堀川惠子 『透析をやめた日』2025/09/26

前に読んだ『教誨師』を書いた堀川惠子さんの本が話題になっていると聞き、読んでみました。


堀川さんは元放送記者で、テレビ局を辞めた後にドキュメンタリー番組の制作を始め、その時にNHKのプロデューサーだった林新さんと出会ったようです。

林新さんは32歳の時に難病の「多発性嚢胞腎」を発症し、1995年、38歳で透析を開始しなければならなくなります。
透析は週に3回、透析施設に通い、1回に四時間ほどかかります。
テレビの仕事は激務で有名ですが、たとえ夜明けまで仕事をしていたとしても、透析をしなければ、命にかかわります。
林さんは学生時代に剣道で鍛えていたといいますから、激務に耐れるほど体力のある人だったのでしょうね。
「いつ死んでも悔いはないようにと、全力で疾走するかのような人生」の人だったようです。

透析患者が毎日どのような生活をしているかなど全く知りませんでした。
食事の面では水分制限やカリウムやリン対策など色々とすることあり、好き勝手に食べることができません。
食べることの好きな私に耐えられるかしらと思うほどです。

日本の透析患者数は35万人弱で少しずつ減ってきてはいるようですが、人口比では世界3位で、他に台湾と韓国だといいますから、東洋人に多いということでしょうか。
一ヶ月の透析には約40万かかりますが、医療費の助成制度があるので、患者の自己負担は最大でも月二万円に抑えられているそうです。
日本の透析医療は慢性透析患者の合併症率が低く、透析導入後の生存期間も長いことから、世界トップレベルだといいます。

透析以外に腎臓移植という選択肢もあります。
堀川さんが自分がドナーになると言ったことから林さんも移植を考え始めます。
2007年、ドナー検査の結果、林さんの79歳になる母親がドナーになります。
しかし、2014年、「多発性嚢胞腎」の症状が肝臓にまで及んだので堀川さんがドナーとなる「肝腎同時移植」を考え始めますが、「肝腎同時移植」は難しいため、なかなか話が進みません。
2016年4月、透析を再開。母の腎臓は九年間保ちました。
2017年3月、背中に激痛が起こり、慶應病院に入院しますが、透析中の激しい痛みが続き、大量の鎮痛剤が投薬されます。
その後退院して、再度透析クリニックに通い始めます。
そんな時に「肝腎同時移植」の権威である医師から電話が来て、彼の指示で日赤医療センターに入院し、移植の判断待ちをしますが・・・。

ドキュメンタリー番組などを制作していると様々な人に会うので、病気の治療に関する情報を私のような人間よりもたやすく手に入れることができるのではないかと思っていました。
しかし、この本を読む限りそうではなかったようです。
当てにならない移植医師や主治医に翻弄される姿が哀れでなりませんでした。

緩和ケアはがん患者と心不全患者などだけが受けることができるとは知りませんでした。
他の患者は苦しみながら死ねと言っているみたいですね。何か抜け道はないのでしょうか。
実際に林さんは緩和ケアを受けられずにお亡くなりになっています。

第一部では林新さんの壮絶な死にざまを描き、第二部では堀川さんが実際の透析医療現場を取材して、終末期の透析患者を巡る諸問題を明らかにし、今後のあるべき医療のかたちを世に問うています。
渾身の第二部は本でお読みください。

これから腹膜透析が一般的になり、透析患者の苦痛が少なくなり、終末期の透析患者が尊厳に満ちた生と死を甘受できる医療は実現できるのでしょうか。
私自身、薬の影響で腎臓の働きが落ちてきていると言われているので、人ごとではないです。

急いで書いたので、まとまりがない文ですが、一読をオススメしたい本です。