クレオ・コイル 『危ない夏のコーヒー・カクテル』 ― 2008/04/16

コーヒーの美味しさを味わえるシリーズの第四弾です。
今回の舞台はニューヨークから離れ、高級リゾート地イーストハンプトンになります。
クレアは六月から九月まで、知り合いのデイビッド・ミンツァーから頼まれ、彼の新しいレストラン<カップJ>で、バリスタとして働くスタッフの指導と監督をしている。
ついでに、ほっておくと何をやるのかわからない娘のジョイも監視するために連れてきて、<カップJ>で働かせている。
独立記念パーティの日、従業員の一人、トリートという青年が仕事中にいなくなる。
彼を探しに行って、クレアはバスルームで倒れている男性を見つける。
その死体がデイビッドと似ていたので、初めは彼が殺されたのだと思ったのだが、よくよく見ると、それはいなくなったトリートだった。
犯人のねらいはデイビッドだったのか、トリートだったのか?
クレアはデイビッドではなかったのかと思い、殺人事件解決に向け、独自に調査を始める。
もうこうなると、殺人事件依存症ですかね。
相変わらず美味しそうなコーヒーがいっぱい出てきます。
その中でも、八層のチョコレート・アーモンド・エスプレッソ、「クレアのカフェ・プーソン」が飲みたいです。
どこかで作っていないでしょうか。
ワインにフルーツのフレーバーがあるのは知っていますが、コーヒーにもあることを知っていましたか?
シピ・フォールというコーヒーが出てくるのですが、このコーヒーはジャスミン茶のようなフレーバーの奥にスターフルーツ、洋梨、レッドチェリーが感じられ、ごく浅くローストすると、イチゴのフレーバーがするそうです。本当かな?
コーヒーも楽しみなのですが、クレアの一夏の恋の行方も気になります。
コーヒーを片手に、どうぞ。
今回の舞台はニューヨークから離れ、高級リゾート地イーストハンプトンになります。
クレアは六月から九月まで、知り合いのデイビッド・ミンツァーから頼まれ、彼の新しいレストラン<カップJ>で、バリスタとして働くスタッフの指導と監督をしている。
ついでに、ほっておくと何をやるのかわからない娘のジョイも監視するために連れてきて、<カップJ>で働かせている。
独立記念パーティの日、従業員の一人、トリートという青年が仕事中にいなくなる。
彼を探しに行って、クレアはバスルームで倒れている男性を見つける。
その死体がデイビッドと似ていたので、初めは彼が殺されたのだと思ったのだが、よくよく見ると、それはいなくなったトリートだった。
犯人のねらいはデイビッドだったのか、トリートだったのか?
クレアはデイビッドではなかったのかと思い、殺人事件解決に向け、独自に調査を始める。
もうこうなると、殺人事件依存症ですかね。
相変わらず美味しそうなコーヒーがいっぱい出てきます。
その中でも、八層のチョコレート・アーモンド・エスプレッソ、「クレアのカフェ・プーソン」が飲みたいです。
どこかで作っていないでしょうか。
ワインにフルーツのフレーバーがあるのは知っていますが、コーヒーにもあることを知っていましたか?
シピ・フォールというコーヒーが出てくるのですが、このコーヒーはジャスミン茶のようなフレーバーの奥にスターフルーツ、洋梨、レッドチェリーが感じられ、ごく浅くローストすると、イチゴのフレーバーがするそうです。本当かな?
コーヒーも楽しみなのですが、クレアの一夏の恋の行方も気になります。
コーヒーを片手に、どうぞ。
狂言 「御茶ノ水」と能 「歌占」を観る ― 2008/04/19

狂言・大蔵流
「御茶ノ水」 シテ・新発意:山本則直 アド・住持: 山本東次郎 アド・女: 山本則俊
能・観世流
「歌占(うたうら)」 シテ・度会某:清水寛二 ツレ・男:西村高夫
今回の狂言は超ベテラン勢(60代以上)が出ておりました。
その点、安心して観ていられます。
ただ、若い男と女が小歌を謡い戯れるので、ちょっと枯れた老人がやってもと思いましたが、そこは芸の力ですね。
明日の客に茶を出すために、住持が新発意(しんぼち・修業中の若い僧)に野中の清水に行って、水を汲んでくるように言います。
が、新発意は、水汲みはやったことがなく不得意なので、できませんと断ります。
仕方なく、日も暮れ始めてきたので、急いでいつも水汲みにやる門前の女、いちゃに行かせます。
実は新発意、いちゃに気があり、二人になるチャンスをうかがっていたのです。
水を汲みながらいちゃが小歌を謡っていると、新発意が現れます。
いちゃは驚きますが、やがて、二人で小歌を謡い楽しんでいると、いちゃの帰りが遅いことを心配した住持がやってきて、二人を見つけます。
怒った住持は新発意を折檻しますが、いちゃと新発意は二人で住持を打ち倒し、連れだって逃げていきます。
最後の住持が現れ、その住持を二人で負かすところがおもしろい狂言です。
いつも思うのですが、狂言師とはいえ、小歌などの教養がないと駄目なのですね。
なかなかできるものではないと思いました。
「歌占」は読んだとおり、和歌の内容で占うという意味です。
いつもは狂言師(アイ)がでてくるのですが、この曲には出てきません。
加賀の白山の庵の里人が、小弓に短冊をつけて引かせる旅の巫女の歌占がよく当たるという評判を聞き、親と生き別れの幸菊丸を男巫女のもとに連れて行きます。
男巫女は伊勢の二見ノ浦の者で、一度死んで三日後に生き返り、それ以来白髪になったと言われています。
まず里人が親の病気を占ってもらうと、快癒して、長寿を保つと出ました。
その後幸菊丸が生き別れになった父親のことを、歌占を引いて占ってもらいます。
すると、もはや父親に会ったという占いがでます。
不思議に思った男巫女が幸菊丸に問うと、幸菊丸こそわが子であるということがわかります。
里人は思いがけない父子の再会を喜び、噂に聞く地獄の曲舞(くせまい)を所望します。
この曲舞が、この能の見所だとのことです。
ここで白状しますが、私、疲れ切っておりまして、眠くて眠くてしょうがなく、寝ないように頑張っていたので、能に集中できませんでした。
能がつまらないというわけでは、けっしてありません。
内容も分かりやすく、体調が万全だったら…と言い訳をしたいのですが、前に紹介したおすすめマークによると、「難解にして上級向き」でした。
こりゃ、駄目だ。
「御茶ノ水」 シテ・新発意:山本則直 アド・住持: 山本東次郎 アド・女: 山本則俊
能・観世流
「歌占(うたうら)」 シテ・度会某:清水寛二 ツレ・男:西村高夫
今回の狂言は超ベテラン勢(60代以上)が出ておりました。
その点、安心して観ていられます。
ただ、若い男と女が小歌を謡い戯れるので、ちょっと枯れた老人がやってもと思いましたが、そこは芸の力ですね。
明日の客に茶を出すために、住持が新発意(しんぼち・修業中の若い僧)に野中の清水に行って、水を汲んでくるように言います。
が、新発意は、水汲みはやったことがなく不得意なので、できませんと断ります。
仕方なく、日も暮れ始めてきたので、急いでいつも水汲みにやる門前の女、いちゃに行かせます。
実は新発意、いちゃに気があり、二人になるチャンスをうかがっていたのです。
水を汲みながらいちゃが小歌を謡っていると、新発意が現れます。
いちゃは驚きますが、やがて、二人で小歌を謡い楽しんでいると、いちゃの帰りが遅いことを心配した住持がやってきて、二人を見つけます。
怒った住持は新発意を折檻しますが、いちゃと新発意は二人で住持を打ち倒し、連れだって逃げていきます。
最後の住持が現れ、その住持を二人で負かすところがおもしろい狂言です。
いつも思うのですが、狂言師とはいえ、小歌などの教養がないと駄目なのですね。
なかなかできるものではないと思いました。
「歌占」は読んだとおり、和歌の内容で占うという意味です。
いつもは狂言師(アイ)がでてくるのですが、この曲には出てきません。
加賀の白山の庵の里人が、小弓に短冊をつけて引かせる旅の巫女の歌占がよく当たるという評判を聞き、親と生き別れの幸菊丸を男巫女のもとに連れて行きます。
男巫女は伊勢の二見ノ浦の者で、一度死んで三日後に生き返り、それ以来白髪になったと言われています。
まず里人が親の病気を占ってもらうと、快癒して、長寿を保つと出ました。
その後幸菊丸が生き別れになった父親のことを、歌占を引いて占ってもらいます。
すると、もはや父親に会ったという占いがでます。
不思議に思った男巫女が幸菊丸に問うと、幸菊丸こそわが子であるということがわかります。
里人は思いがけない父子の再会を喜び、噂に聞く地獄の曲舞(くせまい)を所望します。
この曲舞が、この能の見所だとのことです。
ここで白状しますが、私、疲れ切っておりまして、眠くて眠くてしょうがなく、寝ないように頑張っていたので、能に集中できませんでした。
能がつまらないというわけでは、けっしてありません。
内容も分かりやすく、体調が万全だったら…と言い訳をしたいのですが、前に紹介したおすすめマークによると、「難解にして上級向き」でした。
こりゃ、駄目だ。
浅見帆帆子 『やっぱりこれで運がよくなった』 ― 2008/04/20

浅見帆帆子のこの本、運をあげるために読んでみましたが、なんか現実を見ると、悪い方へ悪い方へと考えてしまう自分がいます。
直感を信じて進めば、次から次へとシンクロがやってきて、運が上がる。
そんな感じの本なのですが、帆帆子さん、なんかいい家の娘で、あくせく働くこともなく、本を書いちゃって幸せに暮らしているのね。
それも本によると、その人が前世でカルマを解消しているからだとか。
カルマを解消していない私なんか、解消するまでこのままかよ、と言いたくもなります。
「その人に越えられないことはやってこない」
そうですか。なんかもういい加減に疲れたのですが。
たぶん、このなんか疲れたとか嫌な感じっていうのが、直感なのかもしれませんね。
自分の中では、もうこの仕事は辞めて、次のステップへ進もうよと、私の中の直感が言っているのに、理性が押しとどめているようです。
気持ちを切り替えて、次なるステップのために、なんでもいいからやってみて、次のために貯め込む時期なのかもしれません。
「損得勘定や、頭で考えた「こうあるべき」という判断で物事を選んでいくと、たとえ表面上は成功しても、「達成したのになんだか物足りない」「もっと幸せな状態がある」というように考え始めると思います。」
ホント、そうです。
「こういう状態の人は、たいてい自分のことが好きではないでしょう。自分の感覚通りに楽しいことをしていない葛藤があるからです。
これがさらに進むと、身体を壊すことになると思います。普通に言うと、「ストレスがたまる」ということです。」
その通り。身体、壊してます。
そうならないように、「いつも自分の本音の感覚に素直になること」。
やっぱり、雑念を捨てることが必要なようですね。ヴィパッサナー瞑想、真面目にやろうかしら。
直感を信じて進めば、次から次へとシンクロがやってきて、運が上がる。
そんな感じの本なのですが、帆帆子さん、なんかいい家の娘で、あくせく働くこともなく、本を書いちゃって幸せに暮らしているのね。
それも本によると、その人が前世でカルマを解消しているからだとか。
カルマを解消していない私なんか、解消するまでこのままかよ、と言いたくもなります。
「その人に越えられないことはやってこない」
そうですか。なんかもういい加減に疲れたのですが。
たぶん、このなんか疲れたとか嫌な感じっていうのが、直感なのかもしれませんね。
自分の中では、もうこの仕事は辞めて、次のステップへ進もうよと、私の中の直感が言っているのに、理性が押しとどめているようです。
気持ちを切り替えて、次なるステップのために、なんでもいいからやってみて、次のために貯め込む時期なのかもしれません。
「損得勘定や、頭で考えた「こうあるべき」という判断で物事を選んでいくと、たとえ表面上は成功しても、「達成したのになんだか物足りない」「もっと幸せな状態がある」というように考え始めると思います。」
ホント、そうです。
「こういう状態の人は、たいてい自分のことが好きではないでしょう。自分の感覚通りに楽しいことをしていない葛藤があるからです。
これがさらに進むと、身体を壊すことになると思います。普通に言うと、「ストレスがたまる」ということです。」
その通り。身体、壊してます。
そうならないように、「いつも自分の本音の感覚に素直になること」。
やっぱり、雑念を捨てることが必要なようですね。ヴィパッサナー瞑想、真面目にやろうかしら。
J・D・ロブ 『切り裂きジャックからの手紙』 ― 2008/04/23

残暑が続く9月。娼婦が「切り裂きジャック」と同じ手口で殺されていました。
死体の上にはイヴ宛の手紙が…。
高価な紙を使って書かれた手紙から、複数の容疑者が特定されました。
犯人はその中の誰?
そうするうちに、次なる犠牲者が。
今度は一人暮らしの女性でした。
手口は「ボストンの絞殺魔、アルバート・デサルヴォ」。
イヴは勘で怪しいとおもっている人物はいるのですが、なかなか彼は尻尾を出しません。
そうこうするうちに、三人目の犠牲者が…。
前回で、ロークの母親の死の真実が明かされ、アイルランドにいる親戚がわかりました。
今回は、イヴが自分の幼いときの夢を見て、母親のことを思い出します。
その一方、助手のピーボディが昇進試験を受けることになり、落ち着かない毎日を送っています。
ますますイヴとロークの愛情が深まり、イヴを巡る人たちの動向が気になるシリーズです。
死体の上にはイヴ宛の手紙が…。
高価な紙を使って書かれた手紙から、複数の容疑者が特定されました。
犯人はその中の誰?
そうするうちに、次なる犠牲者が。
今度は一人暮らしの女性でした。
手口は「ボストンの絞殺魔、アルバート・デサルヴォ」。
イヴは勘で怪しいとおもっている人物はいるのですが、なかなか彼は尻尾を出しません。
そうこうするうちに、三人目の犠牲者が…。
前回で、ロークの母親の死の真実が明かされ、アイルランドにいる親戚がわかりました。
今回は、イヴが自分の幼いときの夢を見て、母親のことを思い出します。
その一方、助手のピーボディが昇進試験を受けることになり、落ち着かない毎日を送っています。
ますますイヴとロークの愛情が深まり、イヴを巡る人たちの動向が気になるシリーズです。
小林正観 『「き・く・あ」の実践』 ― 2008/04/24

たまたま今日、新しくできた駅ナカの本屋で見つけたのが、この本です。
彼の本は書いてあることはみな同じで、題名だけが違っているみたいです。
いろいろなバリエーションをつけて同じことを書いているということですかね。
最初に書いてあることは、他の本でも読んだことですが、今回は身に染みました。
「幸せ」というのは、その人が「幸せ」と思ったら、その人にのみ存在する。
それなのに、何故「幸せ」を感じることができないのでしょうか?
それは、「競うこと」「比べること」「争うこと」を前提として生きることを教え込まれたからで、その結果、「幸せとは、競うこと・比べること・争うことで初めて手に入るのだ。人より抜きん出て、勝ちつづけるのが、幸せを手に入れる唯一の道である」と信じ込まされてきたからなのです。これからは、競うことなく、自分が楽しいと思えるような生き方をする、それが幸せになる方法であると生観さんは言うのです。
第一章を読んだのですが、その題の「人生とは”刹那”を生きること」というフレーズに、何故私が幸せになれないのかという理由があることに気づきました。
私はいつもここにないものを欲しがっています。今を生きていないのです。
たまたま見た溝口あゆかさんのブログに紹介されていた、脳科学者ジル・テイラー博士の講演ビデオを観たのですが、その中で左脳のおしゃべりのことを聞き、笑ってしまいました。
私って左脳にずいぶん支配されているんだな、と思ったからです。
ひょっとすると右脳派の人の方が「幸せ」を感じる人が多いのではないでしょうか。
「刹那的に生きる」というと悪いことのように思うかもしれませんが、生観さんによると「刹那」を生きるとは、「今この一瞬、一瞬を最大限大事にいきること」なのです。
「流れに逆らわず、起きてくることを一つひとつ誠実に受けとめ」、「今、目の前の人を抱きしめ」、「その人に最大限、自分の笑顔を向けること」。そして「私のもっている言葉を贈り物としてあげること」。
こういう風に生きられたら、いいですね。
彼の本は書いてあることはみな同じで、題名だけが違っているみたいです。
いろいろなバリエーションをつけて同じことを書いているということですかね。
最初に書いてあることは、他の本でも読んだことですが、今回は身に染みました。
「幸せ」というのは、その人が「幸せ」と思ったら、その人にのみ存在する。
それなのに、何故「幸せ」を感じることができないのでしょうか?
それは、「競うこと」「比べること」「争うこと」を前提として生きることを教え込まれたからで、その結果、「幸せとは、競うこと・比べること・争うことで初めて手に入るのだ。人より抜きん出て、勝ちつづけるのが、幸せを手に入れる唯一の道である」と信じ込まされてきたからなのです。これからは、競うことなく、自分が楽しいと思えるような生き方をする、それが幸せになる方法であると生観さんは言うのです。
第一章を読んだのですが、その題の「人生とは”刹那”を生きること」というフレーズに、何故私が幸せになれないのかという理由があることに気づきました。
私はいつもここにないものを欲しがっています。今を生きていないのです。
たまたま見た溝口あゆかさんのブログに紹介されていた、脳科学者ジル・テイラー博士の講演ビデオを観たのですが、その中で左脳のおしゃべりのことを聞き、笑ってしまいました。
私って左脳にずいぶん支配されているんだな、と思ったからです。
ひょっとすると右脳派の人の方が「幸せ」を感じる人が多いのではないでしょうか。
「刹那的に生きる」というと悪いことのように思うかもしれませんが、生観さんによると「刹那」を生きるとは、「今この一瞬、一瞬を最大限大事にいきること」なのです。
「流れに逆らわず、起きてくることを一つひとつ誠実に受けとめ」、「今、目の前の人を抱きしめ」、「その人に最大限、自分の笑顔を向けること」。そして「私のもっている言葉を贈り物としてあげること」。
こういう風に生きられたら、いいですね。
狂言の会 「附子」、「濯ぎ川」、「博奕十王」を観る ― 2008/04/26

今週末も能楽堂に行きました。また寝そうになりましたが、狂言だったので、かろうじて起きていました、笑。
狂言の会
「附子」 シテ(太郎冠者) 善竹十郎 アド(主) 大蔵彌太郎
アド(次郎冠者) 大蔵吉次郎
「濯ぎ川」 シテ(男) 茂山千之丞 アド(妻) 茂山千五郎
アド(姑) 茂山あきら
「博奕十王」 シテ(博奕打) 石田幸雄 アド(閻魔大王) 野村萬斎
「附子」は学校の教科書に出てくるので、狂言というとこれという感じですよね。
観るのは3回目ですが、鑑賞教室で観たので、セリフなどがちょっと違っていたようです。
簡略化されていたのかもしれません。
主人が外出するので、猛毒の附子を見張っているように言われた太郎冠者と次郎冠者は、附子がどんなものかと興味津々。
覗いてみると美味しそうなので、食べてみると、それは砂糖でした。
ついつい砂糖を全部食べてしまい、これでは主人に怒られると思い、考えたのが掛け軸と茶碗を割るということ。
さて、主人が帰ると…。
話の内容を知ってはいても、くすりと笑える狂言です。
今回はベテラン三人で演じていました。
私的には太郎冠者が年寄りだと、え~と思ってしまうのですが、だんだんと見慣れてきました。
でも、今回は言葉がもぐもぐした感じで、セリフがあまり聞き取りやすくなかったです。
「濯ぎ川」はフランスの古典小咄「ル・キュヴィエ(洗濯桶)」を下敷きにした新作狂言です。
婿に入り、妻と姑からこき使われている男の話です。
その日は洗濯をやらされ、川辺に行って洗濯をしていたのですが、そこに妻や姑がやって来ては、仕事をいろいろといいつけます。
あまりにも仕事が多いので、困った男は紙に書いてくれと頼み、紙にかかれた仕事だけをやればいいという約束をとりつけます。
洗濯をしているうちに、小袖が川に流れ、それを取ろうとした妻が誤って転落してしまいます。
男は紙に書いていないからと、流されていく妻を助けようとしません。
姑は今までのことを詫び、助けてくれと頼みます。
さて、男はどうするのでしょうか?
なんともすごい狂言ですね。
妻の口やかましさと姑の意地の悪さがよくわかる演出でした。
狂言は普通の歩きと違うのですが、この狂言では老人独特の歩き方を強調していました。
新作だからOKなんでしょう。
最後の「博奕十王」もちょっと趣の変わった狂言です。
またまた野村萬斎が出ています。
彼はこういうものが好きなのかもしれませんね。
閻魔大王役だったので、顔が見えず、それが良かったかも(失礼)。
閻魔大王と鬼達がぞろぞろと登場。鬼計5名(鬼は名でいいの?)。登場人物がいつもの倍です。
それぞれ面を被っておりますが、歩き方もコミカルで、全然怖くありません。
近頃地獄に来る罪人が少なくなって、鬼達は困っていました。
閻魔大王は鬼どもを引き連れ、六道の辻に出向き、死者が来るのを待ち受けます。
みずからが死者を地獄へ責め落とそうというのです。
そこにきたのが博打打ち。さっそく鬼どもが責めたて、閻魔のところまで連れて行きます。
博打打ちは、博奕は悪いことではない、みんながする遊びだと言い張ります。
閻魔はなんと博奕に興味を持ってしまい、博奕をやってみせてくれと頼みます。
そこで博打打ちは、閻魔を相手に博奕を始めます。サイコロの目をあてるというものです。
このサイコロ、何故か1の目がありません。
それなのに、閻魔は1の目ばかり張り続けます。馬鹿ですねぇ。
鬼が他の目に張るようにと言っても言うことを聞きません。
結局博打打ちに身ぐるみを剥がされてしまい、獲ったものを返してもらう代わりに、極楽へ案内することになってしまいます。
なんとも馬鹿な、そこがかわいい閻魔大王です。
狂言と言ってもいろいろとあるのだということがわかる公演でした。
狂言の会
「附子」 シテ(太郎冠者) 善竹十郎 アド(主) 大蔵彌太郎
アド(次郎冠者) 大蔵吉次郎
「濯ぎ川」 シテ(男) 茂山千之丞 アド(妻) 茂山千五郎
アド(姑) 茂山あきら
「博奕十王」 シテ(博奕打) 石田幸雄 アド(閻魔大王) 野村萬斎
「附子」は学校の教科書に出てくるので、狂言というとこれという感じですよね。
観るのは3回目ですが、鑑賞教室で観たので、セリフなどがちょっと違っていたようです。
簡略化されていたのかもしれません。
主人が外出するので、猛毒の附子を見張っているように言われた太郎冠者と次郎冠者は、附子がどんなものかと興味津々。
覗いてみると美味しそうなので、食べてみると、それは砂糖でした。
ついつい砂糖を全部食べてしまい、これでは主人に怒られると思い、考えたのが掛け軸と茶碗を割るということ。
さて、主人が帰ると…。
話の内容を知ってはいても、くすりと笑える狂言です。
今回はベテラン三人で演じていました。
私的には太郎冠者が年寄りだと、え~と思ってしまうのですが、だんだんと見慣れてきました。
でも、今回は言葉がもぐもぐした感じで、セリフがあまり聞き取りやすくなかったです。
「濯ぎ川」はフランスの古典小咄「ル・キュヴィエ(洗濯桶)」を下敷きにした新作狂言です。
婿に入り、妻と姑からこき使われている男の話です。
その日は洗濯をやらされ、川辺に行って洗濯をしていたのですが、そこに妻や姑がやって来ては、仕事をいろいろといいつけます。
あまりにも仕事が多いので、困った男は紙に書いてくれと頼み、紙にかかれた仕事だけをやればいいという約束をとりつけます。
洗濯をしているうちに、小袖が川に流れ、それを取ろうとした妻が誤って転落してしまいます。
男は紙に書いていないからと、流されていく妻を助けようとしません。
姑は今までのことを詫び、助けてくれと頼みます。
さて、男はどうするのでしょうか?
なんともすごい狂言ですね。
妻の口やかましさと姑の意地の悪さがよくわかる演出でした。
狂言は普通の歩きと違うのですが、この狂言では老人独特の歩き方を強調していました。
新作だからOKなんでしょう。
最後の「博奕十王」もちょっと趣の変わった狂言です。
またまた野村萬斎が出ています。
彼はこういうものが好きなのかもしれませんね。
閻魔大王役だったので、顔が見えず、それが良かったかも(失礼)。
閻魔大王と鬼達がぞろぞろと登場。鬼計5名(鬼は名でいいの?)。登場人物がいつもの倍です。
それぞれ面を被っておりますが、歩き方もコミカルで、全然怖くありません。
近頃地獄に来る罪人が少なくなって、鬼達は困っていました。
閻魔大王は鬼どもを引き連れ、六道の辻に出向き、死者が来るのを待ち受けます。
みずからが死者を地獄へ責め落とそうというのです。
そこにきたのが博打打ち。さっそく鬼どもが責めたて、閻魔のところまで連れて行きます。
博打打ちは、博奕は悪いことではない、みんながする遊びだと言い張ります。
閻魔はなんと博奕に興味を持ってしまい、博奕をやってみせてくれと頼みます。
そこで博打打ちは、閻魔を相手に博奕を始めます。サイコロの目をあてるというものです。
このサイコロ、何故か1の目がありません。
それなのに、閻魔は1の目ばかり張り続けます。馬鹿ですねぇ。
鬼が他の目に張るようにと言っても言うことを聞きません。
結局博打打ちに身ぐるみを剥がされてしまい、獲ったものを返してもらう代わりに、極楽へ案内することになってしまいます。
なんとも馬鹿な、そこがかわいい閻魔大王です。
狂言と言ってもいろいろとあるのだということがわかる公演でした。
劇団四季「李香蘭」を観る ― 2008/04/27

「ミュージカル 李香蘭」
李香蘭 野村 玲子
川嶋芳子 濱田めぐみ
李愛蓮 五東 由衣
杉本 芝 清道
王玉林 芹沢 英明
「李香蘭」と言ってもわかる人はもう少なく、元参議院議員「山口淑子」と言った方が知っている人が多いことでしょう。
何故私が知っているかというと、親が懐メロが好きでよくテレビで見ていたからです。
彼女は1920年生まれですから、かろうじて「李香蘭」時代の彼女を生で見たことのある人は、70代以上の人たちですか。
未だに健在だということです。すごいですね。
四季のミュージカルにしては、観客は圧倒的に60代以上の人が多いです。やっぱり内容が内容ですからねぇ。
李香蘭を演じた野村さんは、ひょっとして「ハムレット」でオフェーリア役をした人では…。
風邪をひいたのか、声がかすれるところがあり、彼女のキンキン声(失礼)が少し低くなっているようでした。
四季のことをあまり知らないのですが、彼女は看板女優なのかしら?いい役ばかりやっていますね。
はっきり言って、あまり期待していませんでした。
しかし、四季のミュージカルの中で一番感動したのが、この『李香蘭』です。
作り物ではない、事実に基づいたものは、人を本当に感動させる力を持っているんですね。
「李香蘭」は男装の麗人として有名な川嶋芳子を舞台回しとして登場させ、第二次世界大戦後の中国の軍事法廷の場面から始まり、そして終わります。
満州に生まれ、中国人と兄弟のように過ごし、父親の親友、李将軍の義理の娘分になり、つけられた名が「李香蘭」です。
淑子は日本語も中国語も堪能で、声楽も学んでいたため、1938年、満州国の国策映画会社から中国人の専属映画女優としてデビューします。
その後日本や満州のみならずアジアでも人気が出て、国際スターとなったのです。
彼女はただ単純に歌ったり演じたりするのが好きだというだけだったのでしょう。
でも、時代が悪かった。
彼女は無知故に、利用されたのです。
ミュージカルでは、川嶋芳子が場面毎に出てきて、戦時中の日本の出来事を皮肉混じりで紹介していきます。
若い兵士たちが舞台で、一人ずつ、親や兄弟、恋人へ最後の言葉を述べていく場面では、思わず涙が出てきました。
ただ平和を唱えるだけではなく、日本が犯した罪を暴き、苦しんだ民衆の声を描き出し、日本と中国が手と手を取り合い、互いにいいパートナーとして歩いていこうという、そういうメッセージが聞こえてくるミュージカルでした。
李香蘭 野村 玲子
川嶋芳子 濱田めぐみ
李愛蓮 五東 由衣
杉本 芝 清道
王玉林 芹沢 英明
「李香蘭」と言ってもわかる人はもう少なく、元参議院議員「山口淑子」と言った方が知っている人が多いことでしょう。
何故私が知っているかというと、親が懐メロが好きでよくテレビで見ていたからです。
彼女は1920年生まれですから、かろうじて「李香蘭」時代の彼女を生で見たことのある人は、70代以上の人たちですか。
未だに健在だということです。すごいですね。
四季のミュージカルにしては、観客は圧倒的に60代以上の人が多いです。やっぱり内容が内容ですからねぇ。
李香蘭を演じた野村さんは、ひょっとして「ハムレット」でオフェーリア役をした人では…。
風邪をひいたのか、声がかすれるところがあり、彼女のキンキン声(失礼)が少し低くなっているようでした。
四季のことをあまり知らないのですが、彼女は看板女優なのかしら?いい役ばかりやっていますね。
はっきり言って、あまり期待していませんでした。
しかし、四季のミュージカルの中で一番感動したのが、この『李香蘭』です。
作り物ではない、事実に基づいたものは、人を本当に感動させる力を持っているんですね。
「李香蘭」は男装の麗人として有名な川嶋芳子を舞台回しとして登場させ、第二次世界大戦後の中国の軍事法廷の場面から始まり、そして終わります。
満州に生まれ、中国人と兄弟のように過ごし、父親の親友、李将軍の義理の娘分になり、つけられた名が「李香蘭」です。
淑子は日本語も中国語も堪能で、声楽も学んでいたため、1938年、満州国の国策映画会社から中国人の専属映画女優としてデビューします。
その後日本や満州のみならずアジアでも人気が出て、国際スターとなったのです。
彼女はただ単純に歌ったり演じたりするのが好きだというだけだったのでしょう。
でも、時代が悪かった。
彼女は無知故に、利用されたのです。
ミュージカルでは、川嶋芳子が場面毎に出てきて、戦時中の日本の出来事を皮肉混じりで紹介していきます。
若い兵士たちが舞台で、一人ずつ、親や兄弟、恋人へ最後の言葉を述べていく場面では、思わず涙が出てきました。
ただ平和を唱えるだけではなく、日本が犯した罪を暴き、苦しんだ民衆の声を描き出し、日本と中国が手と手を取り合い、互いにいいパートナーとして歩いていこうという、そういうメッセージが聞こえてくるミュージカルでした。
「大いなる陰謀」を観る ― 2008/04/29

監督 ロバート・レッドフォード
マレー教授 ロバート・レッドフォード
ジャニーン・ロス メリル・ストリープ
ジャスパー・アーヴィング上院議員 トム・クルーズ
ロバート・レッドフォードは顔が大好きな俳優です。
「追憶」の時の彼は本当に美男子で、映画の中で彼の顔をなでているバーブラ・ストライサンドの気持ちがわかりましたが、だんだん年を取るにつれ、美貌も衰えてしまい、ブラッド・ピットが彼の後を継ぐかと思ったのですが、ピットでは物足りません。
例え美貌が衰えても、彼の真摯な姿には脱帽です。
メリルは昔から好きな女優です。
どんな役をやってもうまいとしか言えない演技をします。
でも主婦役より、こういうキャリア・ウーマンの方が彼女に合っていますね。
トムは残念ながら、あまり好きではありません。
なんか全然変わらず、相変わらずのトムなのです。(意味通じない?)
年取っても、それなりの年輪を感じさせないように思いませんか?
一応、この映画の売りがこの3人の俳優だったので、一言書いてみました、笑。
さて肝心の映画ですが、観た後に、何かすきっとしない、もやもやしたものを感じました。
映画は3つの場面からなっています。
まず上院議員がジャーナリストのジャニーンを自分の事務所に招き、1時間ものインタビューを申し出るところ。
そして、大学教授のマレーが将来性があると見込んだ学生トッドを自分のオフィスに呼ぶところ。
最後にアフガニスタンで、マレーの教え子の二人が高地占領作戦に出向くところ。
この3つの場面が同じ時間軸で進んでいきます。
上院議員は自分が考えた高地占領作戦をジャニーンにリークし、マスコミを利用しようとします。
40年もジャーナリストをやってきたジャニーンは、うさんくささを感じます。
マレー教授は、無為に人生を過ごそうとする学生トッドに、自分の教え子でアフガニスタンに志願していった二人(アーネストとアーリン)のことを話します。
高地占領作戦は、敵の予想外の攻撃を受け、アーネストとアーリンは敵の包囲網の真っ直中で孤立してしまいます。
レッドフォードは教育者に近いものをもっているんだなと、この映画を観ながら思いました。
マレー教授は彼そのものなのではないでしょうか。
大学生活に慣れ、将来に対する希望も理想も持てずに、現状に甘んじようとしているトッドに対し、目を開いて見てみろ!と言うマレー教授。
本当の教育者の姿をそこに見ました。
たとえ彼が与えた教育で、何かをやらなければと思い、戦地に志願していって、犬死にするようになったとしても、彼は若者に期待しているのです。
トッドのように虚無的になり、人生なんてこんなもの。
努力するのはダサイし、そんなことしなくったって金持ちにはなれる。
そういうような風潮が蔓延していたとしても、正しいものを見抜く目を持たないと、政治家の甘言に騙され、戦地に赴くことになりかねないのです。
例え派手なシーンがなくても、このような何かを感じ、考えさせてくれる映画はいいなぁと思いました。
マレー教授 ロバート・レッドフォード
ジャニーン・ロス メリル・ストリープ
ジャスパー・アーヴィング上院議員 トム・クルーズ
ロバート・レッドフォードは顔が大好きな俳優です。
「追憶」の時の彼は本当に美男子で、映画の中で彼の顔をなでているバーブラ・ストライサンドの気持ちがわかりましたが、だんだん年を取るにつれ、美貌も衰えてしまい、ブラッド・ピットが彼の後を継ぐかと思ったのですが、ピットでは物足りません。
例え美貌が衰えても、彼の真摯な姿には脱帽です。
メリルは昔から好きな女優です。
どんな役をやってもうまいとしか言えない演技をします。
でも主婦役より、こういうキャリア・ウーマンの方が彼女に合っていますね。
トムは残念ながら、あまり好きではありません。
なんか全然変わらず、相変わらずのトムなのです。(意味通じない?)
年取っても、それなりの年輪を感じさせないように思いませんか?
一応、この映画の売りがこの3人の俳優だったので、一言書いてみました、笑。
さて肝心の映画ですが、観た後に、何かすきっとしない、もやもやしたものを感じました。
映画は3つの場面からなっています。
まず上院議員がジャーナリストのジャニーンを自分の事務所に招き、1時間ものインタビューを申し出るところ。
そして、大学教授のマレーが将来性があると見込んだ学生トッドを自分のオフィスに呼ぶところ。
最後にアフガニスタンで、マレーの教え子の二人が高地占領作戦に出向くところ。
この3つの場面が同じ時間軸で進んでいきます。
上院議員は自分が考えた高地占領作戦をジャニーンにリークし、マスコミを利用しようとします。
40年もジャーナリストをやってきたジャニーンは、うさんくささを感じます。
マレー教授は、無為に人生を過ごそうとする学生トッドに、自分の教え子でアフガニスタンに志願していった二人(アーネストとアーリン)のことを話します。
高地占領作戦は、敵の予想外の攻撃を受け、アーネストとアーリンは敵の包囲網の真っ直中で孤立してしまいます。
レッドフォードは教育者に近いものをもっているんだなと、この映画を観ながら思いました。
マレー教授は彼そのものなのではないでしょうか。
大学生活に慣れ、将来に対する希望も理想も持てずに、現状に甘んじようとしているトッドに対し、目を開いて見てみろ!と言うマレー教授。
本当の教育者の姿をそこに見ました。
たとえ彼が与えた教育で、何かをやらなければと思い、戦地に志願していって、犬死にするようになったとしても、彼は若者に期待しているのです。
トッドのように虚無的になり、人生なんてこんなもの。
努力するのはダサイし、そんなことしなくったって金持ちにはなれる。
そういうような風潮が蔓延していたとしても、正しいものを見抜く目を持たないと、政治家の甘言に騙され、戦地に赴くことになりかねないのです。
例え派手なシーンがなくても、このような何かを感じ、考えさせてくれる映画はいいなぁと思いました。
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