『パリへ渡った「石橋コレクション」』@ブリヂストン美術館2012/01/15



1962年5月4日~6月24日、ブリヂストン美術館所蔵の絵画50点が海を渡り、フランス・パリで展覧会が開かれました。
展示された絵すべてが今ブリヂストン美術館にはあるわけではありません。ないものはパネルで展示されています。
フランスでの展覧会は大好評で終わりました。
展覧会を行っている間に日本では知られていなかった「洗い(ニス焼けで黄褐色に変化した油彩画の表面を洗浄する修復)」を何点かの絵画に施したそうです。
当時の記録フィルム(10分)が上映されており、そこに当時の様子が紹介されています。

ブリヂストン美術館はいつ行ってもゆったりと絵が見られます。絵を見るのにほどよい広さの部屋があり、入場者もそれほど多くないからです。
だからとってはなんですが、所蔵作品がよくないというのではないのです。
ピカソ、コロー、セザンヌ、ルノアール、モネなどそうそうたる画家の作品があります。
セザンヌなど、私はいいとは思ってはいなかったのですが、ここにある作品は好きです。ゴーガンはタヒチに行く前の作品でしょうか。性格は嫌いですが、と言っても実際はどうかわかりませんが、絵は上手い(あたり前ですが)と思います。

何回か来ているのに、見ていなかったのが第三室です。
この部屋には紀元前のシュメールやエジプト、ギリシアの彫像や陶器などが展示されています。
古いものに囲まれると、私は寒気を感じてしまいます。何やら昔の人の怨念というのでしょうか、念みたいなものを感じてしまうんでしょうか?
『牧神の午後』でニジンスキーが参考にしたという絵のついた壺なんかもあります。
何千年も経っているのに、このような完璧な形で残っていることに驚異を感じずにはいられません。(それと同時によく略奪してきたなとも思いますが・・・)

今回もルオーの絵が心に残りました。
ルオーは『ピエロ』と『裁判所のイエス』が展示されています。


この『ピエロ』の絵はいつのまにか私の中では小さい絵として認識されていましたが、実際は大きい絵なのです。どうして小さいと認識していたのでしょうか。不思議ですね。
前回は仕事を終わった後のピエロの悲哀と思ったのですが、今回は違いました。
いい絵は見るたびに違った印象を与えますね。
ピエロの自分の内面に深く入って行っているような表情が好きです。

Tearoom Georgette( ティールーム ジョルジェット )には入りませんでしたが、次回はゆっくりとお茶したいと思います。
震災後閉店が18時になったと聞いていたのですが、まだ18時までなのですね。金曜日ぐらいは閉館する20時までやって欲しいものです。

田丸公美子 『目からハム』2012/01/16



シモネッタのドラゴン姥桜』で息子さんが東大に入った顛末を書いたシモネッタさんですが、彼女、大学時代から35年間、イタリア語の通訳をしています。
もう超ベテランですね。

「目からハム」とは、日本語で「目から鱗」と同じ意味なのです。
何故ハムなのかしら?目にハムは大きすぎると思うのですが?

イタリアといえば、脱税がひどく、国民もいい加減に見えますが、とにかく人生を楽しんでいるという印象です。(あくまでも私の印象ですよ)
私などは自分の感情に素直に生きている姿が羨ましいです。日本人は感情を表すのを嫌いますから。
前の眼科の主治医から「イタリア人のように生きればいいんだよ」と言われました。緑内障が一番少ないのがイタリアだそうです。ストレスが少ない生き方をしているんですね。

そういえば、テレビ番組で女の人が「私の頬にキスして」という看板を持って町で立っていると、一時間で何人の人がキスしにやってくるかというのをやっていました。比べたのは日本と韓国とイタリアだったと思います。
日本と韓国は10人程度だったのですが、イタリアは老若男女は問わず、50人以上がキスしに来ていました。流石イタリア。特に中年以降の老年になりそうな男性が嬉しそうにキスしてました。頬にキスしてから、唇にもしたいとか言ってました。
日本だったら年甲斐もなく「いやらし~い」、なんて言われちゃいますよね。

シモネッタというあだ名がついているくらいですから、田丸さんは下ネタをよく書いているらしいのですが、この本にも満載です。でも、ちっとも嫌らしくありません。
それにしてもイタリア人の下ネタジョークにはびっくりしました。本当に言っているのかしら?
どういうものか知りたい人は本を読んでみてくださいね。

下ネタばかりが書いてあるかと思われると困るので、まともなところもあると強調しておきますね。
通訳になりたい人は是非とも読んでください。この本は通訳の楽しみから辛さまで、ユーモア交じりに書いてあります。下ネタよりもこっちの方が主です。
私は通訳にはなれないと思っていましたが、この本を読んで、なろうとは思わなくなりました。とてもじゃないけれどやれませんわ。

イタリア人のように「マンジャーレ、カンターレ、アマーレ(食べて、歌って、愛して)」を人生訓にしていこうと思います。
あ、私は「食べて、歩いて、悪態ついて」かもしれませんが。

"Caught out in Cornwall" by Janie Bolitho2012/01/18

本の写真がないので、家のシクラメンの写真を載せておきます。このシクラメン、今年買った2鉢目ですが、とってもきれいで長持ちします。寝室の寒い所に置いたのがよかったようです。前のはリビングに置いてしまい、温かすぎたのか枯れてしまいました。



コーンウォール・ミステリーの最終巻です。


キンドル・ショップになかったので、古本を手にいれ、原文で読みました。
(2012年8月に翻訳され、発売されています)
本を開けてびっくり。作者のボライソーさんは2002年9月に癌で亡くなられているそうです。
この巻でローズとジャック・ピアース警部が結婚してハッピーエンドかと思っていたですが、彼女の死を知り、読む前から二人の関係が途中半端で終わってしまう予感がしました。

ローズの母親が亡くなり、一人になった父親はローズの家の近くに引っ越してきました。一緒に暮らそうとは言わず、お互いに独立した関係を築こうとするのは感心しました。親だからといって、長年一緒に暮らしていないと生活習慣も違っていて同居もなかなか難しいものです。イギリス人などはそういうことをよくわかっているのでしょうかね。
一緒に暮らさなくても、ローズは週に一回ぐらい父親と夕食を食べることにしています。
クリスマスはジャックも呼んで、母親のいないさびしいクリスマスを三人で祝うことにしました。

そういう時に事件は起こりました。サリーの娘のベスが行方不明になったのです。
ローズはこの少女を一番最後に目撃しました。浜辺で父親らしい男に連れて行かれたのを見たのです。
ローズは自分がこの少女を最後に目撃したことにこだわり、まるで自分のせいでベスがいなくなったかのように思っています。そして、わざわざ母親のサリーに会いに行ったりします。彼女の友達たちもローズに協力して、色々な情報(という噂)を話してくれます。
相変わらずジャックはベスの捜索で忙しいからとローズにほっておかれてます(かわいそう・・・)。
警察はローズの証言から親しい男がベスを連れ去ったと思い、サリーやサリーの姉妹のキャロルの知り合いの男たちを調べるのですが、該当する男は見つかりません。
近所の人たちも総出でベス探すのですが、徒労に終わりました。
事件は暗礁に乗り上げます。
そうこうするうちに、最悪の事態が起こります。

コーンウォールの描写が相変わらずとても美しいです。
ですが、犯人が終わりの何ページかで唐突にわかってしまうし、ある女の子が急に無口になり変わってしまった理由も、ローズが彼女に話しかけた途端に簡単にわかってしまうし、ミステリーとしては残念な感じです。(私が原文の意味をよく取れていないのかもしれませんが)
予感通りにローズとジャックの関係は進展なし。お父さんが二人にいい影響を与えてくれると思ったのですがね。
二人の関係がすっきりしない終わり方で、ちょっと不満ですが、仕方ないですね。

とにかく、ボライソーさんのご冥福をお祈りしています。

雪の大田黒公園2012/01/20

今日は用事があるので仕事は休み。
朝、ゆっくり起きて窓の外を見ると・・・雪です。
犬と同じで雪が降ると外に行きたくなります。
用事は夕方からなので、少し早く出て大田黒公園に寄ってみることにしました。


行ってみてガッカリしたのが、雪が思ったよりも積もっていないことです。
気温が0℃以上なので今日は積もらないようです。
雪は降っているのに、地面は茶色いままです。残念。


池の鴨がとっても元気に泳いでいます。


雪のせいなのか、紅葉が残っている葉の色が鮮やかです。




岩に張り付いている紅葉もいつもよりも色が鮮やかです。



木に雫が。キラキラ光っています。


いつもは開いている休憩室の戸が閉まっていました。



『ルドンとその周辺―夢見る世紀末』@三菱一号館美術館2012/01/21

ルドンの絵は昔から知っていましたが、彼がぐっと身近になったのは、2年前に読んだ『怖い絵』からです。
幼少時に母親に顧みられず、淋しく育った彼。絵を幼い頃から描いていたのですが、父親に建築家になるように言われ美術学校の試験を受けたのに不合格。後に弟が建築家になったなんて、なんという皮肉なんでしょう。


この展示会の目玉は「グラン・ブーケ」。派手派手なポスターまで作ってしまったようです。


今のはシンプルになっています。


展示会は三部構成です。
「グラン・ブーケ」以外は岐阜県美術館の所蔵です。改築をしていたので、その間にルドンを貸し出していたようです。日本で有数のルドン・コレクションを持っていたなんて、知りませんでした。地方の美術館にもいいところがありますね。

<第一部:ルドンの黒>
彼が木炭画と版画ばかり描いて何故油絵を描かなかったのかわかりません。何か理由があったのでしょうか。その頃流行っていた印象派への当てつけというわけでもないでしょうが。

彼の描く木炭画は一見真っ黒に塗りたくったように見えるのですが、よくよく近寄って見ると非情に繊細に描かれています。
木を描いたものが多数あります。黒の時代のルドンは自然を描くという印象がなかったのですが、意外と彼は描いていたのです。(下の木の絵は展示されていなかったのですが、20代にはこういうような感じの木炭画を描いていました)



私が気に入ったのが、木炭で描かれているこの「骸骨」。人間なんて死ねばしょせん骸骨さ、というわけではないでしょうが。何やらこの骸骨、腰に手をあてポーズを取っています。


紙は白ではなくて、何色というのでしょうか。茶色でもないし・・・。

リトグラフでは彼独自の不思議なイマジネーションの世界が広がっています。
結構私はこういう変な世界が好きです。

40歳を越した辺りからの人を描いたものがとてもいいと思いました。


「光の横顔」。リトグラフですが、幻想的な版画です。

写真を探せなかったのですが、彼が版画を習い、晩年自殺をしたブレスダンのポートレートを描いたと思われるものは、彼に対する愛情あふれたいい作品だと思いました。


黒の時代から色彩あふれる時代に入った頃に描かれたのが、この「樹」です。
ルドンは二十代の頃、植物学者のクラヴォーと知り合い、植物学の知識もあったようです。
初期の木炭で塗りつぶすように描かれた樹とは違い、芽が芽吹いています。彼の心境の変化が垣間見られるように思います。
下が空いたスペースになっているのは何故でしょう?彼の描く花の絵も下が空いていて上が詰まった感じがします。空中に浮いたような樹です。
心理学的に分析するとおもしろいでしょうね。

ルドンは黒を使いながらもそこには色彩があるように思いました。

<第二部:色彩のルドン>
説明文に書いてあったのですが、彼が色彩の世界に入っていくひとつのきっかけになったのが、49歳の時に生まれた息子の存在だそうです。彼が味わった幸福感が絵に転機をもたらしたのでしょうか。

内省的な人の姿が多く見られます。
「眼を閉じて」はリトグラフもありました。



油絵(オルセー美術館所蔵)は展示されていませんが、日本に来ていたので見ていました。描かれているのは女性だそうですが、女性というよりも中性的ですよね。

もうひとつ。ルドンが繰り返し描いているものがありました。


「神秘的な対話」です。
これと同じような構図のものを見た覚えがありました。


ブリジストン美術館で見た「神秘の語らい」です。私はブリジストンの方が好きです。


木炭をパステルに持ち替えて、素敵なポートレートを描いています。ドガの時も思いましたが、パステルでよくこんな絵がよく描けるなぁと思います。

さて、花ですが、この「青い花瓶の花々」もパステルで描かれています。


この絵を巨大にしたようなのが、この展覧会の目玉の「グラン・ブーケ」です。
1897年にフランスの男爵の城の大食堂用に描かれた装飾画だそうです。装飾画は16点描かれており、他の15点はオルセー美術館所蔵になっています。この1点だけがずっと秘蔵されており、それを三菱が買ったというわけですね。一体いくらだったのかしら?

暗い室内にボーと「グラン・ブーケ」が浮かんでいます。


本当に大きい。立て248.3㎝、横162.9㎝。
これほど大きなパステル画ってあるでしょうか。
画家は描くのが楽しかったのでしょうね。花々が生き生きとしていてこぼれんばかりです。
男爵の大食堂ってどんなだったのか興味があります。「グラン・ブーケ」がある時にその大食堂を見たかった・・・。

ルドンはこの後、南仏にあるフォンフロワド修道院の図書館壁画も描いているそうです。残念ながらこの壁画は公開していないようです。
モネの庭とこの修道院を見るというフランス旅行の目的ができました。

<第三部:ルドンの周辺―象徴主義の画家たち>
今までこの美術館に来ると、展示数が少ないので、ちょっと物足りないけれど、腰痛持ちには腰が痛くならなくていいという感じだったのですが、今回は点数が多いようです。
夕方に用事があったので、三時半前に出ようと思っていたのですが、全部見終わらない感じになってきました。
モローの「ピエタ」とムンクの「マドンナ」、ゴーギャン、ドニなどを横目で見ながら急ぎます。
ムンクは独特の病的な絵を描くなぁとか、ルドンの版画の師匠は独学だそうだけれどずいぶん緻密な絵を描くなぁなどなど思いながら飛ばします。
その中で気になったのが、ポール・セリュジエの「消えゆく仏陀―オディロン・ルドンに捧ぐ」。この絵はルドンが亡くなってから、弟子(かな?)が描いたものです。
調べてみるとルドンは「仏陀」(下の絵)や「若き仏陀」という絵を描いています。(この展覧会には展示されていません)


ルドンは仏教にも興味があったんですね。だから彼の絵は瞑想的なのかな。

もう一度行って、ゆっくりと鑑賞したいと思える展覧会でした。
今度はカフェでお茶をして、「エシレ」でお菓子を買って帰りたいです。時間がなかったので、並べなかったのだもの。お菓子、買いたかったわ。
(しょせん色気より食い気です)

ルドンの目2012/01/22


       オディロン・ルドン  『夢の中で』  VIII.  幻視   

目と言えば、やっぱりルドン。
彼ってホント、不思議な感性をしてます。
このリトグラフなんか、目玉が空間に浮かんでいます。
ルドンの描く目玉にはどういう意味があるのでしょうか?

岩崎 夏海 『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』2012/01/23

いつものように散歩をしながら、花屋をのぞきました。
この花屋で買った花は長持ちするので、この頃よくのぞきます。
カランコエというと一重しか知らなかったのですが、なんと八重のものがありました。


小さな薔薇の花のような感じです。早速買ってきました。次々と花が咲きそうです。



『もしドラ』は表紙を見てパスしておりました。が、この前家の本棚を見るとあるではありませんか。相棒が買っていたんですね。ちょうど読む本をきらしていましたし、なんで売れているのかという興味もあったので読んでみることにしました。

この本はドラッカーの入門書としてはいいのではないでしょうか。
『マネジメント』が高校のクラブ活動に生かせるという視点がいいですね。
私でも彼の書いた『マネジメント』を読んでみようかという気になりました。

読んでいて私の管理職に抜けているのが、「人は最大の資産である」という視点だなと思いました。

「マネジメントは人の強みを発揮させることである」

彼は人の強みを生かすのではなく、どう人の弱みを握っていたぶってやろうかと考えているように思えます。私はなるべく関わりを持たないようにしているのでいいのですが、彼の餌食になると大変です。

この本書いた人は一体どういう人ですか。作家ではないですよね。
内容と文章が稚拙で笑っちゃいました。
読み進めていくにしたがい最後が簡単に推測できてつまらなくなりました。
まあ、文学作品ではないのでいいんですが。

あ!帯に「新人マネージャーと野球部の仲間たちがドラッカーを読んで甲子園を目目指す青春小説」なんて書いてある!
冗談ですよねぇ。

綺麗な文章を読みたくなりました(笑)。

上野千鶴子 『おひとりさまの老後』2012/01/25



この頃、親がめっきり年をとり、そろそろ介護を考えなければならないようになりつつあります。
北海道の両親は兄がいるのでどうにかなるとは思うのですが、義父母は東京にいるのでどうなるのかしら・・・?

そうはいいながらも気になるのは我が身です。
この本の帯にも書いてありますが、「結婚していようがいまいが、だれでも最後はひとり」なのです。女の方が男よりも長生きしますからね。夫は絶対に自分の方が早く死ぬと決めているようです。勝手な奴です。残された私はどうなるのといいたいですわ。
そうは言っても、女性が残される確立の方が高いですし、残された女性は長生きするといいます。手がかかる夫がいなくなると、のんびりできるからでしょうか。

この本では老後は心配ないと書いてありますが、でも心配ですよね。
老後にものをいうのはお金と人だと思います。
これから年金は減っていくし、自分で老後のためにどれだけのお金を残せるのかわかりません。どうなるかわからない未来のために今を犠牲にして貯金に励むのも考えものです。
いい人に出会えるかはこれからの心がけ次第ですね。

今後の参考に年上の知り合いに親の介護をどうしているのか聞いてみました。(と言っても時間がなく、2人にしか聞けませんでした)

ある人は自宅で義母の介護をしたそうです。彼女は義理の妹とも同居していたので、主に夫と妹が義母の介護をして、たまにヘルパーを頼んでいたそうです。
実の妹の義母は家を売って、そのお金を施設の入居費と月々の支払にしているそうです。今はよくても長生きするとどうなるのかしらと言っていました。本当に介護が必要になって、月々のお金が払えないから追い出されたなんてことはないですよね。

売家がなく、もしくは家を売っても大したお金にならない場合、施設には入れません。その代わりにヘルパーを頼むことになります。これもお金はいります。ヘルパー代って一体いくらぐらいなんでしょう。
同僚の人の義父は目が見えないのですが一人暮らしをしているそうです。病院に行ったり、日常生活を送るのにヘルパーを頼んでいるそうです。お金があっても、いいヘルパーさんがいなくて探すのに苦労するそうです。
ヘルパーはすることが決められていて、決められたこと以外をやる時にはやってもいいのかどうかいちいち電話をしてくるそうです。お正月にごみ捨てはヘルパーの仕事ではないのでやってもらえず、車でゴミを取りに行き、お正月中そのゴミは彼の家に置いてあったそうです。
介護ヘルパーはあくまでも介助が仕事で、ゴミは家政婦の仕事かしら?

この本によると、コレクティブハウスというのもあるそうです。共同住居型集合住宅というもので、各自用個室に食堂などの共有スペースがあり、食事づくりや掃除など生活の一部を入居者が共同で行うそうです。
これなんかよさそうです。しかし、どうしても合わない人がいたらどうしましょう。つかず離れずの関係でいられるでしょうか。年を取ってまで人間関係に悩まされたくないですよね。

一番いいのは一人になっても自分の家で暮らすことだと思います。たまに一緒にご飯を食べ、おしゃべりができる人がいればいいですね。
その時、唯一嫌なことは、急に死んで何日も気づかれないということです。
上野さんが書いているように、「あとのひとの始末を考えて早く発見してもらうような手配」はしたいものです。

この本を読んでなるほどと思ったことがあります。

  「いっしょに住んだら」は悪魔のささやき

親が一人になったら、「いっしょに住んだら」と言うのが「愛情の踏み絵」のような役割を果たしていると上野さんは書いています。
「よくぞ言ってくれた!」と思いました。
私は心の中で密かに思っていました。「もし母親が一人になったら、兄か私に「いっしょに住んだら」と言われるのを待っているんだろうな。でも、もし一緒に住んだらお互いに悲惨なことになるだろうな。絶対に一緒には暮らせないな。こう思う私は親不孝だろうか」
でも、安心しました。誰でも思っていることなんですね。

もうひとつは「職場に友達は求めないほうがよい」ということ。職場の愚痴が一緒に言えないのはちょっと淋しいけれど、友人は利害関係のない方がいいですものね。

これからの自分の老後のために何ができるか、この本を参考に考えていきたいと思います。


アニケ・ハーゲ画、グードルン・パウゼヴァング原作 『みえない雲』2012/01/26



ドイツの原発まんがです。
この漫画には原作があり、同じ『みえない雲』という題名です。原作はチェルノブイリ事故の後に書かれたそうです。

図書館から借りて返してしまい、メモを取るのを忘れてしまったのですが、序言は「白いバラ」(ドイツの非暴力の反ナチス運動)の一員であった人のお姉さん(だと思う)が書いたものです。その中から抜粋して書いておきます。

「移住する?亡命する?でもどこへ?
今はもう、何も知らなかったとは言えない。逃げることも移住することもできない。地球はどんどん牢獄のようになっていく。原子力の進歩という牢獄に。今日何も行動を起こさなかったら、明日にも彼らは私たちの沈黙と「思慮深さ」に感謝するだろう。何ができるか。ひとりひとりが考えなくてはならない。それぞれの立ち位置で。こんどこそ私たちは忘れない」

ドイツのある町の原子力発電所で爆発事故が起きました。原発から70キロほどの町に住む14歳のヤンナは学校から急いで家に帰り、事故の起こった町にいる両親の言うとおりに弟のウリを連れてハンブルグの叔母さんの家まで避難しようとします。しかし、非難する人が多い上に弟は幼すぎて、なかなか前に進むことができません。そういう時に悲劇が襲います。ウリが自動車に轢かれてしまうのです。ウリを葬ることができないまま通りかかった家族に連れられ、ヤンナは駅に辿りつきます。そこには群衆がいて、その群衆に飲み込まれたヤンナは気を失い、彼女の上に放射能を含んだ雨が降り注ぎます。
気づくとヤンナは病院にいました。やがて彼女の髪の毛が抜けてきます。
その後、しばらくして彼女が病院にいるということを知った叔母さんが会いにきて、叔母さんの家に引き取られます。学校にも通い始めるのですが、周りの「ヒバクシャ」であるヤンナを見る目は冷たいものでした。
元クラスメイトのエルマーとも再会するのですが、優等生だった彼は今や劣等生で進級も危うくなっていました。同じ身の上の彼と話すことにより癒されていたヤンナでしたが、エルマーは彼女に何も言わずに自殺してしまいます。
一体自分はどれぐらい生きられるの?
叔母さんは学校に行って自分の将来のことを考えるようにと言いますが、自分に未来はあるの?
ヤンナは不確実な未来のために備えるのではなく、今やりたいことをやることにします。ウリを探しにいくのです。

漫画ではヤンナがウリが死んだ菜の花畑にいる場面で終わっていて、その後は描かれていません。
彼女は死んだのでしょうか?それとも生きながらえて、癌に苦しんでいるのでしょうか?結婚して子どもを産むことができたでしょうか?
ヤンナの未来はフクシマの子供たちの未来かもしれません。

架空の話だったのに、今や現実。
「原子力の進歩という牢獄」という言葉が重いです。
読売新聞では4年間で首都直下型地震が起こる確率が約70%の確立という記事を載せました。
今は地震が怖いという以上に、地震によりまたフクシマのようなことが引き起こされたらということの方がもっと恐ろしいです。これ以上何かが起こったら、私たちはどこにも行けません。

何ができるか。よく考えてみようと思います。

宮部みゆき 『刑事の子』&『ばんば憑き』2012/01/28



くだらないことですが、表紙が漫画ってこの頃の傾向なのでしょうか。結構多いですね。私は好きではありませんが。

『刑事の子』は題名通りに刑事の息子が主人公のお話です。表紙から予想ができるように、ジュニア向きの内容です。

親が離婚したため刑事である父親との二人暮らしを始めた八木沢順は、仕事柄父親の手が回らないということで、この頃はめったに見られないぐらい面倒見のいい、大正14年生まれの家政婦の幸田ハナに面倒を見てもらっています。
ハナは家事を順に教えてくれます。例えば白菜のつけ方。私など白菜のつけものは大好物のひとつに入りますが、一度もつけたこともないですし、つけ方も知りません(恥)。
学校の家庭科はつまらなかったのに、何故ハナが教えてくれる家事が面白いのだろうかという順にハナは言います。

「それはたぶん、学校のお勉強で習うことというのは、<ためにする>ものだからでございましょう。おうちでなさることは、そうではございません」

そう、ハナは今時珍しい、きちんとした綺麗な日本語を話す真っ当なおばあさんなのです。
ジュニア向きだからでしょうか、事件は起こりますが、ハナのように折り目正しく終わります。

荒川でバラバラ死体が見つかり、順の父親は担当の一人になります。
同じ頃、順はハナからある家に若い娘が入って行ったっきり出てくるところを誰も見ていないという噂を聞きます。刑事の息子の血が騒いだのか、順は遊びに来た信吾からその家に住んでいる画家篠田の話を聞き興味を持ちます。
その夜、順の家の郵便受けに篠田が人殺しであると書いた手紙が入れられていました。
このことをきっかけに順は独自の調査を始めます。

なんといってもハナのような家政婦さんが欲しいですわ。家政婦って一時間いくらなんでしょうか?




宮部みゆきの江戸物短編集です。
日暮らし』の政五郎親分とおでこ、『あんじゅう』の青野利一郎と悪童三人組が活躍する話も入っています。
どうも読み慣れてしまったのか、以前のようなインパクトがなくなりました。
短編もいいのですが、長編の続きを是非書いてほしいものです。