ジャニータ・シェリダン 『金の羽根の指輪』2010/03/01

シリーズの第三弾です。


舞台はハワイのマウイ島。
この本は1952年に出版されたそうです。全然古さを感じさせません。
ハワイというと今や誰でもが一度は行きたいと思い、実際に行くところになりましたね。
そんなハワイにはハワイ独自の歴史があり、伝説、神話があります。
ハワイは日本でいうと沖縄みたいなものでしょうか。

ハワイ出身で作家でもあるジャニスは、新聞記者の親友に頼まれ、マウイ島へ行くことになります。
マウイ島の牧場主ドンは行方不明で、彼の牧場では何やら恐ろしいことが起こっているという電話があったからです。

マウイへの飛行機にはドンの妻レスリーも乗っていました。
飛行場にはホテルの迎えがレスリーを待っていました。
レスリーはホテルの迎えを帰し、タクシーで牧場へ向かおうとします。
しかし、タクシーの運転手は誰も彼女を乗せてくれません。
そこでジャニスはレスリーに声をかけ、一緒に牧場まで行くことにします。
牧場に着くと、厩舎から馬の嘶きが聞こえてきて、電話の主が倒れていました。
母屋には近所に引っ越してきたというデニスという男とドンのいとこ夫婦がいて、ドンは行方不明だとレスリーに告げた上で、牧場は自分たちのものになったと言うのです。
ジャニスはレスリーのために牧場に残り、ドンの行方を捜すことにします。
 
ジャニスの父親はハワイの神話、系図、歴史的場所などを調べていました。
彼から教わったので、彼女はハワイ語を話せるし、ウクレレを弾き、フラを踊り、古い歌を歌えます。

本の中にハワイ人のパーティが出てきますが、一度参加したくなるほどです。
沖縄で三線を弾き、踊るように、ウクレレを弾き、フラを踊るんですって。
南国っていいですねぇ。ハワイに行きたくなりました。

乃南アサ 『いつか陽のあたる場所で』2010/03/04


設定が谷根千なので買ってみた本です。
ミステリーかと思ったのですが、全然違っていました。どちらかというとコメディタッチです。
後ろめたい過去のある二人の女性が、どうやって世間になじんでいくのかを描いた小説です。
後ろめたい過去はというと、ムショ暮らしです。
ですから、題名は、いつかまっとうな顔で、世間に顔向けできるようになりたいという願望を表しています。



29歳の小森芭子は、大学時代にホストに惚れて、入れ込んでしまいます。
ホストに会うためにお金がないので、伝言ダイヤルで出会った男をホテルに誘い、睡眠薬を飲ませて眠らせ、お金を盗んだのです。
罪名は昏睡強盗罪。懲役7年。

41歳の江口綾香は、DV夫から子供を守るため、夫を殺し、懲役5年。

刑務所から出たら、元受刑者同士は絶対に付き合ってはいけないと、何度も言われてはいたのですが、この2人、気が合ったのか、同じ町に住みつきました。
ちょっと能天気なところのある綾香に戸惑いながらも、まじめな芭子はその脳天気なところに救われています。

罪を犯した人のすべてが悪い人ばかりではなく、その時のどうしようもない状況から罪を犯してしまった人もいると、頭ではわかっていても、側に住んでいると心配になるでしょうね。
そういう人と付き合えるかと言われると、無理かもしれません。
 
罪は償えるものなのでしょうか?
一生償い続け、幸せになってはいけないとは言えません。
でも、自分の愛する人が犠牲になっていたら・・・。
色々と考えると、結論が出なくなります。

シリーズ物らしいので、これから芭子と綾香がどうなっていくのでしょうか。
せめて本の中だけでもいいから、幸せになってもらいたいですね。

どうも下町の谷根千は、人のことに興味津々の人たちがすんでいるようです。ここが、あの場所かと思いながら読むのも一興です。
 

グルジア国立バレエ 「ジゼル」2010/03/05


2007年にABTのガラ公演でニーナのことを初めてみました。「瀕死の白鳥」だったと思います。その時にニーナのことがとにかく印象的だったので、今度彼女が来た時は絶対に見ようと決めていました。
残念ながらABTと一緒ではなく、彼女の故郷のバレエ団とです。ABTの方は引退したしたそうです。
岩田さんとウヴァーロフさんも一緒ということなので、「ジゼル」と「ロミオとジュリエット」のチケットを買っておきました。
 

 2010年3月3日(水)  上野文化会館 17時開演

ジゼル:ニーナ・アナニアシヴィリ
アブレヒト:アンドレイ・ウヴァールフ
ハンス(森番):イラクリ・バフターゼ
ミルタ(ウィリの女王):ラリ・カンデラキ

「ジゼル」は二回目。一回目はニングラードのペレンのジゼルでした。
前から7列目で見やすいはずなのですが、眼鏡が合わないのと、手術した左目が見ずらいためか、表情がよく見えません。これからはできるだけ前の席を予約しなくては・・・。
「ジゼル」の内容はレニングラードの時に書いたので、そちらを見てください。
とにかく、今回のは心臓が弱いジゼルということがよくわかる振付でした。
特によかったのは一幕の終わり。アブレヒトの正体を知り、ジゼルがショックを受け、静かに狂っていくところです。ジゼルの絶望がよくでていました。
そして、二幕のウィリになったニーナ。ちょっとまだ人間らしさが残っていますが、ふわふわと浮く感じがしました。ガラで見た、某日本人バレリーナとはえらい違いです。

前におば様がたに木偶の棒などと言われたウヴァーロフは、別人のようでした。
彼ってこんなに饒舌だったっけ?という風なんです。
ジャンプや回転、リフトなど軽がるとやってのけ、笑顔が素敵。調子も良かったのでしょうかね。
パンフレットを見ると、ボリショイでニーナと組んでいたこともあるようで、女王ザハロワとは違い、ニーナだと地を出せるんでしょうか?とってもいい感じです。
カーテンコールの時もニコニコと嬉しそうでした。

さて、主役の二人以外はというと・・・。
群舞は物足りないです。特にウィリたちがそろって出てきて、片足を後にまっすぐ伸ばす時に、足がバラバラで、ぐらぐらしていました。もう少し頑張ってもらいたかったです。この場面、好きなのに・・・。
ミルタは好き好きもあるのでしょうが、もっと冷たい氷のような感じが欲しかったです。
演出的に、ウィリが一人宙に浮いて出てきたり、何やら横で花をばら撒く女神やらがいて、前とは違うところが結構ありました。
主役の二人が良かったので、よしとしましょう。

さて、今日の夜は「ロミオとジュリエット」です。どんなものか、楽しみです。 

グルジア国立バレエ 「ロミオとジュリエット」2010/03/06

「ロミオとジュリエット」はデンマーク国立バレエで2回見ました。
デンマークはジュリエットとロミオ役のダンサーが年齢的に若かったのですが、今回はニーナは40代。
どうなんだろう・・・とは少し思いましたが、全然年齢なんて関係なかったです。
 
  2010年3月5日(金) 16時半開演 東京文化会館

振付:レオニード・ラヴロフスキー
振付改訂:ミハイル・ラヴロフスキー

ジュリエット:ニーナ・アナニアシヴィリ
ロミオ:アンドレイ・ウヴァーロフ
マキューシオ:岩田守弘
ティボルト:イラクリ・パフターゼ

まず、振り付けがラヴロフスキー版なので、デンマークのノイマイヤー版とは全く違いました。
今度来る英国ロイヤルバレエはマクミラン版なので、どこが違うのか見比べる楽しみがありますね。
ラヴロフスキー版は細部をはしょっていて、最初のロミオとジュリエットの出会いの場が物足りなかったです。
一幕一場の広場の場面が結構長く感じ、早く二人を出せとは思いませんでしたが、その代わりに金曜日の疲れでウトウトしそうになりました。

ノイマイヤー版で楽しかったのが、三馬鹿トリオ(マキューシオとロミオともう一人、誰だっけ?)の踊りです。
ラヴロフスキー版は三人で踊る場面が少ししかなく、その代わりマキューシオ役の岩田さんの踊りが多く、堪能できました。
死ぬ場面はどの振付も長いです。
三人並ぶと、岩田さんの小ささがよく分かりました。
ニーナより背が低いかもしれません。
でも、彼のジャンプや足のあげた角度など、さすがです。
グルジアのダンサーは完全に負けてました。
とにかく、ノイマイヤー版の方が丁寧に『ロミオとジュリエット』の物語を描いていたようです。

ニーナは10代の少女に見えました。表情が豊かで、おきゃんで、まだ幼い恋もしらない少女でした。
バレエというより演劇的で、振付はノイマイヤー版の方が踊りとして見がいがあり、踊るのも難しそうです。
最後の死んだロミオを見て嘆き悲しむところなんか、涙を誘います。


さて、心配だったロミオ=ウヴァーロフ。
や~、彼も演技をするんですね。
見た目はでかいので、10代の少年か・・・というと、う~ん。
三馬鹿トリオは身長差があって、それが面白かったですよ。
身長順に三列に並んで欲しかった(ウソ)。
でも、いつもより表情が豊かで、はやりザハロワと踊る時よりリラックスできるのでしょうか?
先輩の二-ナと後輩のザハロワでは、気持ちも変るのね。
彼の意外な一面を発見しました。

群舞は「ジゼル」ほど合わせる場面がなかったので、粗はあまり見えなかったのですが、音についていけていないような感じがしました。
あ、オーケストラの、特に金管楽器の方々、お願いだから練習してください。素人の私にもわかるほどの音のはずれはないでしょう。

最後のカーテンコールでは、会場に明かりがついた後もニーナが出てきてくれたので、「ジゼル」の時以上の人たちがスタンディングオベーションをしていました。

次はロイヤルバレエで「ロミオとジュリエット」を見ます。
残念なことに、吉田都さんの日は取れませんでした。
 

浅田次郎 『ハッピー・リタイアメント』2010/03/07

 
週刊文春の書評欄でおもしろいと書いてあったのと、たまたま図書館にいったら借りれたので読んでみました。
なんでこんなに読んだ理由を書いたかというと、満足していないからです。



肩たたきによって天下った先は、戦後のGHQの命令によって作られたJAMS。

JAMSとは全国中小企業振興会のことで、「財閥解体後の新興事業育成のためGHQの指令によって作られた金融保証機関。無担保無保証人の零細事業主の債務保証を代行することによって、公平なビジネスチャンスを拡大することが目的」だそうです。

ようするに、お金が借りたいという人がいたら審査し、よければ一般金融機関に推薦し、その後、お金を返せない場合、無条件に借りた金額を肩代わりするということをやっていたんですね。
本当にこんな機関があったのでしょうか?
借りられたらすごいじゃないですか。返さなくても、取立てが来ないんですから。
 
そんな変なところに放り込まれたのが、財務省官僚の樋口慎太郎と自衛隊一等陸佐の大友勉の二人。
二人がJAMSに行かされたのには、なにやら陰でいろいろな力が働いているような・・・。
JAMSに二人が行ってみると、仕事はしなくていいらしく、職場に出勤したら、退社時間まで時間つぶしをすればいいだけ。それなのに、お金が入るし、なんてラッキー。
これこそ「ハッピー・リタイヤメント」!
と普通なら思うはず。
 
ところが、樋口と大友はクソ真面目なのか、そんな職場に違和感を覚えるだけ。
こんな暇な職場のじいさん方を相手にしているのが、元銀行員の立花女史。樋口と大友の異質さに戸惑いながらも、仕事を振ってみると、意外なことが。
とうとう三人で仕事をしちゃいました。
 
適当に負債者を探し、貸した金は時候なので返さなくていいけれど、債権放棄の手続きのために、書類にサインしてくれと言いに行くのです。
そうすると、社会的に高い地位についていて、お金がある人なら、道義的責任とかなんとか言われると、良心が痛むらしく、お金を、それも負債額以上に何倍にも増やして返してくれるのです。

仕事をしちゃいけないのですよ。それなのに、仕事をしちゃっていいのかしら。
そんなこんなで、この三人、このお金をどうするのでしょうか?

まあ、日本的な加齢臭たっぷりの、定年世代の憧れが本になった感じです。
 
 

「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」を観る2010/03/08

もし、あなたの配偶者がアルツハイマーになったら・・・。


グラントとフィオーナ夫婦は結婚して44年。
二人はグラントが大学を退職してから20年あまり、カナダのオンタリオ湖畔に暮らしていました。
二人の結婚生活は、グラントの教え子との浮気などがあり、フィオーナを悩ましたこともありましたが、今は平穏そのものでした。
ところが、ある日、何気なく洗ったフライパンをフィオーナに渡すと、彼女はそれを冷蔵庫の中にしまったのです。
それから、次々とアルツハイマーの症状が出ます。
 
ある時は、クロスカントリーに行ったまま、フィオーナは暗くなっても帰って来ませんでした。
必死でフィオーナを探すグラント。
 
自分が認知症であることを知ったフィオーナは、施設に入ることにします。
会えなくなって30日後、施設に行ったグラントは、自分のことをすっかり忘れているフィオーナに会うことになります。
もっと悪いことに、フィオーナは車椅子に乗ったオーブリーという男を甲斐甲斐しく世話しています。
ひょっとして、フィオーナは正気で、昔、浮気をした自分を罰しているのではないのか、そう思うグラント。
彼は、まだ妻の病気を認められないのです。

自分のことを思い出してもらいたい、そう思い毎日施設に通うのですが、フィオーナはオーブリーの世話を止めません。
そのうち、オーブリーは施設を出て、家に戻ってしまいます。
オーブリーがいなくなり、そのショックでフィオーナは寝たきりの状態になってしまいます。
グラントは妻のために、オーブリーの妻に会いにいき、オーブリーを施設に戻して欲しいと、お願いするのです。
 
美しい妻の病気を認めようとしない夫の姿が哀れです。
ボケた本人は何にも知らないのだから一番幸せ、ということを言う人もいますが、そうかもしれませんねぇ。

カナダの自然がとてもきれいです。
愛する人とどう別れるのか、考えさせられる映画でした。
 

カーリン・アルヴテーゲン 『罪』2010/03/09


前に読んだ『影』のアルヴテーゲンの処女作です。
あとがきを読むと、彼女は彼女の兄の突然の死を乗り越える過程でこの本を書いたのだということがわかりました。
書いて心を吐露することは、ヒーリング効果があるのですね。
今度やってみようかしら。

 
鉄格子の会社を経営しているペーターは、経理係が会社のお金を横領したため、多額の負債を抱え込むことになります。
何もかも嫌になり、11日間アパートに引きこもった後、初めて外出し、カフェに座っていると、季節はずれのサングラスをかけた女が話しかけてきました。
 「夫のオフィスに行って、箱を渡して欲しい」
ペーターは、女に押し付けられた箱を届けに行きます。
驚いたことに、女の夫であるはずのオーロフ・ルンドベリは、妻は三年前に死んだというのです。
一体、あの女は誰なのか?
箱に入っていたのは、人間の足の指でした。
ルンドベリはペーターに、知らない女に付きまとわれているといいます。
そして、その女を見つけてくれると、いくらでも報酬を払うというのです。
ペーターは負債額を提示し、引き受けることにします。
 
ペーターの父は消防士で、彼が七歳の時に火災現場で亡くなりました。
父が死んでから母親はペーターを寄せ付けませんでした。
母から締め出されたペーターは淋しい子供時代を過ごします。
母はペーターがは父のような英雄になってくれることを夢見ていました。
母の夢を叶えるために、ペーターは消防士を目指しますが、なれませんでした。
ペーターは母親に嘘をいいます。消防士になったと。本当の彼はバスの運転手でした。母が死ぬまで、ペーターは嘘をつき続けたのです。
 
ペーターがデモーンと名づけた女は、何が目的でルンドベリに付きまとうのでしょうか。

デモーンが恐ろしいです。男より女の方が執念深いのかなと、この頃思います。 読み進めると、意外な結末に・・・。

ペーターにはパニック障害があるのですが、ちょっと同情してしまいます。
こういうことは、育った環境に関係するのでしょうか?
 
この小説を書き、アルヴテーゲンは兄の死を乗り越えます。
孤独な男が物語の最後に希望を見出すのは、彼女の回復と関係があるようですね。
 

鎌田實 『空気は読まない』2010/03/11

空気を読めない人をKYと言って馬鹿にする風潮が一時期ありました。
そういう風潮に対して、鎌田さんはあえて「空気を読まない」と言っています。

 
内容は今まで出版している『がんばらない』や『あきらめない』などのベストセラーの本と同じようなものです。
主に、彼の出合った患者さんの話や、彼のやっているボランティアの話などです。
残念ながら『がんばらない』を読んだ時のような感動は、もう感じられません。
慣れちゃったんでしょうね、彼の書くものに。

一番大事なことは、「まえがき」と「あとがき」に書いてあります。

  空気は読めるが、
  空気に流されないことが大切なのではないか。
  空気は読めるが、
  あえて、空気を読まないときがあってもいい。
   (中略)
  「空気」を読んでばかりいると、
  あの時代のように、
  人は、自分の意見や意思を、
  見失ってしまうのではないだろうか。

  空気に流されるな。
  空気をつくり出せ。
  空気をよどますな。
  空気をかきまわせ。
  それが新しい生き方になる。
  それが新しい時代をつくり出す。   
  信じていい。
  空気は・・・読まない。

今の若者を見てみると、昔の若者と根本的なところはかわっていないような気がします。人と違うことを嫌っています。いじめなんかが、その表れの一つじゃないでしょうか。

大人社会にだって色々あります。
何か今までと違うことをやろうとする時、必ず反対はあります。
その反対をどう納得させるか。もしくは、反対を無視するほどの気概を持てるかどうか。
そこに、何かを成し遂げられる人と、成し遂げられない人の違いがあるように思います。
反対を押し戻すには、とってもエネルギーがいりますものね。
そのエネルギーを持ち続けることは、なかなか大変です。
相手が折れるまで頑張り続けなければなりませんもの。

ここだけは曲げられないという、唯一のところを死守する以外は、たいしたことじゃないと思い、流されることも必要じゃないのかしら。
頑張りすぎず、ぶれない自分を持って、やるべきことを淡々とやる。
そういうことが大事なのかなと、今は思っています。             

『京都、オトナの修学旅行』2010/03/12

京都というと、誰でも(沖縄の人どうなのかしら?)一度は修学旅行で行ったことがあるのではないでしょうか。
北海道出身の私は、高校時代の修学旅行で京都・奈良・東京と行きました。
でも、京都や奈良でどこに行ったのか、全く覚えていません。
京都の唯一の思い出は、宿泊していたホテルで、ビニール袋に入った昆虫のようなものを見て、不思議そうに友達が「こんなところにコオロギがいるよ」と言っていたことです。コオロギってなんだと思います?
正解はゴキブリです。
北海道にはいないので、見てもわからないんです。
知らないということは幸せですね。東
京に来てから、見たら逃げるようになりました(笑)。
  
 
この本にも書いてありますが、修学旅行って何のためにやるんでしょうね。
今は個人旅行が簡単にできて、修学旅行に行くより、安く旅行できます。
それに大学時代など年齢的に上になった時の、自分で行きたくなって行った旅行の方が記憶に残ります。
よくよく考えるともったいないことです。

赤瀬川さんというと、「トマソン(「不動産に付着して(あたかも芸術のように)美しく保存された無用の長物」)」を探して歩いているおじさんというイメージしかありませんでした。
彼って前衛芸術家だったんですね。知らなかった。
彼の書いた、こんな本を大分前に呼んだ覚えがあります。 


「トマソン」の例として、こんなのが本に載っていました。


このドア、無用の長物ですね。階段もないし、使えません。
赤瀬川さんはこんなのを路上で探してるんです。
京都もそんな感じで歩いちゃった感じです。
おもしろかったのは、等伯の話です。
売れない頃の等伯は、絵を描きたくてたまらなくて、大徳寺の三玄院ができてすぐに、襖絵を描かせてくれと頼んだそうな。
しかし、断られ、それでへこたれるような等伯ではありません。
なんと和尚の居ぬ間に上がり込み、唐紙の上に絵を描いてったそうです。
押しかけ絵師ですか。
その襖絵がこれ。


この襖に絵なんかいらないような感じですけど。
襖の雲母びきの唐紙の地模様を雪に見立てているそうです。
そう思って見てみると、風情があります。
 
他にもおもしろい話がいっぱいあります。この本を持って、京都に行きたいものですねぇ。
京都御所と桂離宮に、ものすごく行きたくなりました。
どちらも事前に申し込まなければならないので、面倒ですが。
 
京都って奥が深いですね。また行かなくっちゃ。

コンラッドホテルと浜離宮2010/03/14

コンラッドホテルに泊まりに行ってきました。このホテルは相棒のお気に入り。前回と同じシティ側のスウィートに泊まりました。
エレベーターホールに桜が咲いていました。写真を撮っている人がいたので、真似をして携帯で撮ってみました。


本物です。

部屋に入ってびっくり。前と同じ部屋だとばかり思っていたのですが、前回よりも広いようです。バスルームがガラス張りではないのは残念でしたが、入り口が広く、トイレが2つあり、テレビがリビングとベッドルーム、バスルームと3つもありました。




これでゆっくり眠れるかと思ったのですが、ベッドが私にはちょっと柔らかく、寝ずらかったです。

朝食はルームサービスにしました。


和食はこんな感じでした。


コンラッドホテルに泊まるともれなくついてくるのが、熊のマスコットです。今回は柄違いの熊でした。


帰りには歩いて5分ぐらいで行ける浜離宮に行ってみました。前は水上バスで浅草まで行ったのですが、今回は止めて、ゆっくりと歩くことにしました。
入場料300円。ベンチに座ってのんびりできそうです。日向ぼっこをしている人が結構いました。
門から少し歩くと黄色い菜の花畑が見えました。



菜の花畑から見たコンラッドホテルです。
梅の花がきれいに咲いていました。

 
ここの池は海水を引き入れた「潮入りの池」で、水門を開閉して、池の水を調節するそうです。
  
 
桜の頃もよさそうです。
4月1日から5日まではソメイヨシノ、16日から20日まではヤエザクラのライトアップを、夜9時までしているようなので、もう一度来ようかと思っています。