碌山美術館 ― 2024/05/20
一色さゆりさんの書いた『ユリイカの宝箱 アートの島と秘密の鍵』を読んで行きたいと思った碌山美術館に行ってきました。
碌山美術館には、30歳で夭折した、日本近代彫刻の扉を開いた荻原守衛(碌山)の作品と資料が保存・公開されています。
詳しくはHPをご覧下さい。
碌山美術館のある穂高駅に直接行ける特急列車は行き帰りそれぞれ一日一便しかありません。
新宿駅発8時のあずさ五号に乗って穂高駅には10時59分に着きました。

写真の左側にロッカーがあり、右側にトイレがあります。
右に行くと碌山美術館に続く道があります。

標示に従い、線路沿いの路を歩きます。
一緒の電車に乗っていた方々はどこかに行ってしまったようで、私一人しか歩いていませんでした。

穂高らしいマンホールがありました。
5、6分歩くと、左手にお蕎麦屋さん、突き当たりに碌山美術館が見えてきます。

少し早いのですが、先にお蕎麦を食べることにしました。

冷たい山葵蕎麦。蕎麦の量が結構あります。
久しぶりに外食でお蕎麦を食べましたが、観光地価格なのか、この頃どこでも外食が高くなっているからか、思った以上のお値段でした。
これが当たり前になっているんでしょうね。

向かい側に碌山美術館があります。
入館料の900円を払い、振り向くと、碌山館が見えます。

大きな建物だと思っていたら、そうでもなく、こじんまりしています。
この建物を設計したのは今井兼次という建築家です。
以下の説明は『ユリイカの宝石』に書かれていることをお借りしています。
教会みたいに見えますが、碌山も今井も洗礼を受けているカソリック教徒です。
外壁の煉瓦はあえて不揃いのものを選び、黒ずんでいて不揃いな”焼きすぎ煉瓦”とと呼ばれる素材が使用されています。
今井はサグラダファミリアから大きな影響を受け、長崎市の日本二十六聖人記念館や聖フィリッポ教会をデザインし、高く評価されたそうです。
碌山館は平成に国の登録有形文化財に指定されています。
碌山美術館は1950年代に建てられました。
地元の教師たちの荻原碌山の作品を後生に伝えたいという想いとひいてはこの地に文化のシンボルをつくりたいという夢が、懸命な募金活動に結びつき、結果として、三十万人近くの老若男女から寄付が寄せられました。
建築地には、地元の穂高中学校の一部が提供され、手作業で工事が行われました。
小中学校に通っていた子どもたちも、手伝ったそうです。

入り口の左横に水が流れていました。

ツタが見事です。(ツタだよね)

「碌山の鍵」と書いてありますが、鍵なんでしょうか?

「LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY. 碌山」と書いてあります。

館内にはヨーロッパで彫刻を学んだ荻原碌山の作品が飾られています。
真ん中に見える後ろで手を組んでいる女性の彫刻≪女≫が一番有名でしょうか。重要文化財です。
≪女≫は碌山が思いを寄せた女性、新宿中村屋の女主人、相馬黒光の面影が心象のモデルとなっているといわれています。
碌山がまだ守衛と呼ばれていた十八歳の時に、安曇野に嫁いできた相馬黒光と出会います。守衛は彼女から見せられた油絵に心を惹かれ、それ以来、美術に魂を奪われ、愛するようになります。
十九歳で上京し、ニューヨーク、パリへ渡り、現地の美術学校で好成績をおさめます。パリ時代にはロダンの≪考える人≫に衝撃を受け、彫刻家を志し、幾度かロダンのもとを訪ねて教えを受けています。
≪女≫と写真の右端に写っている、≪文覚≫と≪デスペア≫は「恋の三部作」と言われているそうです。(どういう彫刻か知りたい方は、碌山美術館のHPの中の「荻原守衛(碌山)の彫刻」を見て下さい)
≪女≫が完成してからわずか二十日後に、碌山は喀血して、三十歳という若さで亡くなります。

碌山館の後ろには詩碑があります。

小さすぎて読めませんが、親友であった高村光太郎が書いた守衛の死を悼む詩が刻まれた詩碑。

碌山美術館の後。

碌山の絵画を集めた杜江館。

杜江館には碌山絵画室があります。

碌山館と杜江館の間にあるベンチ。


杜江館の方から見た碌山館。

第一展示棟のドアの装飾が面白いです。
第一展示棟には高村光太郎や戸張孤雁、中原悌二郎等の荻原守衛の友人や系譜のつながる彫刻家たちの作品が展示されています。

奥の第2展示棟では「生誕100年 基俊太郎展」が開催されていました。
碌山美術館の第一展示棟や事務棟、トイレ棟、第二展示棟、杜江館、第一展示棟の椅子などは基俊太郎が設計したそうです。

入り口にあった「カテドラル」という作品。



左側は女性の脱ぎ方を描いた作品です。
金属で作られた作品が面白かったです。

休憩室、グズベリーハウス。
ミュージアムショップで鈴を買いました。
すると、「この鈴でいいんですか」と聞かれました。
猫の魔除け鈴もあったので、女性はそちらの方を買う人が多いのかもしれませんね。
碌山館はとても美しい建物でした。
松本の様子は明日書きます。
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