ハンサム・ウーマン 新島八重2010/02/25

 
昨日はたまたま用事があり仕事から早く帰っていたので、NHKの「歴史秘話 ヒストリア」の再放送を見ました。
興味のない人ならスルーしたのですが、何やら勇ましい女性の話です。
主人公は八重という女性です。
 
彼女は会津藩の砲術師範であった山本権八・さく夫妻の子として誕生しました。
戊辰戦争時には、断髪・男装し、スペンサー銃を持って闘った男勝りの女性です。
戦後、京都府顧問になっていた兄を頼り上洛。
京都女紅場(明治時代初期に全国につくられた、女子に裁縫、料理、読書きなどを教えるための施設)の権舎長・教道試補となります。
八重は学校の運営資金が足りなくなると、助成金を出して欲しいと、京都参議に直談判しに行っていたそうです。
後に夫となる新島襄(同志社大学の創設者)とは、兄の家で井戸の上に板を渡し、そこに座って縫い物をしている時に出会います。
暑さ対策だったとか。
この時、新島は八重に一目ぼれをしました。
彼は密航してまでしてアメリカに行き、そこで学んだ人なので、普通の日本人男性のように黙って夫の言うことを聞く女性は嫌だったようです。
アメリカの女性のように、夫と対等に話ができる女性を妻にしたかったのです。
 
新島は八重についてはこう書いています。

 「She is not handsome at all.
      She is a woman who does handsome.」
 
八重は美人じゃないけれど、行いが美しい人なのですね。
悪妻と言われようが、八重は気にせず、新島とは仲良くやっていたそうです。
しかし、世間は陰口をたたきます。
彼女が新島のことを「ジョー」と読んだり、人力車に夫より先に乗ったり・・・。
とかく自分達と違うことが気に入らないんです、世間は。
 
京都の家は現在も残されています。
家は新島が設計したそうですが、台所のサイズやレイアウトが八重の使いやすいようになっているそうです。新島さんって優しいんですね。
自分が危篤の時も、寝ないで付き添ってくれている八重に、寝るようにとも言っているのです。
私は新島襄のファンになってしまいました。

残念ながら新島は46歳で亡くなってしまいます。
結婚生活はたった14年でした。
夫が死んだ後、妻は長生きをするとはよく言ったもので、八重も長生きをしました。
従軍看護婦になったり、当時では珍しかった茶道の師範になったりと、やはり一筋縄にいかない生き方をしています。

八重が85歳の時、世間は八重がキリスト教から仏教に帰依したという噂を流しますが、彼女はそんな噂をものともしていません。

彼女の茶室は「寂中庵」と名づけられています。「寂」とは「どんな時にも動じない心」を言うそうです。

本当に彼女の生き方は「handsome」ですね。

 
昨年会津市で「新島八重の生涯」展が開催されたようです。写真の八重は小太りのおばさんで、「美しく」は・・・ないです(笑)。

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