小林正観 『「き・く・あ」の実践』2008/04/24

たまたま今日、新しくできた駅ナカの本屋で見つけたのが、この本です。
彼の本は書いてあることはみな同じで、題名だけが違っているみたいです。
いろいろなバリエーションをつけて同じことを書いているということですかね。
最初に書いてあることは、他の本でも読んだことですが、今回は身に染みました。

「幸せ」というのは、その人が「幸せ」と思ったら、その人にのみ存在する。

それなのに、何故「幸せ」を感じることができないのでしょうか?
それは、「競うこと」「比べること」「争うこと」を前提として生きることを教え込まれたからで、その結果、「幸せとは、競うこと・比べること・争うことで初めて手に入るのだ。人より抜きん出て、勝ちつづけるのが、幸せを手に入れる唯一の道である」と信じ込まされてきたからなのです。これからは、競うことなく、自分が楽しいと思えるような生き方をする、それが幸せになる方法であると生観さんは言うのです。

第一章を読んだのですが、その題の「人生とは”刹那”を生きること」というフレーズに、何故私が幸せになれないのかという理由があることに気づきました。
私はいつもここにないものを欲しがっています。今を生きていないのです。
たまたま見た溝口あゆかさんのブログに紹介されていた、脳科学者ジル・テイラー博士の講演ビデオを観たのですが、その中で左脳のおしゃべりのことを聞き、笑ってしまいました。
私って左脳にずいぶん支配されているんだな、と思ったからです。
ひょっとすると右脳派の人の方が「幸せ」を感じる人が多いのではないでしょうか。

「刹那的に生きる」というと悪いことのように思うかもしれませんが、生観さんによると「刹那」を生きるとは、「今この一瞬、一瞬を最大限大事にいきること」なのです。
「流れに逆らわず、起きてくることを一つひとつ誠実に受けとめ」、「今、目の前の人を抱きしめ」、「その人に最大限、自分の笑顔を向けること」。そして「私のもっている言葉を贈り物としてあげること」。
こういう風に生きられたら、いいですね。