澤田瞳子 『若冲』2022/04/10

散歩をしていると、鯉のぼりが見えました。


三匹、風に吹かれて泳いでいます。
五月五日にはまだ早いのですが、いつから飾るのか決まりはなく、三月三日が過ぎたら飾ることが多いそうです。

20度以下のちょっと涼しい時が好きなのに、もう20度以上になってしまいました。梅雨になると歩けないので、今のうちにせっせと歩きましょうっと。


『若冲』を読んだつもりになっていましたが、よくよく考えると読んでいないようだったので、読んでみました。


源左衛門(若冲)は父が23歳の時に亡くなり、京の錦高倉市場の青物問屋「枡源」を継いだが、商いはすべて母のお清と弟の幸之助、新三郎に任せ、別宅にひきこもり絵を描いていた。
八年前に妻のお三輪が蔵で首をくくってからは、土蔵の見える一間で日がな一日、ひたすら絵を描いている。
異母妹の志乃は知っている。彼の絵が変わったのは、お三輪が死んでからだと。

四十歳になった源左衛門は町役や親類を集め、隠居することを告げる。
ついては弟の幸之助と新三郎には暖簾分けを許し、別家させ、お三輪の弟の弁蔵を志乃の婿にし、枡源を継いでもらうと言うのだ。
お三輪を死に追いやったのが枡源の者たちだと思っている弁蔵は、源左衛門が絵のために家督を捨てるということを聞き、逆上する。
志乃はそんな弁蔵に源左衛門の絵を見せる。源左衛門は道楽でこんな絵を描いているのではないと。
しかし弁蔵は奉公先から逐電して消息を絶ってしまう。

隠居した源左衛門は名を茂右衛門と改める。
ある日、池大雅に裏松光世の屋敷に連れて行かれ、一枚の鴛鴦図を見せられる。
絵の構図も筆運びも茂右衛門と酷似しており、「若冲居士」印が捺されているが、それは茂右衛門の絵ではなかった。
これを描いた者は市川君圭と名乗ったという。
茂右衛門は弁蔵が自分を苦しめんがために、茂右衛門の作と瓜二つの絵を描く贋作師になったのではないかと思いつく。
このままでは己の絵は弁蔵に蹂躙され、乗っ取られてしまうのではないか。
わしを恨むなら恨め。いつしか絵に逃げていた自分は、弁蔵の恨みによって真の画人となるのだ…。
それからの茂右衛門は凄まじい勢いで絵を描き始める。

ネタばらしをすると、実は若冲は生涯独身だったそうです。
本の中では、妻の死への悔恨と義理の弟との確執から、若冲は独自の絵の境地を極めていきます。
小説ですから、史実以外は作家さんの創作でいいのです。
この本は画家若冲の絵の本質に迫る佳作だと思います。

本の中の気になった言葉。
「美しいがゆえに醜く、醜いがゆえに美しい、そないな人の心によう似てますのや。そやから世間のお人はみな知らず知らず、若冲はんの絵に心惹かれはるんやないですやろか」

             「紫陽花双鶏図」

文中に出てきた紫陽花の絵ってこれですかね。
青い紫陽花が綺麗です。雌になにやら話しかける雄鶏と顔を背ける雌鶏が印象的です。
本の最後の方に出てくる「鳥獣花木図屏風」はこれ(↓)です。

             
2016年の「生誕300年記念 若冲展」には行っていないので、次にある時は行きたいです。展覧会は激混みだったらしいですが、若冲は人気があるのですね。
宮内庁三の丸尚蔵館に「動植綵絵」があるらしいです。
現在新施設移行準備のため閉館していて、令和五年秋に開館予定なので、その頃にはコロナも下火になってて欲しいです。
若冲に出会える美術館」というのがあったので、興味がある方は美術館を探して行ってみるのもいいかも。

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