北村薫 『詩歌の待ち伏せ 1』2006/02/12

国文学を学び、それに基づいたミステリーを書いている北村薫が詩歌との出会いを書いた本、『詩歌の待ち伏せ 1』(ということは2以下続くということでしょう)を読んでいます。

その中にセロリの歌があります。

サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず        (佐佐木幸綱)

セロリにに関して、どういう印象を持っていますか?
昭和24年生まれの北村は、いろいろな解釈をします。
その中でおもしろいのは、セロリは金持ちのキッチンにあっても、彼の家の台所にはない野菜で、耳に聞くだけのものだったと言います。
彼にとってセロリは都会的なものであり、聖なるものであり、『サキサキとセロリ噛』む女性は非現実で抽象的な存在だそうです。
雲に乗る女性だからこそ、いっそう愛らしい、らしいです。

私は、この短歌の中の女性は、佐佐木の娘で、新鮮なセロリを無心に噛んでいる、娘の無垢な姿を歌っているのではと思ったのですが・・・。
人により生活感が違うからこそ、いろいろな解釈がありうるのですね。
それが、おもしろくもあります。

さて、あなたにとってセロリは?

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