ニール・ドナルド ウォルシュ 『神との対話 世界的な真実について』 ― 2006/12/27

久しぶりの富士山
『神との対話』普及版3&4巻を読みました。
神さまは絶好調。キリストなどのマスターと私たち凡人の違い、それは常に同じことを選択せるということだそうです。
何度も何度も、同じ選択をして、意志が現実になるように…。
考えてみると、私の選択なんてフラフラしていて、こう決めたのに、誰かに何か言われたりしたら、変わってしまいます。
それだけ、強い選択ではなかったということですね。
神さま曰く、「何かを選ぶなら、全力をあげて、心から選びなさい。いいかげんな気持ちではいけない。選び続けなさい。前進しつつけなさい。決意をもちなさい」
「あなたが求めるなら、何でも「与える」。それがあなたにとって「良い」ことでも、「悪い」ことでも」
「魂はあなたの感情に語りかける。だから、自分の感情に耳をすましてごらん。感情にしたがうこと。感情を大切にすること」
私たちは感情はいけないものと言われてきていませんか?
理性を持ちなさい。
理性が人間と動物を分けている。
でも、この神さまは感情に従うようにといいます。
下手をすると、自分の感情がどこに行ったのか、わからなくなったりしていませんか?
特に、傷ついたとき、傷ついていないというフリをしていませんか?
神さまは、衝撃の事実を言います。
「ヒトラーは天国に行った。何故なら地獄などないから」
信じられますか?
神は言います。ヒトラーという経験が可能になったのは、グループ意識の結果だと。
何百人の人たちが協力し、支援し、積極的に服従しなければ、ヒトラーは何もできなかった。
ナチの運動を発展させたのは、集合意識であった。
ヒトラーはそのチャンスをつかんだだけだ。
日本が太平洋戦争に突入していったのも、この集合意識があったからなのでしょう。
世の中に起きた、そして起きている悲劇的ことは、この集合意識のなせるわざなのでしょう。
「時間的な意識がすべてで、経験を創りあげる。グループの意識は強力で、言語に絶する美しさやみにくさを生む。どちらになるか、選択するのは常にあなたがただ」
神はこうしなさい、とかこうありなさい、ということは言いません。
何故なら、彼は良い・悪いの価値付けをしないから。
我々に選択の余地を与えているのです。
選ぶのは私たち。
神がこの本で言っている社会を私たちは果たして選んでいるでしょうか?
『神との対話』普及版3&4巻を読みました。
神さまは絶好調。キリストなどのマスターと私たち凡人の違い、それは常に同じことを選択せるということだそうです。
何度も何度も、同じ選択をして、意志が現実になるように…。
考えてみると、私の選択なんてフラフラしていて、こう決めたのに、誰かに何か言われたりしたら、変わってしまいます。
それだけ、強い選択ではなかったということですね。
神さま曰く、「何かを選ぶなら、全力をあげて、心から選びなさい。いいかげんな気持ちではいけない。選び続けなさい。前進しつつけなさい。決意をもちなさい」
「あなたが求めるなら、何でも「与える」。それがあなたにとって「良い」ことでも、「悪い」ことでも」
「魂はあなたの感情に語りかける。だから、自分の感情に耳をすましてごらん。感情にしたがうこと。感情を大切にすること」
私たちは感情はいけないものと言われてきていませんか?
理性を持ちなさい。
理性が人間と動物を分けている。
でも、この神さまは感情に従うようにといいます。
下手をすると、自分の感情がどこに行ったのか、わからなくなったりしていませんか?
特に、傷ついたとき、傷ついていないというフリをしていませんか?
神さまは、衝撃の事実を言います。
「ヒトラーは天国に行った。何故なら地獄などないから」
信じられますか?
神は言います。ヒトラーという経験が可能になったのは、グループ意識の結果だと。
何百人の人たちが協力し、支援し、積極的に服従しなければ、ヒトラーは何もできなかった。
ナチの運動を発展させたのは、集合意識であった。
ヒトラーはそのチャンスをつかんだだけだ。
日本が太平洋戦争に突入していったのも、この集合意識があったからなのでしょう。
世の中に起きた、そして起きている悲劇的ことは、この集合意識のなせるわざなのでしょう。
「時間的な意識がすべてで、経験を創りあげる。グループの意識は強力で、言語に絶する美しさやみにくさを生む。どちらになるか、選択するのは常にあなたがただ」
神はこうしなさい、とかこうありなさい、ということは言いません。
何故なら、彼は良い・悪いの価値付けをしないから。
我々に選択の余地を与えているのです。
選ぶのは私たち。
神がこの本で言っている社会を私たちは果たして選んでいるでしょうか?
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