若桑みどり 『クアトロ・ラガッティ―天正少年使節と世界帝国』2009/03/23

「人間の価値は社会において歴史において名前を残す「傑出した」人間になることではない。それぞれが自己の信念に生きることである」

岩桑さんの言葉です。
この本はなんと上下二巻に分かれていて、500ページはあるのではという厚さです。
岩桑さんは西洋美術史の専門家だそうですが、内容は日本におけるキリシタンの歴史です。
普段なら私が選びそうもない本です。
知り合いの人が読書会をしており、次回に選ばれた本だということで、貸してくれたのです。
読書会には私は参加していませんが、何を読むのかには興味があるので、いつも教えてもらい、たまに本を借りているのです。
キリシタンについては遠藤周作の『沈黙』を読んでいますので、少しは知っていましたが、その頃の世界や日本の状況などは詳しく知りませんでした。
この本の中には、日本だけではなく、世界の状況も含め、戦国時代にイエスズ会のザビエルが来日してから江戸時代に入り、少年使節の一員が殉教するまでのことが書かれています。

日本に来た宣教師達の間に、日本で行う布教のやり方に違いがありました。
日本人を黒人と呼び、日本語や日本文化に触れようとはしなかったカブラルのような人と、日本人を白人と呼び、日本が文化的にも優れていると認め、郷に入りては郷に従えをを行い、日本に文化・教育施設をつくったヴァリニャーノのような人がいました。
ヴァリニャーノが後にキリシタン大名と話し合って、四人の少年達をローマに送ることにしたのです。
文化・教育施設を維持していくのにはお金が必要だったのです。
教皇にキリシタンの日本人を見てもらい、援助をもらおうと思ったのです。

織田信長はアジア征服を目標にしていました。
そのためにキリシタンを保護したのです。
信長は宗教など信じていません。彼は全く合理主義の人でした。
後に彼は「日本という国は神でなければ支配できない」と、自分自身が神になろうとしました。
総見寺を建立し、彼の誕生日に参拝すれば、現世において利益を得、子孫は繁栄し、後生は救済されると言ったのです。
彼のもくろみは「天皇を中心とする古い日本の国体をねこそぎ破壊すること」で、そのために彼は破滅したのです。

秀吉は信長の政策を上手く受け継いだのですが、彼の性格は信長とは違いました。
彼は何よりも自分が一番でなければならないのです。
秀吉と接した宣教師の秀吉の心の読み違いから発した言葉と仏僧の秀吉への悪意のある忠告から起こる、秀吉の憎悪と疑心。
秀吉のキリシタン迫害の目的は「全国の真の統一、真の征服にあった。それは心の征服、心の統一である。心から自由を奪うことである。心に自由があればいつ反乱が起こるかわからない。独裁者の最大の敵は心の自由である」と若桑さんはいいます。
庶民のキリシタン迫害の様子を見ると、第二次世界大戦中のユダヤ人迫害を思い出しました。

いろいろなところに話題が飛ぶので、読みずらいところがありますが、年表と古地図を持って読んでいくと、とっても楽しいですよ。
久々のガツンときた(意味不明)本です。