沢木耕太郎 『246』2014/11/25



『246』ってなんなんだろうと思っていたら、国道246号線のことなのね。
この本は日記のようなものです。
沢木さんの今ではなくて、ずっと前の『深夜特急』の三部が出る前、キャパの翻訳を始めた頃のことです
正確にいうと、1986年1月から9月までです。

『深夜特急』を大分前に読みましたし、彼の書く映画評が好きなので、エッセイ集も結構読んでいます。
私の中で作りあげた沢木象があって、それがこの本で少し崩れました。
それは結婚して二歳の娘さんがいたこと。
彼のような仕事をしている人は、子供と接する機会があまり取れないので、結婚したり子供を作ったりしないと思っていたのです。
あまりにも『深夜特急』の印象が強すぎたのかもしれません。
いつまでもあのような旅ができるわけないのにねぇ。

本の中で誰かから一番かわいい時期を逃すのか言われ、急いで日本に帰り、それから娘に寝る時のお話をするようになったと書かれています(どこに書かれていたか探せないですが)。
娘さんはよく出てくるのですが、奥さんとの約束でしょうか、奥さんは一回も出てきません。
彼が仕事のことで誰にあったとか、何処に飲みに行って誰にあったとか、書けなくて宿に缶詰になったとかがメイン(?)ですから、家庭のことはおまけのようなもので、娘さんとのことはこの本の一服の清涼剤になっています。

この頃の日本と今の日本と変わったなと思ったのは、「世界のトップレベルにあるプロスポーツマンというのがいるだろうか」ということ。
『246』が書かれた時は野球もテニスもサッカーも特にこれと言った選手がいなかったようです。
しいていうと、競輪の中野浩一がこの頃唯一のプロスポーツマンだったようです。
今は、テニスの錦織、サッカーの本田、香川、野球のイチロー、田中などが活躍しています。

確実に時は流れていますね。

いつまでも人は若い時のままではなく、確実に年をとって変わっていく。
そういう現実を、この本を読んで実感しました。