バレリーナ・吉田都@「プロフェッショナル 仕事の流儀」2010/10/26

昨夜の「プロフェッショナル」では吉田都さんが取り上げられており、彼女の引退公演の様子が映っていました。

私はチケットが買えず見られなかったので、楽しみにしていたのですが、ちょっとしか引退公演の『ロミオとジュリエット』が映っていなくてガッカリしました。
でも、11月にNHKで放送されるそうなので、その時にじっくりと見ますわ。


三年前にも彼女が「プロフェッショナル」に出ていたのを見ました。
その時、彼女はプロフェッショナルとは「戦い続けること。言い訳をせず、戦い続けること」と言っていました。

44歳になって、引退をする決心をした彼女の言う「気持ちが穏やかになってしまった」という言葉が印象的でした。

踊り続けてこれたのは、彼女の中にアグレッシブな原動力(戦い続けていくという)があったのでしょう。しかし、それが無くなってしまい、もう世界のトップとして踊り続けていこうという気持ちがなくなってしまったのですね。
 
満身創痍の身体で、極限まで自分を追い詰めて、踊り続けていくには、どれだけのエネルギーが必要であるのかを思うと、彼女の決心は仕方がないのでしょう。
 
彼女はこれからは楽しんで踊るという選択をしました。活動を日本にするそうなので、これからも彼女の踊る姿が見られそうです。
 
引退を決意した彼女の言うプロフェッショナルとは・・・。

 「情熱と誇り。それを持ってコツコツとやってられる。
  自分のやるべきことをできる人」

呼吸器外科医 伊達洋至2010/10/20

今週の月曜日から『プロフェッショナル 仕事の流儀』がまた始まりました。
第一回目は呼吸器外科医の伊達洋至(ひろし)でした。


彼は38歳の時にアメリカで最先端の肺移植を学びます。
肺移植は血液型の同じ親族がドナーの場合が多いようですね。
肺はザックリ切っても大丈夫だなんて、ちょっと意外でした。
 
岡山時代(現在は京都大学医学部付属病院勤務)、15歳の肺の難病の少女・ますみさんにドナーが見つからず、亡くなってしまいます。
この少女が医師の原点であると、彼は言います。
 
それから半年後、血液型が合ったので、母と叔母(だと思う)から肺をもらうことになっていた患者さんの容態が、手術の日に急に悪くなります。
伊達はますみさんの写真に手を合わせお願いします。「力を下さい」と。
その手術が成功するかどうかで、日本に肺移植が根ずくかどうかの瀬戸際だったのです。
七時間後、手術が成功。
その時のことを、彼はこう言います。

「患者と家族の思いが力をくれた」
「”思い”を力に」

別の日に6歳の少女への肺移植を行いました。
片肺は残し、母の肺を三分の一移植するのですが、胸が小さい上に心臓が肥大していました。
母の肺が入るかどうか微妙でした。
もし入らない場合は残すはずの片肺を取らなければなりません。
悩んで伊達の出した答えは、「待つ」でした。
肥大していた心臓が、肺が機能を回復すると小さくなるのではないかと思ったのです。
それからしばらくして、心臓は小さくなり、母の肺が入る余地ができました。
少女の手術は成功します。
 
患者と接する彼を見ていると、患者さんとの関係を大事にしているのがよくわかります。
驚いたことに、この6歳の少女にまで手術の説明をするのです。
わからないだろうから、しないではなく、自分のことだから、できるだけ説明し、納得してもらうという姿勢なのです。
年齢に関係なく、患者に誠実なのです。
 
自分のことを「情に弱い。それが弱点でもあり、長所でもある」と評しています。
医師は技術はもちろんのこと、情がなければ、本当にいい医師にはなれないのではないでしょうか。
 
彼の言うプロフェッショナルとは

「努力して、なかなか他の人には真似のできないような技術を持った人」

まさに彼のことですね。

「響け町の歌声」――ギャレス再び♪2010/08/21

木曜日の夜、眠れないので何気なくテレビチャンネルと回していると・・・アレ!この顔は・・・ギャレスじゃないですか。
彼は合唱団指揮者で、前に男子校に合唱団を作るために奔走している番組(「クワイア・ボーイズ」)が放送されていました。
残念なことに、「クワイア・ボーイズ」で舞台になったランカスター校に再訪する番組は月曜日に放送されてしまいました。見たかったのに・・・。ギャレスの始めた合唱は全校的に行なわれているようです。よかった。

今回はイギリスの貧困地区に位置づけられているロンドン郊外の労働者の町サウスオキシーの町おこしのためにコミュニティー合唱団を組織するという依頼です。
サウスオキシーは周りから差別的扱いを受けており、町の人々は自分の住んでいる町に誇りを持てませんでした。このことを危惧した牧師が、町の人々が知り合い、何かを一緒にやり、互いの距離を縮め、自分たちの町に誇りを持てるようになってもらいたいということから、八ヶ月の契約期間でギャレスはサウスオキシーに赴きます。


番組の第一回と第二回は見ていませんが、だいたいの内容を番組紹介から推測して書いてみます。

第一回ではコミュニティー合唱団を作るために団員勧誘に走り回るギャレス。なんとか参加してくれる人が増え、商店街で成果を発表します。
ギャレスの上手いところは、次々と目標を与えることです。目標を与えられると、人はそれに向かって努力しようとしますよね。努力すると、それだけ伸びていきいます。指導者は明確なビジョンを持っていないと駄目ですね。

第二回では、地区の小学生の合唱団を作ります。目標は町の教会でクリスマスコンサートを行なうこと。どうやら上手くいったようです。


私は第三回の途中から番組を見ました。
最初に目に飛び込んできたのが、何やら無骨な男性たち。元ボクサーのマーティーをリーダーに歌好き男性が集まり、「マーティーズ・メン」というグループを結成していました。彼らは町のパブを回り、歌を披露するのです。
嬉しそうに衣装を着るマーティたち男どもがかわいらしいです。が、マーティーがネクタイの結び方を知らなかったので、びっくりしました。西洋人は背広を着るのが当たり前でネクタイぐらい結べるだろうと思っていたんです。仕事で着なければ、ネクタイ結べないのは仕方ないですものね。

さて、彼らの歌は・・・。ちょっと音程がずれていますが、堂々と歌っていて立派です。好きなことを恥ずかしがらずにやるという心意気は見習わなければと思いました。下手だから恥ずかしいと思いがちですが、下手でも好きだからいいじゃないと思えることが大事ですね。

コミュニティー合唱団と児童合唱団はどうなったかというと、今度の目標は高いです。クラッシックです。ラテン語で歌を歌うのです。
児童合唱団は伝統あるパブリック・スクールの学園コンサートにゲストとして参加します。その後、プロの演奏で「カルミナ・ブラーナ」まで歌っちゃいます。

第四回ではすごいですよ。ギャレスが最後の手を打ちます。サウスオキシーの町おこしのために、フェスティバルを開くことにするのです。合唱団は巨大ステージで歌います。
ギャレスはサウスオキシー・フェスティバルの宣伝のためにCDを作るといいだします。歌の録音はビートルズで有名な、あのアビイ・ロード・スタジオでです!歌はもちろんビートルズの「イン・マイ・ライフ」。

次なる手として、フェスティバルには色々な人が来ます。そんな人たちに歌を聞いてもらうには、ただ歌うだけではいけないと、ギャレスはダンサーに歌の振付をしてもらいます。

さて、フェスティバル当日。雨模様です。これでは人が来ません。ところが午後から晴れてきて、たくさんの人々がやってきます。天も彼らに味方したんですね。
そして結果は言うまでもないですね。

大きなことをやり遂げた町の人々は、口々にサウスオキシーも捨てたもんじゃない。こんなことができるんだから、サウスオキシーにもすごい人たちがいるんだ。このフェスティバルが町の住民達の距離を縮めたなどと言っていました。
ギャレスはサウスオキシーの人々の心に誇りと自信を植えつけたのです。

現在もギャレスはミュージカルデレクターとしてサウスオキシー合唱団と関わり続けています。
サウスオキシー合唱団のHPがありました。みんな楽しそうです。

くだらないけれど、気になったこと。ギャレスの眼鏡。指揮をするときは眼鏡をするのに、インタビューされるときは外すような。彼は近眼?老眼(ってことはないか)?ギャレスも見た目を気にするのかしら?


一見へなちょこな青白い現代っ子という感じのギャレスですが、彼の粘り強い指導には脱帽です。彼の裏表のない、音楽はすばらしいんだという真摯な態度がみんなの心を動かすのでしょうね。

今度はどこに行くのかしら?
楽しみですが、放送するときにわかるかどうか、心配です。

「気ままに寄り道バイク旅」――南九州編始まる2010/07/22

見るといつも夏になったなぁと思える番組が、NHKの衛星放送で放送されるこの番組です。
たいてい旅行先で見ます。
今年は7月24日(土)午後8時から放送するようです。
旅人はバイク好きのタレント清水国明とエッセイストの国井律子。

 
清水国明というと、今は知っている人も少なくなっていると思いますが、1970年代に「あのねのね」という2人グループで歌っていました。なんと調べてみると、当初「あのねのね」が4人グループだったとは…知りませんでした。「赤とんぼの唄」がヒットしましたが、何がよかったのでしょうかね?未だに謎です。
あんなに卑猥な歌を歌っていたのに、今はお茶の間に受け入れられるアウトドア派としてファミリー向けになってしまいました。不思議な人です。そういえば癌にかかったと「噂の!東京マガジン」で言っていましたが、元気になったのですね。
エッセイストの国井さんのことはまったく知りません。ハーレーに乗ることが趣味だそうで、エッセイもバイク関係が多いようですね。
この2人が日本中の視聴者から寄せられた”ふるさとの道”を気ままに走ります。

再放送では「北海道横断編」と「みちのく編」、「瀬戸内編」を放送していたようです。私は「みちのく編」を再度見ました。この放送で記憶に残っているのが、するめです。
道端のお店でイカを売っていて、二人は早速イカを買います。小さくさいてマヨネーズをつけて食べました。食べた後、国明がなにをやったかというと、イカの干したのを一匹買って、それを乾燥させるためにバイクの後に結び付けたのです。
何を考えてるのか、国明。
バイクの後につけて走るんですよ。排気ガスがイカについてしまうじゃありませんか。とてもじゃないけれど、私は食べる気がしません。
最後にイカを半分にして、二人で持って帰ったようです。たぶん、国明は食べたでしょうが、国井さんは捨てたんじゃないでしょうか。
イカがどうなったのか、気になります。

こんな風に、何をやるのかわからないのが、この番組の楽しみ(?)のひとつです。もちろん真の楽しみは、日本の道の風景です。日本中、どこに行っても同じような風景しか見られなくなったこの頃。こういう道があったんだという純粋な驚きがあります。

実は私、運転免許持っていません。こういう番組を見ると、なんで運転免許を取っておかなかったんだろうと悔しくなります。今はもう、運転免許は取れません。(と思う。片目じゃ、止めたほうがいいですよね)
国明と国井さんのおかしなトークもいいですよ。お暇なら見てみて下さい。

シリーズ・音楽のチカラ「スーザン・ボイル~21世紀シンデレラ・ストーリー~」2010/05/28

昨夜NHKでやっていたのが、この番組です。
スーザンについては何回か書いていますが、いつ聴いても彼女の歌はいいですね。

スーザンは1961年4月1日に生まれたので、49歳になります。
学習障害があるので、親には期待されず、学校でも上手くいっていなかったようです。
それでも彼女が歌うと、みんな聞き入っていたと番組で言う人がいたので、彼女の歌の上手さはご近所では評判だったのでしょうね。

1999年にはチャリティでCDを1000枚プレスしたそうです。
その時の歌が ”Cry Me a River"。
どうりでCDを聴いた時にいいと思ったはずだぁ。
このCD、スーザンが有名になったので、一体いくらになっているんでしょう?

コンテストの時は太ったさえないおばさんだったのですが、今やまゆげもちゃんと切り揃えて、見られるようになっています。


しかし・・・顔は変わっても、スタイルはなかなか変りませんね。
(わが身を振り返ると、痩せるのは難しいとつくづく思います。太ると服が似合わなくて・・・)

番組で一番印象的だったのは、彼女がオーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」で憧れと言っていたエレイン・ペイジと歌った場面です。
彼女はミュージカル「キャッツ」や「エビータ」で主役をしていた人です。
「チェス」というミュージカルから「アイ・ノウ・ヒム・ソー・ウェル」をデユットしています。
歌は場慣れしているエレインですからねぇ、貫禄勝ちです。
でも、声の質はスーザンの方が澄んでいてきれいだと思いました。
 
一発屋で終わるとか言う人もいるようですが、それでも彼女の歌は残ると思いますよ。特に「夢やぶれて」は今や彼女の歌になっています。
彼女の歌う「翼をください」もいいです。YouTubeで聴いてみてください。
 

NHK知る楽 「怖い絵」で人間を読む2010/02/27


前にこのブログで「怖い絵」を紹介しましたが、今、NHKの教育放送、月曜日「探求 この世界」で中野京子さんの「怖い絵で人間を読む」という講座をやっているようです。
2月から始まっているのですが、私はまだ見ていません。
「怖い絵」シリーズをそろえるのはちょっと、という人に朗報です。
NHKから出ているテキストが、690円。これ一冊で「怖い絵」を垣間見られます。


テキストの「はじめに」に中野さんは書いています。

「いつの頃からでしょう、絵画の正しい鑑賞法は、いっさいの予備知識なしの白紙状態で作品と向き合い、自分の感性のみを頼りに、色彩、タッチ、雰囲気などを心で味わうこと、と言われるようになりました。知識は先入観を植えつける余計なものとされたのです。
 結果、多くの人にとって、美術館めぐりは退屈なものになってしまいました。
    (中略)
 絵画、とりわけ十九世紀の絵は、「見て感じる」より「読む」のが先だと思われます。一枚の絵には、その時代特有の常識や文化、長い歴史が絡み、注文主の思惑や画家の計算、さらには意図的に隠されたシンボルに満ち満ちています。現代の眼や感性だけではどうにもならない部分が多すぎるのです。」

彼女のこういう観点から「怖い絵」は書かれたのです。
二月は過ぎてしまったので、三月の予定を載せておきます。テキストがなくても、話を聞くとおもしろいかも。

 NHK教育放送 午後10:25~10:50
     再放送 翌週月曜日 午前05:35~06:00
 
3月1日(月)ベックリン『死の島』


8日(月)レーピン『イワン雷帝とその息子』
 
 
 15日(月)シーレ『死と乙女』

 
 22日(月)グリューネヴァルト『イーゼンハイムの祭壇画』


実は2月に『エリーザベート皇后』、『マリー・アントワネット最後の肖像』、『わが子を喰らうサトゥルヌス』という有名な絵が出ていたのです。(サトゥルヌスは有名ではないですか・・・)
この4枚の絵をどう中野さんが読み解いていくのか、とっても興味があります。
でも私って曜日の感覚がないので、見るのを忘れる確立が高いです(笑)。 

ハンサム・ウーマン 新島八重2010/02/25

 
昨日はたまたま用事があり仕事から早く帰っていたので、NHKの「歴史秘話 ヒストリア」の再放送を見ました。
興味のない人ならスルーしたのですが、何やら勇ましい女性の話です。
主人公は八重という女性です。
 
彼女は会津藩の砲術師範であった山本権八・さく夫妻の子として誕生しました。
戊辰戦争時には、断髪・男装し、スペンサー銃を持って闘った男勝りの女性です。
戦後、京都府顧問になっていた兄を頼り上洛。
京都女紅場(明治時代初期に全国につくられた、女子に裁縫、料理、読書きなどを教えるための施設)の権舎長・教道試補となります。
八重は学校の運営資金が足りなくなると、助成金を出して欲しいと、京都参議に直談判しに行っていたそうです。
後に夫となる新島襄(同志社大学の創設者)とは、兄の家で井戸の上に板を渡し、そこに座って縫い物をしている時に出会います。
暑さ対策だったとか。
この時、新島は八重に一目ぼれをしました。
彼は密航してまでしてアメリカに行き、そこで学んだ人なので、普通の日本人男性のように黙って夫の言うことを聞く女性は嫌だったようです。
アメリカの女性のように、夫と対等に話ができる女性を妻にしたかったのです。
 
新島は八重についてはこう書いています。

 「She is not handsome at all.
      She is a woman who does handsome.」
 
八重は美人じゃないけれど、行いが美しい人なのですね。
悪妻と言われようが、八重は気にせず、新島とは仲良くやっていたそうです。
しかし、世間は陰口をたたきます。
彼女が新島のことを「ジョー」と読んだり、人力車に夫より先に乗ったり・・・。
とかく自分達と違うことが気に入らないんです、世間は。
 
京都の家は現在も残されています。
家は新島が設計したそうですが、台所のサイズやレイアウトが八重の使いやすいようになっているそうです。新島さんって優しいんですね。
自分が危篤の時も、寝ないで付き添ってくれている八重に、寝るようにとも言っているのです。
私は新島襄のファンになってしまいました。

残念ながら新島は46歳で亡くなってしまいます。
結婚生活はたった14年でした。
夫が死んだ後、妻は長生きをするとはよく言ったもので、八重も長生きをしました。
従軍看護婦になったり、当時では珍しかった茶道の師範になったりと、やはり一筋縄にいかない生き方をしています。

八重が85歳の時、世間は八重がキリスト教から仏教に帰依したという噂を流しますが、彼女はそんな噂をものともしていません。

彼女の茶室は「寂中庵」と名づけられています。「寂」とは「どんな時にも動じない心」を言うそうです。

本当に彼女の生き方は「handsome」ですね。

 
昨年会津市で「新島八重の生涯」展が開催されたようです。写真の八重は小太りのおばさんで、「美しく」は・・・ないです(笑)。

遅れたチョコレート2010/02/22

日曜日の夜に、テレビ東京で「ソロモン流」という番組をやっています。おもしろそうな人が出ていると見るのですが、バレンタイン前にショコラティエ(チョコレート職人)の三枝俊介さんが出ていました。
彼は洋菓子職人だったのですが、フランスに行った時に、ショコラティエの巨匠モーリス・ベルナションのチョコレートに衝撃を受け、ショコラティエになったそうです。
彼のお店は「ショコラティエ パレ ド オール」といい、大阪と東京にあります。
おいしそうなので、買ってみたいと思ったのですが、バレンタイン前は混んでいそう。
ネットで見ると、やっぱり売り切れ。
先週見ると、売っていました。早速申し込むと、昨日届きました。


こんな感じの箱に入っています。
この箱を見て、なんか前に見たことがあるような・・・?
思い出しました。昨年、ここのチョコレートを買いました。


中身はこんな感じです。
相棒はおなかがいっぱいだから、食べないと言ったので、私一人がいただきました。(全部食べたわけじゃないですよ)
大部分のチョコレートが甘くなく、ビターです。コニャックなど洋酒と合うような気がします。
私は飲めないので、コーヒーやお茶と合わせるので、もっと甘い方がいいかも。
私的には真ん中の左右に入っている「パレドオール」というチョコレートが気に入りました。次回はこのチョコレートだけ買おうかしら。

研究者 浅川智恵子―「あきらめなければ 必ず道はひらける」2010/01/14

NHKのプロフェッショナルに全盲の研究者、浅川智恵子さんが出ていました。
彼女は日本IBM東京基礎研究所で働いており、専門は「情報アクセシビリティの研究」(アクセシビリティ技術とは障がい者や高齢者を含むすべての人が自由にIT機器を操作できるようにするための技術のこと)で、世界で始めてホームページを音声で読み上げるソフトを開発した人です。

彼女は14歳の時にプールで右目をぶつけたことをきっかけに、だんだんと目がかすれて見えなくなりました。医師にも原因がわからなかったそうです。
高校受験では、普通科には全盲の子を入れた前例がないということで受け入れてもらえず、盲学校へ行きました。
盲学校で点字を学び、教科書を読めるようになるにつれ勉強が楽しくなり、大学の英文科に入学し通訳を目指しますが挫折。
職業・生活訓練センターでプログラミングの勉強を始めます。

彼女の転機は25歳の時。
英語の点字翻訳ソフトの開発にかかわったことです。
「目の見えないことが強みになる」と気づいたのです。
彼女は今日本で3人目のIBMの最高技術職であるIBMフェローになって、7人の部下を率いるリーダーとして働いています。

彼女のいうプロフェッショナルとは・・・

「不可能と思える課題であっても、それに挑戦して努力し続けられる人。そして、その結果として、その自分のそれぞれの技術エリア、技術レベルを、一歩も二歩も前進させて、次の世代に引き継いでいくことができる人」


現在視覚障害者で点字が読める人は1割しかいないそうです。
14歳で全盲になり、高校で点字を勉強した浅川さんでさえ覚えるのが大変だったそうです。彼女がどれほど努力したことか・・・。
誰でも彼女のようにできるわけではないし、そうしなければならないわけでもないですよね。
彼女はとっても負けん気の強い人なのでしょうね。
彼女は自分のやれる限りを尽くし、淡々と自分の道を歩いてきたように見えました。 

FUNKY MONKEY BABYS――不思議な三人組2009/08/31

夜、眠れないときに、テレビのチャンネルを動かしていました。
すると、三人組の変った男の子たちが歌っていました。
私っていつものように勘違いをしました。
舞台の真ん中に「FUNKY MONKEY BABYS」と書いてある横断幕があったのに、それが彼らのグループ名だとは思わなかったのです。
それで起きてきた相棒に、「彼ら、なんていう名のグループなの?なんで大きい日の丸が天井にあるの?」なんて聞いていました。
彼らは八王子で生まれ育ち、今も住んでいるという三人組「FUNKY MONKEY BABYS」でした。
天井の日の丸は、武道館だからなんですねぇ。知らなかった(恥)。
メンバーは、ファンキー加藤(MC 写真右)とモン吉(MC 左)、DJケミカル(DJ 中央)。
DJケミカル君がおもしろいんです。最初は真ん中にいて、一体何をやってんだ?機械を扱っているから、真ん中にいて動かないのかな?なんか変った格好(ファッション)をしてるな、などとすっごく気になりました。
ホント、独特の個性の持ち主ですね。
占い師から宇宙人と言われたらしいこともあるらしく、うなづける人です。(ちなみに私も人から宇宙人といわれたことがありますが・・・関係ないか)
彼らの歌詞が結構いいんです。
YouTubeで彼らのPVを観ましたが、そのまんま東がモンキーの着ぐるみ着てたり、山田花子が高校生役やったり、ペナルティや船越栄一郎、中島朋子、杉本彩なども出ています。
社会人へのお勧めは「告白」と「桜」、「Lovin' Life」です。(学生なら他の歌がピッタリかも)
私の個人的思い入れ度は「Lovin' Life」が一番です。