天童荒太 『悼む人』2008/12/22

天童荒太の描く世界は、家族が崩壊し、生きづらさを感じている若者の話であり、救いがどこにあるのかと叫びたくなるような、そんな印象がありました。
といっても、しばらく彼の作品は出ていなかったので、大分内容を忘れていますが。
七年もの長きに渡り、作品が書かれていなかったといいます。
彼がその期間に、何を思って、どういう思いを込めてこの作品を書いたのでしょうか。
文藝春秋の『悼む人』の特設サイトにある対談で、天童は「傷を受けた人間、やられた側の人間、この世界で生きづらさを抱えている人間の立場に立って書く作家になろう、と決意しました。」と言っています。
そして、この作品のテーマでもある「悼む」ことに関してこう述べています。

「大事件や大きな事故の被害者だけでなく、いわゆるニュース価値のないありふれた死でさえ、同等に大切に扱う心がない限りは、生きている人を差別したり、虐げたりすることもなくならないのではないかと感じたんです。そして、どんな死者であれ、誰かを愛し、誰かに愛された経験をそれぞれ抱えていて、深く悼まれるべき人物なんだという考えが日常化すれば、どんな人の命も簡単に奪ってよいものではないというわきまえが、感情レベルで人々の心に浸透していくのではないかという願いも生まれました。」

新聞から、道ばたの花から、死んだ人の情報を得て、巡礼のように巡り、死者を悼む人。
癌で死につつある母。
夫を殺し、刑務所から出てきて、悼む人に出会い、彼の後をついて行く女。
悼む人のことを知り、被害者に対しての記事を書き始めた記者。
救いのないような、この世の中で、悼む人だけが純粋に死者を平等に扱っているようです。
人の生きてきた価値は「誰かを愛し、誰かに愛された」、そこにあるということなのです。
誰もがみな、「誰かを愛し、誰かに愛された」のです。
そう思えることが救いなのかもしれません。

表紙の写真は舟越桂の「スフィンクスの話」です。

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