『青木繁展―よみがえる神話と芸術』@ブリジストン美術館2011/08/06

青木繁といえば、教科書に≪海の幸≫が出ていたのを覚えています。が、それ以上に興味は持ちませんでした。
赤瀬川さんの『日本美術応援団』(だと思うのですが、記憶が曖昧。他の本だったかも)で≪海の幸≫を取り上げているのを読んで、実物を見たいと思いました。
ブリジストン美術館で『青木繁展』をやっているのを知り、重い腰をあげて行ってきました。
彼は1904年(22歳)から1911年(28歳8か月)という短い期間で彼独自の世界を展開し、後世に残る作品を残しました。


[第1章: 画壇への登場―丹青によって男子たらん 1903年まで]
木炭画や鉛筆画などが多く展示されています。
その中で、黒田清輝の「昔語り」に描かれた芸妓の上半身の下絵を模写した作品である「舞妓」はデッサンの木炭の濃淡で髪の一本一本、着物の布のしわなど緻密に描かれており、後で見た師であった黒田のデッサンとそっくりでした。


これは黒田の「舞妓」。会場で比べてみて下さい。

[第2章: 豊饒の海―≪海の幸≫を中心に、1904年]
有名な≪海の幸≫が画壇に発表されたのが1904年です。
現物を見て分かったのですが、下絵や碁盤の目が消されずに残っています。
こういうことは実物を見ないとわからないことです。


一人、恋人の福田たねらしき白い女性の顔がこちらを見ています。不思議な絵です。
晩年の彼が神話の世界を描きましたが、この絵も実際の漁の様子ではなく、彼の描く物語の世界のようです。

私は彼の描く海に魅せられました。まるで印象派の描いたような絵筆のタッチです。


海は彼の中で特別なものだったのでしょうね。

[第3章: 描かれた神話―≪わだつみのいろこの宮≫まで 1904-07年]
彼は何枚も自画像を描いています。その絵を見ながら、キリストのように思いました。


彼はキリストのように、絵に殉教しようと思っていたのかしら?
第5章を見ている時に、キャプションに「彼が洗礼を受けた」と書いてあるのを見てやっぱりと思いました。


この「わだつみのいろこの宮」を見て、ある画家を思い出しますね。そう、ラファエロ派のロセッティやバーン・ジョーンズ。
日本の神話を描いているのですが、日本的というよりも西洋的な感じがします。
この絵を自信をもって展覧会に出品したのに、評価は低かったといいます。

[第4章: 九州放浪、そして死 1907-11年]
絵は売れず、恋人に子供ができ、故郷の父親が死に、結核にかかります。手紙で困窮している様子がわかります。
この展覧会で、私が一番好きなのは「夕焼けの海」と絶筆の「朝日」です。
どちらかというと暗いトーンの絵が多かったのに、晩年のこの2枚の絵は淡いトーンに変っていて、静謐さに満ちています。



自分の命が尽きようという時の青木の心象は、あくまでもこの絵のように穏やかなものだったのでしょう。それは諦念かもしれませんが。

[第5章: 没後、伝説の形成から今日まで]
彼は友人に恵まれていたようで、友人の坂本らは繁の死後、遺作展の開催や画集の発行に奔走してくれました。彼が今日にこのように評価されているのは、友人のおかげですね。

8月9日から展覧会の後期になります。後期には紙作品(水彩・素描)はすべて入れ替わり、「大和武尊」(東京国立博物館所蔵)は展示されないそうです。

この青木繁展の他にコレクションも展示されています。思いがけず、またかわいいジョルジェットちゃんにも会えました。ピカソのサルタンバンクもいました。

震災の影響で美術館も売店も18時までしか開いていません。ティーショップは17時半になるとオーダーストップです。
ここではカフェオレを頼むと、ミルクとコーヒーが別々に出てきて、自分で好きなように濃さを調節できます。2杯分あるので、嬉しいですね。
サンドイッチは「赤トンボ」から取り寄せているそうです。前回は食べられたのですが、今回は12時で売り切れになってしまったそうです。どうしても食べたい場合は予約しておくといいそうです。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://coco.asablo.jp/blog/2011/08/06/6032323/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。