砥上裕將 『一線の湖』2024/02/02

線は、僕を描く』の続編。


両親が亡くなり、ひとりぼっちになった青山霜介は、叔父の助言により大学へ進学し、水墨画の巨匠、篠田湖山に出会い、水墨画の世界に魅了され、彼の内弟子となる。

湖山の孫、千瑛と湖山賞を競ったが、湖山賞を取ったのは千瑛だった。
それから二年が経ち大学三年となった霜介は未だ自分の進路を決められずにいた。
一方、千瑛は「水墨画界の若き至宝」と呼ばれ、もてはやされていた。
そんな時に、霜介は揮毫会で失敗してしまう。
湖山は霜介に少しの間、筆を置くようにいう。

そんなある日、兄弟子の西濱湖峰に呼び出される。
小学一年生に水墨画を教えるのを手伝って欲しいというのだ。
霜介が訪れた小学校は、亡き母が勤務していた学校で、担任の椎葉朋美は母と親しくしていたらしく、母の死後、彼女のクラスを引継いだという。
体調不良の西濱の代わりに霜介は児童たちに水墨画を教える羽目になる。
しかし、その授業が好評で、学校から引き続き霜介に水墨画を教えて貰いたいと請われる。
霜介は子どもたちに最善のものを伝えられればと思って引き受ける。
子どもたちと接するうちに霜介は思う。

「本当によい授業というのはこういうものかもしれない。彼らが自身で学ぶことに勝るものはない。教えたいという欲求を堪えることのほうが、教えることよりも難しい」
「彼らはありのままを生きているから、生きていることが描けるのだ。そのすべては線の中にあった。彼らが指先から生み出すものが、彼らの存在と違わない。
彼らは自然だった。心を遊ばせ、無限に変化し続けるゆらめきがそこにあった」

そして、霜介は母親の仕事を理解していく。

「母は自分が生きた一瞬や自分自身のために、力を尽くしていたのではない。人を育て、自分自身さえ見ることはないかもしれない遙かな未来に向けて、線を描いていたのだ」
「人は命よりも永く線を描くことができる」

小学校で一年生が描いた指墨画を展示し、その場で揮毫会を行うことになる。
その時の動画を誰かがアップし、話題となり、霜介は大学の理事長から大学学園祭で大揮毫会と展覧会を行うように頼まれる。
しかし、学園祭当日、子どもをかばった霜介は右手を骨折してしまう。
前から不調だった右手には感覚がなくなる。
湖山は霜介に自分の山荘に行くように勧める。

山荘に行った霜介は意外な人と再会する。

始めは二年前と同じように自分に自信がなく、同じ所をグルグル回っているだけのような霜助に、わたしはちょっと失望しました。
しかし、湖山先生は流石です。霜介の才能を惜しいと思っているのでしょう。
霜介を見捨てず、こう言います。

「描こうなんて思うな」「完璧なものに用はない」
「あと一歩だけだ。そこに線がある」

霜介は子どもたちから教えられ、そして、山荘に行き、自然と接するうちに、悟っていきます。

「生きるとは、やってみる、ことなんだ」

霜介はやっと一歩前に進むことが出来、自分の進むべき道を決められたのです。
時間がかかりましたが、回り道は彼にとって必要だったのでしょうね。
その道がどんなものであろうと、彼の家族である湖山会の人たちは受け入れてくれます。
わたしも彼の進む道が予想通りで、納得がいきました。

とにかく最後の湖山の引退式の揮毫会の場面が圧巻です。
絵が目の前で描かれているように、見えるのです。

どんな感じで水墨画を描くか、講談社が動画を載せていました。
ついでに前作の映画の予告編も載せておきます。

「線は、僕を描く」の予告編

映画は観ていませんが、予告編を見ると、登場人物たちがわたしがイメージしたのと違います。流星君は悪くないですが、これは観ないな。
本はとてもいいので、是非お読み下さい。