椎名誠 『かえっていく場所』2006/08/01

本当に久しぶりに椎名誠の本を読みました。
彼は『サラバ国分寺書店のオババ』という、変な題名の本から有名になったはずです。
彼独特の書き言葉が新鮮だったのを覚えています。
私の中では彼は作家というのではなく、旅人とか冒険家(まではいかないか)かアウトドア派のおじさんという感じです。
『岳物語』を読んでからは、いい父親という印象も付け加わりました。

『かえっていく場所』という本は、『岳物語』から10年(20年?)以上たった椎名一家のその後が書いてあります。
武蔵野の家から都心にある一軒家に夫婦二人で住み始め、息子の岳はサンフランシスコで写真家を目指し、娘の葉はNYで翻訳と役者をやっています。
幼稚園に勤めていた奥さんの一枝さんが、身体の調子を崩したというのは、前の本に書かれていたから知っていたのですが、なんと今度はあんなに野生児だった椎名さんが、ホテルなどの密室でパニック障害のような症状が出るようになったのです。
奥さんは身体の調子の悪さを、思い切って好きなチベットに行くことで、元気になっていきます。

読みながら思ったのは、日本は人間にとって生きにくい場所になっているのかしら、ということです。
私も海外に行くと、自分が解放され、生き生きとなるのがわかります。
この日本の閉塞感はなんなのでしょうかね。

考えてみると、あの椎名さんが60代になり、息子さんも30前後になっているのですね。
どんなに地理的に離れてくらしていようが、椎名一家は相変わらず、仲のいい一家です。
月日の経つのは速いとつくづく思いながら、『帰っていく場所』を読み終えました。

サルヴァトーレ・ウォーカー 『闇のアンティーク』2006/08/02

私の好きな職業、骨董商が主人公のミステリーです。

父親から老舗の店を継いだ美貌の女骨董商、スーザン・クレイマー。
ある日彼女の店に、現金で買うというお客が来ます。
彼はポンと大金を出し、住所も電話番号も告げず、後で商品を取りにくるからとっといてくれと言い捨て、急いで出て行ってしまいます。
不思議に思ったスーザンは、お金を預けにいった銀行でこの不思議な客のことを話すと、彼女の他に何人かが、この不思議な客からお金を受け取っていたことを知ります。

この不思議な客が現れてから、彼女の友人が次々と殺されていきます。
FBI捜査官ジョージ・ダナバァンが捜査に乗り出し、彼女の身辺警護を手配します。
やがて、ジョージとスーザンはお互いに惹かれ始め…。

スーザンの父親の友人というじいさん(ジェームズ・ヘンダーソン)がいい味を出しています。
ああいうじいさんだったら、友人にしたいですね。

作者は一応サンヴァトーム・ウォーカーと名乗っていますが、「世界的に有名なある骨董商」が偽名を使って発表した、という以外、性別、経歴、国籍とも一切不明ということです。
骨董業界の裏が分かっておもしろくはありますが、ミステリーとして考えるとまあまあの作品です。

田辺聖子 『残花亭日暦』2006/08/03

お久しぶりのオセイさんの本です。
大学時代に彼女の本を読みあさった覚えがあります。
ちょうどその頃仲の良かった男の子に紹介すると、「駄目だ、合わない」と言われてしまい、なんで彼女の本の良さ、小説に出てくる女の子のかわいらしさが分からないのだと憤慨したものです。
大阪弁は大嫌いだったのに、ちょっぴり好きになったのも、彼女の本のおかげでした。
椎名さんと同じように、長い間会わなかった友だちに会う感じです。

この本は彼女の日記です。
超多忙な毎日の様子がかいま見られます。
しかし、びっくりしました。あのカモカのおっちゃんが車椅子生活を余儀なくされ、その後入院、そして亡くなってしまうのです。
死にそうなおっちゃんのことを思いながら、オセイさんは思うのです。

<かわいそう>と思ってくれる人間を持ってるのが人間の幸福だって。<愛してる>より、<かわいそう>のほうが、人間の感情の中で、いちばん巨(おお)きく、重く、貴重だ。

おっちゃんの死後、さすがオセイさん、こうつぶやくのです。「人生はだましだまし、もっていくべし」 なかなか言えない言葉です。
彼女は「よいことばかり あるように日記」というものを作っているそうです。
厚手の美麗ノートを買って、全ページを二十に分けて二十年日記にして、楽しかった旅行やパーティの写真、押花、スケッチ、観劇のチケットなんかを貼ったり、うれしいことを言われたら、それを書いたりしているそうです。
これはいいかもしれませんね。今5年連用ダイアリーを使っているので、そこにいいことを書くようにすると、運も上がるような気がします。
オセイさんのように、人生を楽しく生きていけそうです。

夏樹静子 『心療内科を訪ねて ー心が痛み、心が治すー 』2006/08/05

夏樹静子さんのことはミステリー作家として知ってはいても、本を読んだことはありませんでした。何かの雑誌か新聞で、腰痛で悩んでいたという記事を見た記憶があります。たまたま本屋に行って、新刊の棚を見ていたら、『心療内科を訪ねて』がありました。心療内科について興味のある私は、さっそく買いました。
『心療内科・・・』には心身症により、腰痛、耳痛、潰瘍性大腸炎、拒食・過食、円形脱毛症、過敏性腸症候群、斜頸、喘息などいろいろな身体的症状がでていたけれど、今はなんとか治まっている人たちのインタビューが書かれています。
「心身症との出会い・・・作家出光静子(54歳)ー腰痛」という章が始めにあり、出光静子とは夏樹さんのことだということが読んでいてわかりました。彼女の経験したという腰痛は、私が考えていたヘルニアや脊柱管狭窄症などのようなものではなかったのです。心因性から来る腰痛だったのです。彼女は書いています。

自分の中に自分の知らない自分がいる。意識の陰に潜在意識という生きものが潜んでいて、これは何を考えているかわからない。
(略)
どうやら人間の本音は潜在意識のほうに多く偏在しているのではあるまいか。だからその声は聞こえにくい。意識の抱く「かくあるべき」とか「かくありたい」という威勢のいい理想や願望に反して、「かくある」という認めたくない現実を告げているからだ。しかし、時には人は立ち止まって、潜在意識のかそけき声に耳を傾けなければいけないのかもしれない。
仮に意識と潜在意識の両方を合わせて「心」と呼ぶとすれば、心と身体がいかに密接に繋がっているか、心身医学の基本ともいえる「心身相関」に初めて目を開かされる思いがした。

夏樹さんの腰痛の闘病記は新潮文庫『腰痛放浪記 椅子がこわい』で出ています。この本を読むと、人間の身体の不思議を思わずにいられません。胃潰瘍とか過敏性大腸炎のようなもので、一般的にストレスなどでなると言われている病気なら、心身症と言われても納得できたでしょう。ところが腰痛なのです。誰が心身症だと思うでしょうか?彼女はドクターショッピングをして、いいと言われている鍼治療、カイロ、果ては新興宗教(?)の人に祈ってもらったりと、あらゆることを試すのです。自分では物を書いて、運動をしていないから筋肉が衰えているのだと思い込みたい。でも、運動をしても痛みはおさまらない。変だと思いつつ、いくら心因性を疑われても、そうは思いたくない。壮絶な自分との戦いです。
人の縁とは不思議なもので、彼女に手をさしのべてくれる医者がいて、入院することになります。医者は彼女に作家、夏樹静子のお葬式をして、一主婦、出光静子として生きるようにと言います。絶食療法を通し、彼女は自分と向き合い、「あるがままの自分」を受け入れていくのです。そして、自分を受け入れるにしたがい、いつしか激痛は治まっていくのです。
心因性だから、どんな激痛でも起こりうるといった医者の言葉は不思議です。人間の身体の不思議にも通じます。概して東洋医学は、身体と心は密接に結びついているといいます。心が病気を作ると言います。心療内科は東洋医学的な観点を取り入れているように思います。
どんな医者に行っても病気が見つからない人は、一度心療内科に行ってみるといいかもしれません。心療内科に行くというと、自分が弱い人間だというレッテルを貼られるようで、嫌だという人がいるかもしれませんが、その思いこみが病気を作っているのかもしれません。弱い自分で良いじゃないか、と開き直れる強さが必要なのかもしれませんよ。
自分の頚椎症は彼女のように心身症から来る痛みではなく、レントゲンやMRIで異常が見つかり、よかったな・・・とちょっぴり思えました。でも、心因性といわれても、そうかも・・・と私は単純だから思ってしまったかも・・・。

沢木耕太郎 『無名』2006/08/08

沢木耕太郎の本で好きだったのは、彼が若い頃に旅したことをまとめた『深夜特急』や『バーボン・ストリート』でした。
小田実の『何でも見てやろう』で海外に憧れたのが、前の世代なら、私の世代はたぶん沢木耕太郎の『深夜特急』でバックパックを担いだ、貧乏旅行に憧れた人が多いのではないでしょうか。
自分が男だったらと、めったに思うことはありませんが彼の本を読んだときに、自分が男だったら彼のように気軽に旅に行けるのにと思ったことがあります。
私の中では『旅』は男がするもの、という考えがあるのです。
私にとって『旅』とは自由に旅程もなく、発展途上国へ行くものです。
女だから『旅』に行けないわけではないのですが、私の中の何かが、『旅』に行くのを押しとどめたのを、男だったらと言い訳していたようなものでしょう。

『無名』は沢木の父の死様を書いたものです。
父親が小脳に出血が見つかり、入院することになります。
この入院を聞いて、沢木は父との最後の時が近づいたことを予感し、付き添いをしながら、父と別れるための準備をしていきます。
その行程を押さえた文体で書いています。
彼の父のように、運命に翻弄されつつも、その運命を受け入れて生きてきた人は、たくさんいるでしょう。
そういう無名の人であっても、人の生様、死様には、その人独自のものです。
沢木が彼の父の死を書いた本に『無名』とつけたことに、彼なりの美学があるように思います。
読みながら、自分はどのように親と別れを告げようかと、そのことを考えさせられました。

出口保夫 『英国流シンプル生活術』2006/08/10

英文学者出口保夫さんの書いた本です。懐かしいですね~。彼の本は大学在学中に読んだ覚えがあります。それ以来遠ざかっていたのですが、たまたま文庫本の新刊で出ていたので、買ったのです。この頃何故か、20代の頃に読んだ作家などの本を読む機会が多いようです。
見出しを読んだだけでも、英国を語っています。

「古い家と古い家具のある暮らし」
「快い片隅という空間」
「生活用具は長く使う」
「イギリス人はシマリ屋である」
「散歩を楽しむ、シンプル・ライフ」
「花束を抱きかかえてあるく紳士」
「美なしには生きていけない  都市美観について」
「今日いちにち ぼんやりと過ごそう ー ワーズワスの田園」

などなど。
そういえば、ポール・マッカートニーは暇なとき、"Walk around"してるといます。もちろん街の通りではありませんよ。"Backyard"だとのこと。どんな裏庭か見てみたいですね。たぶん公園みたいなものですよね。池とかあったりして・・・。日本の歌手ならなんというでしょうね。絶対にポールのようには言いませんよね。
彼のように広大な敷地のある家には住んでいませんもの。

出口さんも書いていますが、イギリス人は雨が降っても傘をささないことが多く、イギリス紳士が持っていることで有名な傘も、持っていないことが多いそうです。持っていたとしても、ささないそうです。イギリスの天気は一日にすべてが含まれてしまいますもの。朝、涼しいと思っていると、昼になると暑くなり、急に雨が降ってきて、また晴れて・・・。一日のうち、長袖と半袖が必要だったりするんです。日本のように6月から衣替えなどという感覚はないでしょうね。

チャールズ皇太子は地方活性化のための活動をしていると、前のブログに書きましたが、彼は『英国の未来像( A vision of Britain)』という本を10年以上も前に書いているそうです。すごいですね。ダイアナさんとのことがあり、ちょっとチャールズさんの人気は日本では下火ですが、やることはやっているのですね。

私としては、公園の多いイギリスの都市がうらやましいです。公園のベンチでボーとしながら、美しい景色を見るということは、私的には「究極の癒し」です。上野公園に行ってベンチでボーとできませんよね。危ない、危ない。
いつか海の側に住み、優雅にアフタヌーン・ティをしますわ。気分だけイギリス人?

江原啓之 『スピリチュアル ワーキング・ブック』2006/08/11

江原啓之の仕事についての本を買ってみました。
江原さんが言っていることで、一番私たちが思っているのと違うことは、「適職」と「天職」は違うということです。
よく好きを仕事にしたいといいます。
でも、江原さんによると、「適職は自分の技能を生かせる仕事」で、「天職はたましいが喜ぶ仕事」なのです。
「適職」=「自分に向いた仕事」を見つけたいときは、生きがいや使命感は脇に置いて、自分の技能だけを客観的に見て判断するように。
仕事の場はたましいを磨く経験を与えられる場であると割り切って考えた方がいいようです。
仕事の失敗や挫折、上司や部下、取引先の人間関係で悩むことも大切な体験で、たましいの課題だといいます。
そう割り切って考えると、仕事から与えられるストレスが少なくなるし、仕事の壁も突破できるそうです。
こういう風に考えられると、「ニート」はいなくなりますね。

本の中の、私がいいと思った言葉を載せてみます。

「夢こそ、感動の源です」

「出会った人は、すべて縁ある人です」

「天職の場合は「相手のたましいが喜ぶこと」をすればいいのです。やがてそれが自分のたましいの喜びにつながります。一方、適職の場合は「この仕事で、会社や社会がどう喜ぶか」ということを考える必要があります」

「出会う人はみんな自分を映しだす「鏡」なのです」

「自分は自分で育てる」

「ストレスの本質は、愛情の電池切れです。心が淋しがっているのです」

すべてうのみにするのではなく、なるほど・・・と思える言葉を取り入れていければいいですよね。

野地秩嘉 『企画書は一行』2006/08/14

企画書をいうと、ながながと書きたくなりませんか?
ところが、この本にのっている人たちは、簡潔な企画書を書いていながら(書いたからこそ?)、自分の企画を通し、ヒットを産んでいます。

例えば、トヨタ自動車 張富士夫、キリンビール 和田徹、ナムコ フードテーマパーク 池澤守、元警視庁長官 國松孝次、旭山動物園園長 小菅政夫などなど。
どの人も、企画書はどんなに長くても二ページ。
一行で言いたいことを表すということです。
例えば、

「美女がサメに襲われる映画」・・・「ジョーズ」だとわかりますね。
「一生、屋台を引くことはできない」・・・寒いですし、大変ですよね。
「彼女の部屋で遅めのランチ。パスタを食べながらグビグビ」・・・飲みたくなります。

この頃読む本のどこかに必ず書いてあるのが、夢を手帳に書いてみるというものです。
この本にもありました。
GMO会長兼社長 熊谷正寿氏が自分自身の未来への夢や目標を手帳に記しているそうです。
1年という短期間ではなく、もっと遠い未来の夢や目標をまず箇条書きにします。
それからそれに向けて、短期間の目標を決めるそうです。
彼は企画書も簡潔であれといいます。
何故なら、人生とは時間を消費していくことである。
分厚い企画書を読ませて、他人の時間を消費させてはいけない。
なるほどです。
なんでもいっぱい書けばいい。マスがあれば、埋めなきゃならないと思い込んでいました。
それでは駄目なのですね。

最後に著者のまとめを載せておきます。
一行で「相手の頭の中に同じ映像を映すことができれば、企画は結実する」。

ドン・ウィンズロウ 『砂漠で溺れるわけにはいかない』2006/08/15

ニール・ケアリー・シリーズの最終巻です。

父親がわからず、売春婦の母親にネグレクトされて育ち、11歳の時から”父さん”と呼ぶようになるグレアムに生きるすべを教えられてきたニール。
カレンとの結婚式が間近に迫っています。
カレンは何故か子どもを欲しがり、ニールは子どもを持つことにそれほど積極的にはなれません。
そういうときに、もう止めたはずの銀行の秘密機関”朋友会”の仕事が入ります。
ラスベェガスから帰ろうとしない、86歳の元ストリップ幕間劇の看板役者ナッティ・シルヴァーを連れ戻すという、一見簡単そうな仕事です。
いい金儲けになると思い引き受けたのですが、何故かナッティは帰ろうとはしません。
口が達者で、ジョークをしゃべり続け、相手をしないとふてくされます。
飛行機に乗せようとすると、飛行機が嫌いだと言って、断固として動こうとはしません。
車で帰ろうとすると、ジープは軍用車で絶対に駄目だ、日本車、ドイツ車のような旧枢軸国で作られた車は嫌だと文句ばかり言います。
やっと乗せて出発したと思うと、トイレに行っている間に、車ごと逃げられてしまいました。
ナッティは放火の場面を見たらしく、命を狙われていたのです。

ハチャメチャなじいさんとニールの掛け合い漫才がおもしろいのですが、ミステリーとしてはたいしたことはありません。
ニールが自分の心と出会い、自分は子どもを持つことが怖いのではなく、父親になることが怖いのだと気づくまでの話だと思った方がいいでしょう。

結局ニールとカレンは結婚するのを止めました。
「お互いの求めるものがちゃんとわかるまで」ということで。
このシリーズはどうやらこれで終わりだそうですが、作者のドン・ウィンズロウはまた書くかもしれないと言っているそうです。
次回会うときに、二人はどうなっているでしょうね。お楽しみとしておきましょう。

川上弘美 『センセイの鞄』2006/08/16

谷崎潤一郎賞を取ったというこの小説。
よくわからずに読んでみました。

三十代後半のツキコと30歳以上も年上の元高校国語教師との恋物語でした。
発表当時は中年以降の男性に人気だったらしいですが、なんとなくわかります。
夢物語でしょう。どう考えても、70代男性が30代女性に愛されることは、皆無とはいいませんが、めったにないでしょうから。
たまたま同じ街に住んでいて、たまたま飲みに行く居酒屋が同じで、センセイの方が見た顔だと思い出し、声をかけたことから付き合いが始まります。
飲み方が同じで、なんとなく気の合う二人。
いつしかかけがえのない関係だということに気づくのですが、なかなか一歩を踏み出せません。
ツキコの方がじれて、「センセイが好き」と言ってしまいます。

普通のどってことのない恋愛小説が、たまたま男の方が70代だということで、新しいのでしょうね。
フワフワと生きているツキコと、なにやらこの世の者とは思えないセンセイ。
恋愛対象ではなくていいから、こういう飲み友だちなら欲しいですね、と飲めない私は思います。

この本の中からちょっといいと思った言葉を。

「大事な恋愛ならば、植木と同様、追肥やら雪吊りやらをして、手をつくすことが肝腎。そうでない恋愛ならば、適当に手を抜いて立ち枯れさせることが安心。」