沢木耕太郎 『凍(とう)』 ― 2008/11/13

沢木耕太郎がクライマーについて書いた本です。
山登りというと、大学時代に弱小ワンゲル部に入ってちょっとやったことがあります。
女ばかりだったので、せいぜい一泊か二泊程度の山登りでした。
ワンゲルですから冬山はやりません。
たまたま知り合った、他の大学の山岳部の人にロッククライミングを教えてもらい、また行こうと約束をしたのですが、彼らはヒマラヤかどこかのホワイトセールという山だったと思いますが、その山を登りに行って、戻ってきませんでした。
ご両親はさぞ無念だったでしょうね。
人は何故山に登るのでしょうか?
山野井泰史というクライマーのことはこの本を読むまで知りませんでした。
彼は最強のクライマーとの呼び声が高く、アルパイン・スタイルで少数による登山を行っているそうです。
1970年代前半まで、ヒマラヤなどに登るとき、大量の人員と物資を使っての大規模登山が主流だったそうです。
こういう登山では、隊員のすべてが頂上に登るのではなくて、選ばれた人しか登れないそうです。
なんか変ですね。
1970年代後半からは、登山法が劇的な転換を遂げます。
アルパイン・スタイルの登山法でヒマラヤなどの山を登るようになったのです。
アルパイン・スタイルとは、少人数、または単独で、短期間のうちに頂上に登るという登山法です。
山野井は妻でクライマーである妙子と共に、エヴェレストと世界第六位の高さのチョー・オユーとの間に位置するギャチュンカンという山に登ることにします。
途中の行程は厳しく、何故これほどにまでして登るのかと、山にたいした思いのない者は思います。
凍傷で手や足の指を無くしたりもするのですよ。
ロマンとはほど遠いドキュメンタリーですが、山登りを生業としない沢木が、これほど山野井の心に迫れたということに驚きます。
人間の業を感じさせる本でした。
山登りというと、大学時代に弱小ワンゲル部に入ってちょっとやったことがあります。
女ばかりだったので、せいぜい一泊か二泊程度の山登りでした。
ワンゲルですから冬山はやりません。
たまたま知り合った、他の大学の山岳部の人にロッククライミングを教えてもらい、また行こうと約束をしたのですが、彼らはヒマラヤかどこかのホワイトセールという山だったと思いますが、その山を登りに行って、戻ってきませんでした。
ご両親はさぞ無念だったでしょうね。
人は何故山に登るのでしょうか?
山野井泰史というクライマーのことはこの本を読むまで知りませんでした。
彼は最強のクライマーとの呼び声が高く、アルパイン・スタイルで少数による登山を行っているそうです。
1970年代前半まで、ヒマラヤなどに登るとき、大量の人員と物資を使っての大規模登山が主流だったそうです。
こういう登山では、隊員のすべてが頂上に登るのではなくて、選ばれた人しか登れないそうです。
なんか変ですね。
1970年代後半からは、登山法が劇的な転換を遂げます。
アルパイン・スタイルの登山法でヒマラヤなどの山を登るようになったのです。
アルパイン・スタイルとは、少人数、または単独で、短期間のうちに頂上に登るという登山法です。
山野井は妻でクライマーである妙子と共に、エヴェレストと世界第六位の高さのチョー・オユーとの間に位置するギャチュンカンという山に登ることにします。
途中の行程は厳しく、何故これほどにまでして登るのかと、山にたいした思いのない者は思います。
凍傷で手や足の指を無くしたりもするのですよ。
ロマンとはほど遠いドキュメンタリーですが、山登りを生業としない沢木が、これほど山野井の心に迫れたということに驚きます。
人間の業を感じさせる本でした。
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