『ツリー・オブ・ライフ』を観る ― 2011/08/05
ブロガー限定の試写会に行ってまいりました。
私は間違って駅の反対側に行ってしまい、途中で気づいて戻ったという次第。急いで歩いたのでちょっと疲れました。
宣伝部の方が、「この映画は35歳以上の男女でクリント・イーストウッドの映画のファンの方をターゲットにしている」とおっしゃっていました。イーストウッドの最近の作品を見ていない私にはピンときませんが。
ブラッド・ピットのファンでも、私のように顔が好きだというだけのミーハー的ファンには、この映画、向いていません。ピットはただのおっさんにしか見えません。(彼の下唇って上唇より出ていたっけ?)
アメリカの映画館で「おもしろくなくても代金は返しません」と書いてあったとか。うなずけます。
下手をすると、気持ちよくて(かどうかわかりませんが)寝てしまうかもしれません。
賛否両論の映画でしょう。
とにかく映像と音楽が文句なくよかったです。
テキサスの撮影はエマニュエル・ルベツキ(この人のカメラワークも独特)でしょうが、それ以外の映像はナショナル・ジェオグラフィック社のカメラマンにこういうのを撮ってくれと頼んで撮ってもらったそうです。
そう、宇宙、地球、海、火山・・・など自然の映像が満載なのです。
イーストウッドの映画というよりも、『地球交響曲 / ガイア・シンフォニー』の方に近い映像です。
『2001年宇宙の旅』に匹敵する映画だと宣伝部の方が自負しておりました。映像的にはそうかもしれませんが、映画としてはそれほどのインパクトはないように思いますが、どうでしょう。
内容が宗教的、スピリチュアル的で難解ですが、『地球交響曲』が好きな人には合うかもしれません。
残念ながら私はテレンス・マリック監督の作品を見たことがありません。
監督になってから38年間で5本しか作品を撮っていないという伝説の監督だそうです。「作品がすべてを代弁する」という考えなので、賞を受けても授賞式には出ませんし、今度の映画についても自身では何も語ってくれていません。
宣伝部の人曰く。マリック監督もテキサス州出身で三人兄弟の長男。真ん中の弟さんが亡くなっているとか。
自伝的作品なのでしょうか。謎です。
私は間違って駅の反対側に行ってしまい、途中で気づいて戻ったという次第。急いで歩いたのでちょっと疲れました。
宣伝部の方が、「この映画は35歳以上の男女でクリント・イーストウッドの映画のファンの方をターゲットにしている」とおっしゃっていました。イーストウッドの最近の作品を見ていない私にはピンときませんが。
ブラッド・ピットのファンでも、私のように顔が好きだというだけのミーハー的ファンには、この映画、向いていません。ピットはただのおっさんにしか見えません。(彼の下唇って上唇より出ていたっけ?)
アメリカの映画館で「おもしろくなくても代金は返しません」と書いてあったとか。うなずけます。
下手をすると、気持ちよくて(かどうかわかりませんが)寝てしまうかもしれません。
賛否両論の映画でしょう。
とにかく映像と音楽が文句なくよかったです。
テキサスの撮影はエマニュエル・ルベツキ(この人のカメラワークも独特)でしょうが、それ以外の映像はナショナル・ジェオグラフィック社のカメラマンにこういうのを撮ってくれと頼んで撮ってもらったそうです。
そう、宇宙、地球、海、火山・・・など自然の映像が満載なのです。
イーストウッドの映画というよりも、『地球交響曲 / ガイア・シンフォニー』の方に近い映像です。
『2001年宇宙の旅』に匹敵する映画だと宣伝部の方が自負しておりました。映像的にはそうかもしれませんが、映画としてはそれほどのインパクトはないように思いますが、どうでしょう。
内容が宗教的、スピリチュアル的で難解ですが、『地球交響曲』が好きな人には合うかもしれません。
残念ながら私はテレンス・マリック監督の作品を見たことがありません。
監督になってから38年間で5本しか作品を撮っていないという伝説の監督だそうです。「作品がすべてを代弁する」という考えなので、賞を受けても授賞式には出ませんし、今度の映画についても自身では何も語ってくれていません。
宣伝部の人曰く。マリック監督もテキサス州出身で三人兄弟の長男。真ん中の弟さんが亡くなっているとか。
自伝的作品なのでしょうか。謎です。


ジャックは都会の高層ビルに事務所を持ち、何不自由のない裕福なくらしをしています。
しかし、心の中では空しさ感じており、この頃、よく思い出すのは幼い時のこと・・・。
1950年代、アメリカ、テキサス州。
ジャックは宗教心の強い、愛情あふれる母と、音楽家になりたいという夢をもっていた厳格な父、そして、二人の弟と暮らしていました。
日常はキラキラした光に満たされていましたが、唯一、父親の存在が生活に暗さをもたらします。
父は善人にはなるな。強くあれと子供たちを仕込みます。
しかし・・・。
私は長男よりも父の方に興味を持ちました。
もしかしたら、彼は音楽家になりたいという夢を、軍隊に入っていたようですから、経済的な面で諦めたのかもしれません。彼の父親は常に今の彼と同じようなことを幼い彼に言い、音楽家などと言う軟弱者のなるようなものにはなるな、軍隊が男の職場だとか言っていたのかもしれません。
彼は自分が弱い性格(善人)であると知っていたので、子供たちは自分のようになってもらいたくないから、強くなるように言い続けたのかもしれません。
長男は幼いですから、そういう父の心がわかりません。
彼にとって父は自分のやりたいことをやらせてくれないウザい存在。
大きくなって成功しても、心が満たされないのは、父のせいで、自分は自分の望むように生きてこなかったのではないか。
常に父の存在がのしかかり、父に刷り込まれた父の望むような人生を歩んでしまったのではないのか。
弟のように幼くして亡くなってしまう人もいるというのに・・・。
一体我々は何のために生まれてきたのだろう。
人間の根源的な問い。
自然はそこにあり、永遠の営みを繰り返しています。
人間もその中にあり、永遠に太古からの問いを繰り返しています。
私たちのこれからの生き方の指針を与えるような映画なのかもしれません。
私たちは再度自分たちが自然の一部であるということを認識しなくてはなりません。
私たちは自然を征服する者ではないのです。
映画の解釈には正解はないので、さて、観たあなたはどのように感じるでしょうか?
私たちは自然を征服する者ではないのです。
映画の解釈には正解はないので、さて、観たあなたはどのように感じるでしょうか?
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