「ぼけますから、よろしくお願いします。」を観る2020/10/17



監督の信友直子さんは、月に一度広島県呉市に帰省し、自分の両親を撮り続けました。
(ネタバレあり)

父の良則さんは戦争で大学に行けず、好きな文学を学べず、それが心残りでした。戦後経理一筋でやってきました。
直子さんは父の無念をはらしたいと思い、東大へ進んだそうです。
95歳(当時)ですが、未だに新聞を読み、切り抜きをしますし、英語も勉強しています。

87歳になるは母の文子さんはこの頃忘れっぽくなり、病院に行って診てもらうとアルツハイマー型認知症であることがわかります。
社交的な性格で、昔からカメラで写真を撮るのが好きで、直子さんがテレビの世界に入ったのは母の影響もあったようです。
娘の手が離れてからは書道を始め、賞を取るまでの腕前でした。

始めは誰の手も借りず、自分たちでやっていくと言っていました。
直子さんが仕事を辞めて帰って来ると言っても、止められました。
「男子厨房に入るべからず」という世代の良則さんは、文子さんの症状が進むにつれ、腰が曲がって歩くのも辛そうですが、掃除、洗濯、ゴミ出し、買い物、料理などの家事をやるようになります。
しかし、それも限界があります。
呉市の介護担当の方に来ていただき、介護サービスを頼むことにします。
担当の方にはいい顔をして、よろしくなんて言っていたのに、身内だけになると文子さんはデイサービスや家事サービスを利用をしたくないと駄々をこねます。
良くある話ですが、誰でも人にはいい顔を見せたいという気持ちがありますから。
そこまでやるのと思ったことは、家事サービスの方が来る前に掃除をしてるんですよ。
私が家事サービスを頼むときは、だらしない家だと思われないようにとかいう見栄は捨て、すべてをそのまま見せ、お任せできるようにしたいものです。
(そうそう、何で全自動洗濯機を買ってあげないのかしらと思いました、笑)

最初は喜んでデイサービスに行っていた文子さんですが、だんだんと起きれなくなり、それと同時にふがいない自分や周りに腹を立て、支離滅裂な言動を取るようになります。

「じゃまになるけん、死にたい」、「死んじゃる、死ぬる」、「だんだんばかになってきよる。かなしいね」

良則さんはそんな文子さんに対して声を荒立てる様子が映っていますが、いつもは「我が強いけんのう、疲れる」とは言いつつも、黙って妻の様子を見ています。
95歳になるというのに、冷静に自分の置かれた状態をみて達観しているようです。
周りに感謝しなけりゃ駄目だよと妻を諭す良則さん、素敵です。
人によっては良則さんを冷たいと思うかもしれませんが、私はこういう夫婦関係、いいなぁと思いました。

文子さんは昨年9月に脳梗塞で倒れ、近くの病院に入院していましたが、残念なことに、今年の6月にお亡くなりになりました。

映画を観ながら認知症で癌を患って亡くなった義母のことを思い出していました。
彼女は最後まで穏やかな人でした。
もしかしてそれは希有なことだったのかもしれませんね。

高齢化した日本で、これからも認知症の人が増えていくでしょう。
家族はどう対処していけばいいのでしょうか。
そして私たちはどう自分たちの老いに立ち向かっていけばいいのでしょうか。
今の日本ではあまり明るい未来を描けませんが・・・。

これから親の介護がある人に観て欲しい映画です。

コメント

_ 山親爺 ― 2020/10/18 16時18分43秒

私の祖父は、90歳で老衰でしたが、うらやましいぐらい見事な逝き様でした。学生時代に「おじいちゃんがそろそろかも…」と連絡があり、帰省してから3日ほど自宅で付き添っていると、夜に「お前の後ろにいるのは、わしの母さんみたいなもんだから怖がらんでもいい…」「わしゃあ今晩いくぞー」などと言い出したので、思わず「父さんが明日にならんと〇〇から帰ってこないので、もう少し待ってなー」と伝えると、祖父は「困ったのーー」といいつつ眠りに入り、翌朝を迎えました。帰宅した父が髭を剃っているのを見届け、また、祖父のそばにもどると、祖母が「じいさんよく寝とる、まるで死んだように寝とる」「さっき、目を覚ました時は、喉が渇いたというので、飲ませるとお代わりしたので落ち着いたみたいじゃ」なんて言うので近づいて手をとってみると、まだ、ほんのりと温かみはあるが脈が全く無く、かけ布団を背中にあてて胡坐座の大往生であった。そして、これが私の人生で初めての看取りでした。付き添いの3日間の祖父との会話は、夢現の中にあった祖父の走馬灯の如く明滅する意識と記憶からほとばしってくる断片的な言葉の一方的な受け止めであったが、傍らにいた祖母の記憶と解説により、これらの脈絡のない言葉がつながり、遠い生まれ故郷にいるつもりの祖父の臨終時の心の中の風景を垣間見ることができました。そして、その後、祖母や両親をはじめ多くの血縁の方々を見送ってきましたが、全て、臨終は病院や施設でした。皆さん、異口同音に「家に帰りたい、帰りたい」といいつつ旅立っていきました。果たしてこのような状況になることを目指して、人々は努力し、社会は進歩してきたのでしょうか?最近、大いに疑問を感じます。もっとも、かく言う、私自身もいつお迎えがきてもおかしくない年齢となりましので、自ら実践して納得する答えを見出すしかありませんね。願わくば「私のじいさんみたいなひと?」がお迎えにきてくれればありがたいのですが…笑

_ coco ― 2020/10/18 19時04分33秒

御祖父様は本当にいい最期でしたね。
私の北海道の祖母は老衰でしたが、家で介護ができず、病院でなくなりました。亡くなる頃は意識もなかったと言います。
御祖父様のように、最期まで明晰な意識を持って自分の死を自覚出来る方は少ないでしょうね。
まさしく大往生という言葉がふさわしいですね。

今の世の中、単独世帯や核家族が増えているので、なかなか家で死ぬというのは難しいと思います。
在宅医療のドキュメンタリーで一人暮らしの方が自宅で亡くなるというのを観たことがありますが、この場合はいい在宅医が必要です。
普通の病気でもいい医師との出会いは少ないのですから、在宅医も同じでしょうね。
父母や義父母を亡くした経験から、どこでどのように死んでもいいと、今から覚悟を決めておかなければと思っています。
若い人には申し訳ないのですが、これからの日本に明るい未来はなかなか描けないとしか思えないのです。

_ (未記入) ― 2020/10/19 22時35分11秒

若い人には常に明るい未来があります。希望があります。ただ、少しずつ年齢を重ねるのに従い、五感・六感に染み付いてくる旧態依然とした価値観や凝り固まったモノの見方・感じ方が視界を遮り、心の感覚器官を鈍らせ、強張らせていくんだと思います。そういう時は、ちょっと、心身共にリラックスさせてみて「赤ちゃん返り」みたいなことをしてみませんか?もっとも、それが簡単に出来ないから皆さん悲観的になってしまうんですよね。それでも、ヨイコラドッコイショ!とやってみましょう。その時、感じたことに対して素直に赤ちゃん返しで、女性は特に、悲しい時には、泣き崩れてしまうのが効果的とか…。中年以降の男性はおしゃぶりでも吸いながら「ばぶー!」とかなんとか甘えてみて(笑)。すると摩訶不思議、しばらくすると、新しい世界と明るい未来がかすかに見えてくるではないですか…。本当かどうかは半分騙されたと思って、皆さんご自身で実践してみて下さい。見えてこない方は、何度でもやってみるのです。くれぐれも無心の上に無心で…。ただし、注意点は一つ、誰も見ていないところで、堂々とやってください。

_ coco ― 2020/10/20 12時57分58秒

<五感・六感に染み付いてくる旧態依然とした価値観や凝り固まったモノの見方・感じ方が視界を遮り、心の感覚器官を鈍らせ、強張らせていくんだと思います。>
おっしゃる通りですね。
年を取るとなかなかわかっていても変われないですものね。

心のリラックス。やってみるといいかも。
泣くということは心の浄化だそうですね。
男性のおしゃぶりは・・・、見たくないですけど(笑)。

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