一志治夫 『魂の森を行け 3000万本の木を植えた男』2006/11/28

植物生態学者の宮脇昭についての本です。
植物生態学などとは全く縁がなく、なんだろうと思いましたが、ようするにその土地に生えている草や木を調査し、どういう植物がその土地に生えているか、そして過去に生えていたかを探る学問です。
宮脇は東京大学研究生をしているときに、6年連続、240日間フィールドワークに出ていたといいます。
それ以外の日は朝8時から夜11時まで研究室にこもっていたそうです。
彼のこの時の思いを、この本の著者の一志はこう書いています。

「瞬間、瞬間を自分はベストに行きたい。自分に忠実に生きていきたい。人がどう言おうと関係ない。だから、自分の言葉に嘘はないし、ごまかすこともしない。研究者は自分の発言に自分で責任を持てばいいのだ。過去も未来も結局は夢であって、いま、この瞬間だけ自分は存在している。その瞬間、その瞬間にベストを尽くす。その積み重ねでしか、自分の存在はない」

その後宮脇はドイツ留学をし、日本に帰って来た後に日本全国を回り、全10巻の『日本植生誌』を作りました。
彼のすごいところは、机上の学問だけで終わらなかったことです。
新日本製鐵の全製鉄所の森づくりをかわきりに、次々と潜在自然植生に基づく森づくりを実践していくのです。

おもしろいことが書いてありました。
人間社会では、集団が巨大化すると、何か新しいことをやろうとすると、3割の人が積極的に改革しようとし、3割の人が今までで不自由はないんじゃないかとネガティブに静観し、残り4割は中立になるそうです。
しかし議論していくと、結局7対3でやらないことになるそうです。
まさにその通り、と読みながら叫んでおりました(心の中で)。
宮脇のすごいところは、そういうことを冷静に見て、とにかく一気にトップダウンでやろうとしたところです。
強引ともとれますが、それぐらいでなければ、人は動かないし、何もできないということなのですね。

女の見方を書きますと、家族はそうとう大変な思いをしたと思います。
結婚してまもなく、ドイツに留学するのですが、留学から帰ってからも、妻や子に会いに行かなかったり、調査や研究、植林で家にいることはあまりなかったと思いますから。
今なら、彼のような人は独身で終わったでしょうね。
2000年には胆石がたまっているのに、マドリードの学会に行くといって聞かなかったそうです。
奥さんもさるもの、医者と結託して、検査入院だと嘘をいい入院させ、手術をしたそうです。
この時、手術をしないで学会に行っていたら、命はなかったといいます。
でも、もし死んだとしても、彼にとっては本望だったのではなかったでしょうか。

宮脇が講演で話したことを載せておきます。

「みなさんよく、親が勝手に産んだと言うんですけど、たとえば、私たちがいまここにいるのは、大変天文学的な奇跡なのですね。いまから三十億年前に何かの拍子に我々の血液と同じような塩分濃度の、ちょっと陽の当たるような海岸沿いで偶然精子か卵子のようなひとつの細胞みたいな命が出てきた。それが三十億年の時間をかけてゆっくりと進化して、現代のような土の中、水の中、あるいは空気の中にいるようなこれだけの多彩な生物社会に発展しているわけ。で、人類がでてからせいぜい400万~500万年。まあ、みなさんと同じ骨組みをしたのが出てから30万年か50万年ですし、その中でいま、みなさんが生きているというのは、三十数臆年前に何かの偶然のようなチャンスで出てきた命の種、遺伝子が受け継がれてきた奇跡なんです。…だから、命は大事にしなきゃいけない。」

「大事なことは、いくら我々が威張っても、どんなに金を儲けても、あるいは財産を持っても、結局は死ねばゼロ。壺に入っている骨すらミネラルになって緑の植物に再生産される。ひとつの物質循環のパートにしかなりえないわけです」

いつも思うのですが、ひとつのことに信念を持って命を賭けた人の言葉は、深いですね。

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