原田マハ 『風神雷神 Juppiter, Aeolus』2025/01/27



京都国立博物館主催『いまひとたびの琳派 宗達と江戸の絵師たち』展が開催された。
研究員の望月彩はオープニングの講座「江戸初期の謎の絵師 俵屋宗達『風神雷神図屏風』をめぐる解釈」のメインスピーカーだった。
講座後、マカオ博物館の学芸員、レイモンド・ウォンが面会を申し込んできた。
彩に見てもらいたいものがあるから、マカオに来て貰いたいと言うのだ。

マカオで彩が見せられたものは、聖ポール天主堂跡地の発掘調査時に発見され、とある建設作業員によって隠匿され、彼の孫によって博物館に届けられたという一枚の板絵と古文書だった。

古文書の扉にはラテン語の題名と筆者名、「ユピテル アイオロス 真実の物語」「ファラ・マルティノ」と書かれている。
古文書は、原マルティノが五百年もの昔に天正遣欧使節の一員としてローマに派遣された時に描かれた日記だ。
驚いたことに、その日記の中に俵屋宗達の名が書かれていた。

彩はマカオに滞在した三日間で古文書を通読した。
そこには織田信長の意向を受けて宗達がマルティノたち遣欧使節とともにローマに旅したことが書かれていた。



俵屋宗達は江戸時代初期の画家ですが、生没年不明で、その生涯も謎の人物です。
京都の裕福な町人階級に生まれ、冊子本、屏風絵、料紙下絵、扇画面などを制作する絵屋「俵屋」を営んでいたようです。

本の中では「俵屋」の息子として生まれ、幼い頃から扇に絵を描いていて、それが評判になり、織田信長に謁見し、宗達という名をもらったとなっています。
そういう史実はありませんし、もちろん宗達がマルティノたちとローマまで行ったというのは創作ですが、まるで十代の宗達少年が目の前にいるような、生き生きとした描写が見事です。
同じ時代に生きていた人物が、もし出会っていたら…と考えて出来上がった物語です。

この本を読みながら、ある本を思い出しました。
若桑みどりが書いた『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国(上・下)』です。
そうすると、本の最後にこの本をよりどころとしたと書いてあり、やっぱりと思いました。

俵田宗達と天正遣欧使節団について知りたい方はマハさんの『風神雷神』を、もっと詳しく日本のキリシタンについて知りたい方は若桑みどりさんの『クアトロ・ラガッツィ』を読んでみて下さい。
両方ともに面白いですよ。

『風神雷神』インタビューがありましたので、ご覧ください。