ローリー・リン ドラモンド 『あなたに不利な証拠として』2008/04/10

アメリカの5人の婦人警官を主人公にした短編集です。
婦人警官というと、日本では小さなパトカーに乗っている、交通違反を取り締まる人という印象がありますね。
そういえば、未だに交番に婦人警官を見たことがありませんね。何故なんでしょうね。
アメリカでは、婦人警官というと、男の警官と同等に渡り合っているという印象があります。
パトカーに乗って、何かがあったらすぐに現場に行くということに、男女差があるとは思えませんが、本の中に書いてありましたが、防弾チョッキをつけ、拳銃を装備していると、体格差(性差ではない)により、大変さが違いますよね。
身体が小さく力がないと圧倒的に不利ですね。
考えてみると、日本とは違い、アメリカはいつ撃たれるかわからない、そういう状況が多いので、警官の苦悩も強いように思います。
自分と同じ性の人がレイプされ、惨殺されているのを見て、正気を保っていられる人がどれぐらいいるでしょうか?
正当防衛で人を撃ってしまって、仕方なかったと思える人がどれぐらいいるでしょうか?
いくら精神的にタフでも、生身の人間ですから、いつしか精神が病んでいくと思います。
彼女たちの苦悩が身近に感じられます。

私が特に好きなのは、最後のサラの物語です。
「生きている死者」で、サラは通報者に会いに行きます。
隣の女性、ジャネットの姿が見えないというのです。
家に行ってみると、ジャネットはひどい死に方をしていました。
サラたち女性の警官たちは、被害者のために、女だけの集いをしていました。
彼女たちはジャネットのために、集いを開くことにします。
集いの夜、サラたちがジャネットが死んだ現場である家に着いてしばらくして、誰かが家にいることに気づきます。
サラたちは、そこでしてはいけないことをしてしまいます。

「わたしがいた場所」では、良心の呵責に耐えきれずに警官を辞めたサラは、自分のいた場所を去り、目的もなく車を走らせて、ニューメキシコにたどり着きます。
ある町はずれに貸家があり、サラは直感的に「これ以上いい場所はない」と思い、その家を借りてしまいます。
隣人のメキシコ人の家族と知り合いになり、配送の仕事をしてくらしているうちに、サラはいつしか自分を赦すことを学んでいきます。
これはサラの「再生」の話なのかもしれません。
傷ついても、いつか人は癒されるという…。

訳者の付記がいいので、載せておきます。大家の老女の言葉です。

「恐怖を抱えていたら、自分を赦すことも希望を持つこともできない。多くのことを知っているつもりでも、本当は少ししか知らない。何もかもわかっている者などいないと理解するまで、幸せには生きられない。自分が強いとうぬぼれてはならない。人は自らの弱さを抱きしめるとき、強くなれる」

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