佐藤初女 『おむすびの祈り―「森のイスキア」こころの歳時記』 ― 2007/07/02

『地球交響曲 第二番』を見たときに、有名なダライ・ラマと一緒に取り上げられていたのが、この本の著者、佐藤初女さんです。
彼女は岩木山麓に「森のイスキア」という、悩みや苦しみを抱える人たちを迎えるための場所を提供しています。
イスキアとは、イタリア南西にある、火山島の名前だそうです。
「どうにもならないこころの重荷を感じたときに、そこへ行けば癒され、自分を見つめ、新たなエネルギーを得ることができる、そんな場になってほしいと」イスキアと名付けたそうです。
彼女は、幼いとき、青森の祖母の家に遊びに行っていた時に聞いた、教会の鐘の音に引かれ、キリスト教に興味を持ちます。
女学校の時に胸を患い、青森で静養することになり、青森に帰った時に、現在の明けの星高校の前身の青森技芸学院に入学し、修道女テレジアを知ります。
女学校を卒業し、小学校の教師になりますが、26歳も年の違う、子持ちの校長だった佐藤と結婚することになります。
彼女が本格的に奉仕の人生に入るのは、夫が亡くなってからです。
「奉仕のない人生は意味がない。奉仕には犠牲が伴う。犠牲の伴わない奉仕は真の奉仕ではない」
彼女の尊敬する、ヴァレー神父の言葉です。
彼女は自宅を、悩み、苦しむ人たちに開放するようになります。
来る人たちが増え、その人達のために二階を増築しようと思った時に、お金がなく困っている時に、助けがやってきます。
弘前の家は、「弘前のイスキア」と名づけられます。
その後、いろいろな人の助けによって、岩城山麓に「森のイスキア」が作られました。
彼女の家に来た人は、彼女の作るご飯に、癒されるといいます。
「食べることと、その人のそのときの心境は一致しています。ですから心の中が詰まっている人はなかなか食べることができません」
「私たちは食べることを通して、自然からいのちをいただき、それを私たちのいのちへとつないでいきます。ですから、お料理は、素材との出会いから仕上げまで、片時も心を離すことができません。心を込めてつくり、おいしくいただくこと、それはいただいたいのちへの感謝であり、祈りなのです」
仕事で疲れていると、面倒だからご飯のおかずはスーパーのお総菜でごまかそうなどと思いがちですよね。
いのちを食べている、そういう気持ちを持っていないと、食べることをおろそかにしてしまいがちになりますよね。
因みに、彼女の一番嫌いな言葉は、「面倒くさい」だそうです。
誰でも彼女のような奉仕の生活ができるとは思いませんが、食べるということを大事にすることは、生きるということを大事にすることにも通じるのではないでしょうか。
ある中学一年生の男の子が、朝は食べてこないし、一日のdinnerが給食だと言ったそうな。
なんか、悲しい現実ですね。
彼女は岩木山麓に「森のイスキア」という、悩みや苦しみを抱える人たちを迎えるための場所を提供しています。
イスキアとは、イタリア南西にある、火山島の名前だそうです。
「どうにもならないこころの重荷を感じたときに、そこへ行けば癒され、自分を見つめ、新たなエネルギーを得ることができる、そんな場になってほしいと」イスキアと名付けたそうです。
彼女は、幼いとき、青森の祖母の家に遊びに行っていた時に聞いた、教会の鐘の音に引かれ、キリスト教に興味を持ちます。
女学校の時に胸を患い、青森で静養することになり、青森に帰った時に、現在の明けの星高校の前身の青森技芸学院に入学し、修道女テレジアを知ります。
女学校を卒業し、小学校の教師になりますが、26歳も年の違う、子持ちの校長だった佐藤と結婚することになります。
彼女が本格的に奉仕の人生に入るのは、夫が亡くなってからです。
「奉仕のない人生は意味がない。奉仕には犠牲が伴う。犠牲の伴わない奉仕は真の奉仕ではない」
彼女の尊敬する、ヴァレー神父の言葉です。
彼女は自宅を、悩み、苦しむ人たちに開放するようになります。
来る人たちが増え、その人達のために二階を増築しようと思った時に、お金がなく困っている時に、助けがやってきます。
弘前の家は、「弘前のイスキア」と名づけられます。
その後、いろいろな人の助けによって、岩城山麓に「森のイスキア」が作られました。
彼女の家に来た人は、彼女の作るご飯に、癒されるといいます。
「食べることと、その人のそのときの心境は一致しています。ですから心の中が詰まっている人はなかなか食べることができません」
「私たちは食べることを通して、自然からいのちをいただき、それを私たちのいのちへとつないでいきます。ですから、お料理は、素材との出会いから仕上げまで、片時も心を離すことができません。心を込めてつくり、おいしくいただくこと、それはいただいたいのちへの感謝であり、祈りなのです」
仕事で疲れていると、面倒だからご飯のおかずはスーパーのお総菜でごまかそうなどと思いがちですよね。
いのちを食べている、そういう気持ちを持っていないと、食べることをおろそかにしてしまいがちになりますよね。
因みに、彼女の一番嫌いな言葉は、「面倒くさい」だそうです。
誰でも彼女のような奉仕の生活ができるとは思いませんが、食べるということを大事にすることは、生きるということを大事にすることにも通じるのではないでしょうか。
ある中学一年生の男の子が、朝は食べてこないし、一日のdinnerが給食だと言ったそうな。
なんか、悲しい現実ですね。
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