朝井まかて 『類』2020/09/17



美しい装丁の本です。
絵は誰が描いたかというと、この本の主人公、森類です。
森類はあの森鴎外(森林太郎)の三男で、本人曰く、「不肖の子」。

類は明治44年(1911年)に末子として生まれました。
兄弟は前妻との子、長男の於菟(おと)と後妻・志げとの子、長女の茉莉、次男の不律(ふりつ)、次女の杏奴(あんぬ)です。
今でいうキラキラネームがつけられていますが、ヨーロッパでも通じる名前を考えたそうです。(「おと→オットー」、「ふりつ→フリッツ」)
於菟とは21歳も年の差があったので、兄弟という感じではないですね。

前妻の登志子とはドイツから戻り、彼を追ってエリスが日本に来て、親族に無理矢理国に帰らせられた、そのすぐ後に結婚させられたようです。
鴎外も登志子もさんざんでしたね。もともと上手くいく結婚ではなかったようで、於菟が生まれてすぐに離婚しました。
登志子との後には懇ろになった女性もいたようですが、四十を過ぎて結婚したのが、名家の令嬢で、鴎外が「美術品らしき妻」と言った美女の志げです。

鴎外は子供達からパッパと呼ばれ、子供には甘い父親で、愛情をたっぷり与えていたようで、どの子も自分はパッパに愛されていたと思っています。
でも、不律と茉莉が百日咳にかかって苦しんでいるのを不憫に思い、安楽死をさせようとしたなんて、本当に子供を愛していたのかしら?
茉莉は薬を飲まされる前に志げの親が気づき、助かったようですが、不律は安楽死させられたようです。

一方、志げはわがままで気が強く、支配的な義母・峰子とは不仲で、子供を連れ別居します。
峰子も峰子なんでしょうけど、志げも志げです。
於菟と鴎外が会って話をしていると機嫌を悪くするので、於菟は外で鴎外と会わなければならなかったとか。
自分が器量がいいからと、子供達に器量が悪い、不器量だと平気で言うんですよ。
類が、今で言う学習障害なのかもしれませんが、小学校3年生頃から勉強について行けなくなった時に、「頭に病気が有ったらどんなに肩身が広いだろう」と言い、病院で病気ではないと言われると、「死なないかなぁ」と漏らしたようです。
昔のご令嬢は天真爛漫に思ったままを言葉に出す傾向があるのでしょうか?
まあ、こんな人だからこそ、よりパッパの方が好かれたのでしょうね。

「パッパは慈愛の人。お母さんは、偏愛の人」

長男の於菟について、類たち兄弟はあまり書いていないようですね。
彼が年上過ぎな上に、志げが嫌っていたので、類達兄弟とはあまり接点がなかったからでしょうね。

茉莉は16歳で結婚したのですが、結婚してからも家事も何もせず、子供にもかまわず、外出すると夜遅くまで帰ってこなかったりと、勝手気ままに暮らしていたようです。
「いつも茫洋と、己の世界で漂っている」人です。
あっぱれとしかいいようがないですわ。
夫の山田珠樹はよく我慢したと思いますよ。
離婚は珠樹の芸者遊びを理由に、茉莉から言い渡したとか。
二回目の結婚は東北大学の教授とだったようですが、一年もしないうちに「実家に帰って芝居でもみておいで」と言われ、追い出されたようです。
後に山田は茉莉たちのことをあしざまに言っていたというのですが、状況を考えると仕方なかったのかもしれませんね。

もう一人の姉・杏奴は茉莉が「こどもがそのまま大きくなったような人」だったため、しっかりせざるおえなかったのではないでしょうか。
いじめられていた類をかばい、彼のために学校を変わります。
父親が亡くなった後には母の言いつけ通りに類と一緒に絵を学び、彼と一緒にパリへ遊学し、帰国後に母を看取り、画家の小堀四郎と結婚します。
よき伴侶と子供を得て、やっと幸せを手にしたのではないでしょうか。
結婚後、類には金銭的援助はしなかったようですが、それもむべなるかな。
ちなみに、「人生をしまう時間」に出てくる医師・小堀鴎一郎は彼女の息子です。

類は勉強は駄目(中学中退)、絵も物にならず、唯一随筆は、読んだことがありませんが、どうにかなりそうだったけど、不発に終わった?
杏奴の庇護を受けて暮らしています。
1941年に画家・安宅安五郎の娘の美穂と結婚してからは、美穂が何から何まですべてやっています。
戦後、財産が失われ、困窮します。
美穂は命を削るように頑張りますが、夫の類は何も考えず、当たり前のようにお金を使い続けます。
「芸術の何も追究できず、一文も稼げない冷や飯食い」と杏奴に言われていますが、その通りです。
彼は所詮お坊ちゃま。
茉莉と同じように浮世離れした世界に暮らしているのです。
美恵が亡くなった後、再婚しますが、彼は美恵のことをどう思っていたのでしょうか。
寄っかかる人がいなくなったから淋しいけど、次の人がいれば、その人に寄っかかればいいかな、という感じでしょうか(笑)。
娘達もこんな親父、面倒みるの嫌だから、後妻さんに押しつけたのかな(笑)。
鴎外の息子に生まれ、ふがいない自分に嫌になることはあったでしょうが、それも彼にとっては大したことではなかったのではないでしょうか。
だからこそ、杏奴や茉莉と大喧嘩をして、仲違いのきっかけになった『森家の子供たち』を書けたのでしょうね。
最後の高等遊民かしら。

彼の書いた『鴎外の子供たち』を読もうと思ったら、品切れ。
図書館で借りるしかないかな。
そのうち他の森家の子供たちが書いた本も読んでみたいと思いました。