居酒屋(餃子屋?)などを経営していたので、そちらの方で借金がかさんだのでしょうか。
いいスポンサーが現れるといいのですが。
玄という男を追い切れていないという所もありますが、佐々さんの初々しい処女作です。
もしあなたに悩みがあったら、読んでみるといいでしょう。
そして自分の悩みが「鼻くそ」に過ぎないと思えたらいいですね。
5ヶ月ぶりのテイクアウトです。

夫がケンタッキーフライドチキンを買ってきました。
お腹が空いていたので、2本食べてしまった後です(笑)。
久しぶりのフライドチキンは美味しかったです。
佐々涼子 『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』 ― 2020/08/23
あなたの家族が海外で不慮の事故で亡くなったら、遺体はどうなるのか考えたことがありますか?
ニュースで海外から遺体が搬送されて、空港に柩が帰ってくる場面を見たことがありませんか。
私は大使館の人が色々と手配をして、遺体搬送をしているのだろうと思っていました。
実は遺体搬送を生業とする業者があるのです。
その先駆けとなったのが、エアハースト・インターナッショナル株式会社です。

エアハースト・インターナショナル株式会社は国際霊柩送還の専門会社として2003年に日本で最初に設立された会社です。
この会社が出来る前は葬儀社の業務のひとつとして扱われていたそうです。
彼らの仕事は海外で亡くなった日本人の遺体や遺骨を日本に搬送し、日本で亡くなった外国人の遺体や遺骨を祖国へ送り届けることで、引き渡す前に、生前の姿に近づけるように修復もしています。
遺体搬送で思いもかけないことが起こるんですね。知りませんでした。
気圧の関係で体液漏れがあるので、遺体にトイレットペーパーが詰め込まれていた。
エンバーミングを施されなかったために遺体が悲惨な状態で納められていた。
反対にいい加減なエンバーミングが施されていたため遺体が腐敗していた。
遺体の腹部から臓器が抜かれていた。
柩を開けると見知らぬ外国人が納められていた。
葬儀社が勝手に遺体をもっていって、大金を請求してきた。
などなど、こういうことはなかなか知られていないことですよね。
どこにでも悪質な業者は存在するんです。
海外だったらなおどの業者がいいかなんてわかりませんもの。
ニュースになるような大きな事故や事件ならこんなことはないのでしょうが、一個人のことでは大使館は当てにならないのですね。
読んでいてすごいと思ったのが、社長の木村利惠さんです。
彼女は遺族の気持ちを考え、遺族に寄り添い、自分に何ができるかを常に考えています。
死亡した原因が違うように、遺族も違い、何が必要なのかもそれぞれ違うからです。
彼女はマニュアルに従うのではなく、頭を働かせて遺族の心を推し量ります。
こういう彼女の仕事に対する姿勢には頭が下がります。
彼女が心を込めて遺体を大切に扱ってくれたからこそ彼女が関わった家族の方々は感謝するのです。
でも感謝した後は忘れられると聞き、ちょっと悲しくなりました。
いつまでも悲しんでばかりいられませんから、悲しい思い出に繋がることは忘れられた方がいいのですが。まあ、仕事だから仕方ないのでしょうけど。
こういう彼女の会社ですから、ないことを祈りますが、もし自分の家族が海外で不幸にあったら、是非頼みたいですわ。
実はこの本を読んでいて、思い出した人がいます。
元同僚の年上の女性です。
彼女は性格的に難があり、仕事上で人と揉めることが多かったので、周りは関わりを持たないようにしていました。
私は仕事上他の人たちよりも彼女と話すことが多かったのですが、色々とあり、彼女が退職する頃には疎遠になり、今はどこで何をしているのか知りません。
実は彼女は第二次世界大戦で父親を亡くしています。
その時、彼女は母親のお腹の中にいたので、父親の顔を見たことがありません。(母親も彼女が十代の頃に亡くなったそうです)
彼女は父親のことを知りたいと思い、色々なつてを辿り、調べていました。
父親のことを知るということが彼女のライフワークであり、天涯孤独の彼女にとって、生きる糧でもあったのです。
本を読んでいると「父親と同じ隊にいた人と今度会うのよ」と嬉しそうに私に話していた彼女の顔が浮かんできました。
戦争当時のことですから骨は帰って来ていないでしょう。
本の中の遺体と向き合うということは、亡くなった人と「最後にたった一度の「さよなら」を言う」ことだという言葉が、私に彼女を思い出させたのです。
彼女はこの「さよなら」が言えなかったため、家族を持たず、人生をかけて父親を探していたのですね。
今になって彼女の気持ちが少しわかりました。
この本は2012年に第10回開高健ノンフィクション賞を受賞した作品だそうです。
著者の強い思いが込められた本で、この思いが『エンド・オブ・ライフ』に続いているようです。
佐々涼子 『エンド・オブ・ライフ』 ― 2020/08/22
この本も本屋大賞・ノンフィクション本大賞の候補作です。

この本では訪問看護師・森山文則に2018年8月にすい臓がんを原発とする肺転移が見つかってから亡くなるまでの話をメインとし、著者自身の経験と森山が務めていた京都の訪問医療を行う渡辺西賀茂診療所で2013年からの7年間に最期を迎えた人たちの話が描かれています。
病院ではなく家で最期を迎えたいと誰もが願うのではないでしょうか。
しかし様々な制約があり、たいていの人は諦めて病院で最期を迎えることが多いように思います。
私の親もそうでした。
父親は多発性骨髄腫で8年間入退院を繰り返し、最期は病院で亡くなりました。
まだ意識があった時に、「なんでこんなになっちゃったんだろう」と嘆いていました。
多発性骨髄腫は進むと骨が脆くなる病気なので、在宅で看るといっても難しいのではないかと思います。
母親は急性心筋梗塞でしたので、寝込まず、あっという間もなく亡くなってしまいました。
父の場合は亡くなった時にそれほどショックは受けませんでした。
闘病生活が長かったので、別れる時の準備が整っていたからです。
母の場合は本当に亡くなったの、という感じで、離れて暮らしていたので、尚更、まだ生きているような気がしています。
人には死を受容するための時間が必要ですね。
佐々さんのおじいさんやお母様の話を読むと、羨ましいなぁと思いました。
お母様はお父様に愛され、幸せでしたね。
お父様は難病にかかり、ロックイン症候群になってしまったお母様を最期まで介護していたそうです。それも完璧に。
私なんか性格が悪いですから、お父様のエゴのために生かされ続けていたんじゃないのと思ってしまいます。
私だったら、ロックイン症候群になるくらいなら死にたいと思うと思います。
佐々さんのお母様はそう思ったとしても、お父様のために生き続ける道を選んだでしょうね。
渡辺西賀茂診療所で働く人たちは訪問医療のモデルになるような方々です。
彼らは余命少ない患者のためだけを考え、時間とかお金とか責任とかは考えずに行動に移してくれます。
患者が最期にどうしてもやりたいこと、例えば、家族とディズニーランドに行くとか、潮干狩りに行くとか、をやらせてくれるのです。
こんなことをしてくれる診療所など、どこを探してもほぼないと思います。
この本に出てきた人たちのような最期を在宅で迎えるにはどうしたらいいのでしょうか。
「いい医者に出会うか、出会わないかが、患者の幸福を左右しますね」
「主治医がどれだけ人間的であるかが、患者の運命を変えてしまうんですよ」
「いい死に方をするには、きちんとした医療知識を身につけた、いい医師に巡りあうことですね」
これらは渡辺西賀茂診療所で働く医師たちが言った言葉です。
在宅医療は医師の裁量が大きいそうです。
自分の望むような在宅医療をおこなってくれる、いい医師を探すのは難しいんではないでしょうか。
第一我々患者に医師が「きちんとした医療知識」を持っているかどうか、わかりませんものね。
「出会う、出会わないも、縁のもの」
こう思って達観してしまうしかないのでしょうね。
どうしても納得した死に方をしたかったら、渡辺西賀茂診療所がある京都に住んじゃうという手がありますが(笑)。
佐々さんの書く物に興味を持ったので、しばらく読み進んでいこうと思います。
濱野ちひろ 『聖なるズー』 ― 2020/08/21
本屋大賞にノンフィクション本大賞があるのを知っていますか。
2018年に新しく作られた賞です。
その中で面白そうな本を図書館などで借りて読むようにしています。
プレイディみかこさんは昨年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で大賞を取りました。
前に紹介した『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』は今年の候補作品です。
今回の本も候補作品のひとつです。

表紙を見ると、題名に「ズー」があるので動物園か犬の写真ですから犬に関するノンフィクションかと思いますよね。
そう思って読み始めると、最初から違和感に囚われます。
プロローグから著者の赤裸々な性暴力の開示なのです。
これは一体何?と戸惑い、この本は私の考えたような、心温まる動物たちの本ではないことに気づきました。
この本は濱野さんが京都大学の大学院で専攻している、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に関する論文の副産物です。
テーマは「動物性愛」。
本によると現在「動物性愛とは、人間が動物に対して感情的な愛着を持ち、ときに性的な欲望を抱く性愛のあり方を指す。動物性愛は性的倒錯だとする精神医学的見地と、動物性愛は同性愛と同じように性的指向のひとつだとする性科学・心理学的見地」とに分かれているそうです。
私は動物に性的欲望を抱く人がいることにびっくりしました。
小説で人形や女性の足などに欲望を感じるフェティズムを描く作品を読んだことはありますが、実際に動物に欲望を感じる人たちが存在するとは考えてもみませんでした。
全世界で唯一、ドイツに動物性愛の団体「ZETA/ゼータ(寛容と啓発を促す動物性愛者団体)」があるそうです。
ゼータは2009年に発足し、メンバーは30人程度でほぼ全員がドイツ在住のドイツ人で男性が圧倒的に多く、主な活動目的は、動物性愛への理解促進、動物虐待防止への取組みなどです。
彼らは自らを「ズー」と称します。
濱野さんはこの団体のメンバーと連絡を取り、「動物性愛者は、どんなふうに自分のセックスと向き合っている」のかを知り、自分の愛とセックスの問題を捉え直そうと考えたのです。
濱野さんは最初はメールで問い合わせ、その後、ビデオ通話、そしてドイツへと赴き、ズーたちと会い、何日か彼らの家に泊まり込み、生活を共にしていきます。
その中で彼らから話を聞いていきます。
勇気がありますね。こういう話は懐に飛び込んでいかないと、なかなか聞けませんものね。
彼らのパートナーは犬(大型)が多いようです。犬は一番身近な動物ですから。
彼らのことをアブノーマルだと切り捨てることは簡単です。
でも立ち止まって考えてみるのも必要だと思います。
ズーの動物への接し方を濱野さんは新しい愛し方のひとつと捉え、ズーであることとは、「動物の生を、性の側面も含めてまるごと受け止めること」であるそうです。
「動物」を「人間」にしてもいいですね。
人は異性を愛の対象と考えることが多いけど、同性の場合もあるし、動物の場合もあるし、ロボットだっていいし、別に人を愛さなくても・・・。
それでいいんじゃないと思える、そういう柔らかな感性がこれから必要かもしれませんね。
そういう世の中になると、生き易くなるでしょうね。

どう考えても、パートナーにはなり得ない2匹です。

永遠の3歳ですもの。
犬の去勢についても問題提起されています。去勢はあくまでも人間側の都合ですよね。
私自身、馳さんの本の後に読んだ後だったので、ちょっと落ち着きが悪く、戸惑っています。
犬をソウルメイトと思えるということは、少なからず犬をパートナーと認めているということですが、性的なことは絶対にないとは言えないですよねぇ。
気づいていないだけってこともあるかも・・・。
こういうことに強い拒絶反応を起こす方は、くれぐれも気をつけてお読みください。
追伸:論文はこちら。
ブレイディみかこ 『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』 ― 2020/08/09

本屋大賞・ノンフィクション本大賞、受賞作の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を書いたブレイディみかこが、今度はイングランド南部の中年おっさんたちの生態を描きました。
副題の「ハマータウンのおっさんたち」とは、1977年に文化社会学者のポール・ウィリスが書いた『ハマータウンの野郎ども―学校への反抗・労働への順応』で調査対象であった労働者階級の少年たちが、今や老いておっさんとなったということらしいです。
この本は「英国の労働者階級のガキどもは反抗的で反権威的なくせして、なぜ自分たちから既存の社会階級の枠にはまり込んでいっちゃうのか。自らガテン系の仕事を選び、いかにもな感じの労働者階級のおっさんになりがちなのか」を研究した本だそうです。(プレイディみかこさんによる)
その頃、16歳だった少年は今や59歳。
立派なおっさんですね。
イギリスというと、「ゆりかごから墓場まで」を学校で習いました。
「ハマータウンの野郎ども」のおっさんたちが社会に出た頃は、まだイギリスは福祉社会でした。
失業すれば簡単に失業保険が出たし、怪我や病気をしてもNHS(国民健康サービス)で無料(不妊治療も無料だったそうです)で治療してもらえるし、大学の学費も無料なので、行こうと思えば大学まで行けるし、労働組合の力も強かった。
よきイギリスですね。でも、それは過去のこと。
今や緊縮財政で公共のサービスや福祉はカットされ、経済的に苦しくなっています。
NHSでは診察や治療を待たされ、待ちきれない人たちは民間の病院を使うようになりました。
労働組合が弱体化したため企業のパワーが肥大化し、仕事は歩合制やゼロ時間雇用契約が横行し、雇用条件や賃金が悪化しており、一端道を踏み外すと、下層民になってしまいます。
昔の若者は社会に対して反抗的だったのに、今の若者は真面目に働き、酒も飲まず、社会に対して従順なのだそうです。
若い人たちが酒を飲まなくなったので、潰れるパブも出てきており、パブはもはやパブリック・ハウスの役も果たせなくなってきたようです。
イギリスというとビールと思ったら、今やビールよりもスパークリングワインが売れてるそうです。
私たちの持っているイギリスのイメージが崩れますね。
よく言われているのが、「イギリスは階級社会」です。
昔は階級は職業と収入で決められており、3つ(上流、中流、労働者)でしたが、今はソーシャルな側面と文化的側面を加味して、7つになったそうです。
労働者階級の多様さや、白人労働者と移民との関係など色々と問題はあるようです。
詳しくは本を読んでください。
本に出てくるBBCの「Class Calculator」はここへ。
自分がどの階級に属するか、やってみると面白いかも。
EU離脱で揺れるイギリスでおっさんたちは何を考え、どう暮らしているのか。
一概にひとつではくくれませんが、日本のおっさんたちより生き方が多種多様な気がします。
本の中に出てくる歌を紹介しておきましょう。
モンティ・パイソン(イギリスの有名なコメディ・グループ)のメンバー、エリック・アイドルによる「Always Look on the Bright Side of Life」(1979年)。
磔刑にされているのに、のんきに歌ってますね(笑)。
この歌は国民的愛唱歌で、葬式やサッカーの試合などで歌われているとか。
もう一曲はFatboy Slim の「Praise You」(1999年)。
この踊り、何ですか。爆笑物です。
こういうのがイギリスのおっさんの好みなのね。
半ケツが好きなのもイギリスのおっさんです。
是非、映画の「フル・モンティ」でも見て笑ってください。
ア、これは半ケツではなくて、男性ストリップだったっけ。
半ケツ映画は思い出せないので、ストリップで我慢してください。
イギリスの炭鉱に働く男達の悲哀と哀愁をたぶん感じますよ(笑)。
村井理子 『兄の終い』 ― 2020/05/26

村井さんは宮城県警塩釜警察署から電話が来て、実兄の死を知りました。
第一発見者は同居していた小学生の息子でした。
兄とは随分会っていません。
仲は良くありませんでした。いいえ、仲がどうとかいうのではなく、憎んでいたと言ってもいいかもしれません。
仕事があったので、次の週に自宅のある滋賀県から塩釜市へと向かうことにしました。
一体何をすればいいのか。
警察署で遺体を引き取り、斎場に直行し、そうそう、アパートを引き払わなくてはならない。
当日、叔母が一緒に行ってくれることになり、塩釜市の警察署では兄の元妻・加奈子ちゃんと会うことになりました。
加奈子ちゃんと兄は離婚してから7年になります。
離婚後兄は体を壊し、職を失い…。
心配していたことも加奈子ちゃんがいてくれたおかげで上手くいきました。
息子の良一君も加奈子ちゃんに引き取られどうにかやっていけるようです。
たった五日間でしたが、大家さん、近所の人々、学校の先生などから兄のことを聞き、兄のことをちょっと理解できるようになったようです。
どんな家族にもそれぞれの歴史があり、他の人たちには理解できないことがあります。
村井さんとお兄さんとの間もそうです。
村井さんはその辺のところを淡々と感情に溺れることなく書いています。
最後に救いがあってよかったと思います。
加奈子ちゃんはいい人ですね。良一君もすくすくと育っていくのでしょう。
彼には幸せになって欲しいと思います。
読みながら自分の最期のことを考えてしまいました。
今はモノが多すぎです。少しずつ減らして、死ぬ時はあっさりいきたいものです。
そろそろ断捨離ですか(笑)。
河合香織 『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』 ― 2020/01/28

出生前診断を受け、「異常なし」と医師から告げられていたのに、生まれてきた子はダウン症で、三ヶ月半の命でした。
母は子(天聖君)の苦しみに対して医師に謝罪してもらいたくて、裁判を起こしました。(Wrongful life 控訴というらしいです。本書74ページ参照)
もし医師が検査結果を間違えずに告げていれば、この母親は中絶したのでしょうか。
母親は「中絶した」ではなく「中絶した可能性が高い」としています。
実は母体保護法では胎児に異常があるからという理由で中絶を認めていないのです。
経済的な理由にして中絶している人が多いのが現実です。
障害があるからと選別されなければならない命なのでしょうか。
選別したからといって糾弾されても良いわけではありません。
どの親も迷いながら選んでいるのです。
どの選択にも深い苦しみと痛みがあります。
様々な観点から書かれており、色々と考えさせられます。
できればこれから子を産み育てようと思っている若い世代に読んでもらいたい本です。
ママが家にいるから、この頃甘えている犬たちです。

「ママちゃん、僕と遊んでください」と言って弟がやってきます。

兄犬はこんな風に顎をのせ、くつろいでいます。
でも、弟を抱くと、すぐにハウスから出てきてアピールします。
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