赤染晶子 『乙女の密告』2010/08/29

今期の芥川賞、受賞作です。


京都の外国語大学のドイツ語科には、ドイツ語のスピーチのゼミがあり、そのゼミを担当しているのがバッハマン教授というドイツ人です。
彼はみんなから恐れられていました。彼はいつも右手に鞄を持ち、左手にアンゲリカという大きな青い目と金髪の巻き毛をした西洋人形を抱いていました。

ゼミには二年生から四年生までのしゃべりに自信のある「乙女」たちが入っています。授業はスパルタ形式で、一月にスピーチコンテストを行ないます。コンテストは暗誦の部と弁論の部に分かれており、二年生は暗誦の部に出場します。
みか子はこのゼミについていくのがやっと。毎年優勝している弁論のエキスパート、麗子様にあこがれています。

毎年の暗誦の題材はバッハマン教授に特別の思い入れのある『アンネの日記』です。今年は「1944年4月9日、日曜日の夜」。隠れ家の隠しドアのすぐ後らまで警官がやってきた日です。
 
バッハマン教授は言う。バッハマン教授はアンネ・フランクに対して特別の思いを持っている。アンネをロマンチックに語ることを決して許さない。特に日本の乙女達はアンネ・フランクに強い少女幻想を抱いているとバッハマン教授は考えている。バッハマン教授は乙女達にいつも言う。
「乙女のみなさん、アンネ・フランクをちゃんと思い出してください!」

他の国で『アンネの日記』がどのように読まれているのか知りません。概してアニメや映画を通して、ペーターとの恋愛関係が強調されているので、ロマンチックなものとして記憶されているように思います。実際は、隠れ家での生活を通して少女が精神的に成長していく記録なのですが。

自分たちのことを”乙女”と言ってしまう大学生の幼さ――「”乙女”は夢見る存在」「真実とは”乙女”にとって禁断の果実」「”乙女”は美しいメタファーを愛する」・・・。
”乙女”的なものから抜けようとするものは密告される。
いつしか日本のみか子たち”乙女”の世界ががアンネのいた隠れ家の世界と重なっていきます。

書評を読むと、この物語が「時代を越えて問いつづけられてきた「自己とは何か」という巨大な問いを提出する」(読売新聞)と言っていますが、そんなすごいもんかしらと思ってしまいました。

日本の大学生の生活とアンネの生活を同次元で論じることはできません。現代人には現代人特有の「自己とは何か」という問いかけがあると言われれば、その通りと答えるしかありません。それでもアンネほどの「自己とは何か」という問いかけがあるかと問われると、この物語の学生達にはないとしか答えるしかありません。

ロマンチックな色づけをして読まれていた『アンネの日記』に、真実をつきつけたという意味において、この本には意義があるのかもしれません。

『アンネの日記』をもう一度読み直そうかと思いました。バッハマン教授の言っていることを確かめると意味で。