長崎旅三日目・中通島 ― 2024/12/26
最終日です。家に帰れるかどうかはジェットフォイルが出航するかどうかにかかっています。
朝の6時半の段階では出航予定です。
朝食を食べてから、福江城跡に行ってみることにしました。
ちなみにこの日の日の出は東京は6時49分ですが、長崎は7時20分で、日の入りが東京は16時34分、長崎は17時21分です。
大分違いますね。

ホテルから出た時の福江港はこんな感じでした。
歩いていても出会った人はひとりでした。

福江城(石田城)は残っていませんが、石垣が残っています。

横町口蹴出門と石垣。
石橋を渡って中に入ると、左手に国の名勝に指定されている五島氏庭園があるようですが、早朝なので、入れませんでした。

歩いて行くと、本丸跡は長崎県立五島高校になっています。

朝早いというのに、生徒たちが登校しています。真面目な生徒たちですね。

左側が保育園で、右側が石垣です。

横町口蹴出門の前の石橋。

暗くてよく見えなかった外堀。

だんだんと日が出て来ました。
道を歩いていると、平和な町のはずなのに、数分の間にパトロールカー二台と会いました。何かあったんでしょうか?

フェリーが出ていくようです。

かもめが沢山飛んでいました。

福江島は良いところです。
米は採れるし、近大マグロなどの刺身や五島美豚や五島牛などの肉がうまいし、景色も綺麗だし、住んでもいいかもと、歩きながら思いました。
そうそう、武家屋敷もあったらしいのですが、調べていなかったので行けませんでした。ダメですねぇ。これからはちゃんと調べましょうね。
心配していたジェットフォイルが定時に出航しました。
座席指定があり、外には出られません。
30分ぐらいで中通島の奈良尾港に到着しました。
ちょっと揺れましたが、あっという間の到着でした。
船から降りる時にハプニングがありました。
私のスーツケースが見当たらないのです。何回探してもありません。
船員さんに聞く前に、もう一度スーツケースを置いたところを見に行ったら、ありました。
誰か間違えて持っていって、まずいと思って置いて行ったのかしら?
変ですね。私のスーツケースはあまりない柄で、上に焼酎の入ったマリメッコの買い物袋がのっていたので、間違えようがないと思うのですが…。
意外と人のスーツケースを持って行く人がいるようなので、気を付けてくださいね。
中通島は人口約一万六千人で周囲約278㎞の入り組んだ海岸線の島です。
南風が強く、95%が山で、川はありません。川の様に見えても海なんです。
昔キリシタン三千人が自分たちの命と信仰を守るために、開拓民として福江島に渡ったそうです。
ちなみに上五島にある29の教会は今も使われているそうです。
福江島とは違い米は育たず、小麦を育ててうどんを作ったそうです。
五島うどんは中通島から始まったのですね。
うどんはお歳暮にすることが多いらしく、12月はうどんの製造所が一番忙しい時期だそうです。
水は豊富ですが、雑木林ばかりなので、家を作る時は木材を運んで来なければならないそうです。輸送費が相当かかりそうですね。
塩水に強い椿が古くから自生していたそうです。
漁業の島で、ハマチやマグロなどの養殖をして、中国などに出荷しているそうです。ここのマグロは近大マグロではないそうです。
この島にある上五島国家石油備蓄基地は「浮遊式海洋構造物(洋上タンク方式)」による世界で最初の洋上石油備蓄システムをとっているそうです。
貯蔵船1隻あたりの貯油能力は世界最大の88万㎘で、五隻あるので、合計440万㎘になります。
この会社では約200名ほどの人たちが働いているそうです。
通勤はもちろん船です。
見学できるようなので、次回見学してみたいですね。
今は人口増加を考えるのではなく、人口減少対策を考えているそうです。
大学には離島推薦制度などがあるそうです。

国指定重要文化財に登録された赤レンガの青砂ヶ浦教会。
1878年頃には初代教会があり、1899年から青砂ヶ浦が上五島の中心の教会となったそうです。
1910年建立の三代目の現教会は、鉄川与助が設計施工したもので、信徒が総出でレンガを運び上げたといいます。
残念ながら中は見られませんでした。

教会の門の前に建っている大天使ミカエル像。
ミカエルが悪魔を踏んづけています。

屋根は瓦です。

可愛らしいマリア様です。

この後、有川で昼食です。

途中に鉄川与助が設計施工した、元海寺のレンガ造りの山門が見えました。
鉄川与助は明治12年生まれ、長崎県南松浦郡新上五島町丸尾郷出身で、大工の棟梁の家に生まれ、布教でやってきた宣教師のもとで西洋建築を学び、長崎県を中心に多くの教会堂建築を手がけています。彼自身は生涯仏教徒でした。
木造やレンガ造、石造、鉄筋コンクリート造などの教会堂34箇所、寺院3箇所の設計施工に携わっています。

昼食は五島地獄炊きうどんと海鮮丼。
うどんをすくうための歯が五本ぐらいしかない「うどんすくい棒」というものがあるんですね。便利です。五島うどんは椿油を使っているので、時間が経ってものびにくいそうです。
うどんはあごだしにネギ、ショウガなどの薬味を入れて食べます。
海鮮丼はもう少し刺身が多かったらいいのにww。
昼食場所の近くにスーパーのエレナ有川店があるので、五つ星があるかどうか見に行きました。
そうすると、いつもは売り切れているというのに、ありました。奇跡です。
それにGOTOGINよりも安くていいですわ。
旅の最後はユネスコ世界遺産の頭ヶ島の集落に行きました。
「病人の療養地として使われた島に開拓移住することによって共同体を維持した集落」だそうです。
もともと頭ヶ島は無人で、1858年から開拓が始まり、1864年にキリシタンが移住したそうです。
先に移住した仏教徒の人たちはキリシタンかどうかは不問にしたようです。

頭ヶ島天主堂。
逆光でどういう風に撮れているのかわかりませんでしたが、見てみるととても幻想的に撮れていました。
この天主堂も鉄川与助の設計施工により、1910年に着工し、1919年に完成しました。石は地元の砂岩で、石積みなどに地元の信者が関わっていたそうです。
天井は二重の持送りハンマー・ビーム架構で、折りあげられているらしいのですが、建築に疎い私にはよくわかりませんわww。

内部を見学できました。(撮影禁止です。まっぷるの一番始めに載っているのがこの教会の内部の写真です)水色が可愛らしいです。
白いツバキの花も装飾として使われています。
ツバキは4つの花びらで表されていますが、実は花びらは1つしかないんですって。知りませんでした。4つで十字を表しています。
他にもハマギクやハマユウ、ユリなどの花が使われています。

教会の右横にマリアさまがいました。

教会から少し歩くと海になります。

海がとても青いです。

入り江になっているので、それほど風は強くありません。

海の側にキリシタン墓地があります。

結構大きな墓地です。
見学を終えて有川港まで戻りました。
心配だった高速船は出航します。長崎港まで約一時間四十分。
フェリーの三時間に比べると短いですが、始めの三十分ぐらいは結構揺れました。
ジェットフォイル同様に座席が指定されていて、外には出られません。
通路側に座り、頭を動かさないように、本も読まないようにして、できるだけ寝るようにしました。
帰りはすべて時間通りに進みました。
空港で長崎だからと夕食に皿うどんを食べました。
家に着いたのは夜の10時過ぎでした。
約一万二千歩、歩きました。
滞在中に気になった言葉が、「隠れキリシタン」と「潜伏キリシタン」、「一次離島」と「二次離島」です。
「江戸幕府の禁教下でキリスト教信仰を子孫に継承した人々のことを「潜伏キリシタン」、明治になり、一応、解禁状態になってもカトリックに戻らず、自分たちが受け継いできた潜伏信仰をそのまま続けた人たちのことを「隠れキリシタン」と、明確に区別しています」
「一次離島」は本土から直接行くことができる離島で、「二次離島」は直接行けない、近隣の一次離島から渡るしかない離島のことだそうです。
五島列島に二次離島が多いそうです。(「二次離島ってなんだろう?」参考)
家に無事に辿り着き、ワンコたちと感動の再会…なんかありませんでした、笑。
グースカ寝ていて、どちらの犬も起きません。
名前を呼ぶと、目を開けはしましたが、眠たいのか無視されましたwww。
ママがいなくても平気なのね。ママは悲しいです、なんて嘘です。
ママがいてもいなくても同じなら、いつでも旅に行けると思ったママでした。

堂崎天主堂のパンフレットに島の教会と巡礼地の地図があったので、載せておきます。
今回行った教会に印を付けてみました。
全ての教会に行ってみたいです。
冬は海が荒れるので、他の季節がいいようです。

買って来たのは、焼酎二本、あおさ、塩、ふしめんと五島うどん、椿油、ばらもん凧です。焼酎の前にあるのがルルドの聖水で、その前にあるのが堂崎マドレーヌです。貝殻二個もあります。
五島列島はいいところでした。また行きたいと思います。
次回はドライバーを連れて、島を巡りたいです。
*五島列島について間違っているところがあったら教えて頂けると嬉しいです。
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