沢木耕太郎 『無名』2006/08/08

沢木耕太郎の本で好きだったのは、彼が若い頃に旅したことをまとめた『深夜特急』や『バーボン・ストリート』でした。
小田実の『何でも見てやろう』で海外に憧れたのが、前の世代なら、私の世代はたぶん沢木耕太郎の『深夜特急』でバックパックを担いだ、貧乏旅行に憧れた人が多いのではないでしょうか。
自分が男だったらと、めったに思うことはありませんが彼の本を読んだときに、自分が男だったら彼のように気軽に旅に行けるのにと思ったことがあります。
私の中では『旅』は男がするもの、という考えがあるのです。
私にとって『旅』とは自由に旅程もなく、発展途上国へ行くものです。
女だから『旅』に行けないわけではないのですが、私の中の何かが、『旅』に行くのを押しとどめたのを、男だったらと言い訳していたようなものでしょう。

『無名』は沢木の父の死様を書いたものです。
父親が小脳に出血が見つかり、入院することになります。
この入院を聞いて、沢木は父との最後の時が近づいたことを予感し、付き添いをしながら、父と別れるための準備をしていきます。
その行程を押さえた文体で書いています。
彼の父のように、運命に翻弄されつつも、その運命を受け入れて生きてきた人は、たくさんいるでしょう。
そういう無名の人であっても、人の生様、死様には、その人独自のものです。
沢木が彼の父の死を書いた本に『無名』とつけたことに、彼なりの美学があるように思います。
読みながら、自分はどのように親と別れを告げようかと、そのことを考えさせられました。

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