一色さゆり 『モネの宝箱 あの日の睡蓮を探して』 ― 2025/01/22
『ユリイカの宝箱 アートの島と秘密の鍵』に続く第二作。
どうも展覧会「モネ 睡蓮のとき」に合わせて出版されたっぽいですね。
アートの旅に特化した旅行会社・梅村トラベルの新入社員、桜野優彩は、先輩の志比桐子と梅村社長とともに世田谷区の閑静な高級住宅地にある一軒家に赴く。
その家の主の柳橋は社長の古くからの知り合いらしい。
柳橋から頼まれたのは、旅行のアテンドで、旅行に行くのは柳橋ではなく彼が指名した代理人だ。
旅の目的は、柳橋がある人と一緒に見たい≪睡蓮≫を探すこと。
代理人が訪れるのは次の四つの美術館。
①東京の国立西洋美術館
代理人は交通事故に遭った柳橋のリハビリをしたという理学療法士の息子の森下一翔。
②箱根のポーラ美術館
代理人は柳橋家から作庭を依頼されたことのある庭師の春日井晴美。
③倉敷の大原美術館
代理人は柳橋の大学の頃親しかった友人で、花屋の花田大輝。
④京都のアサヒグループ大山崎山荘美術館
代理人は柳橋の妻、咲子。
柳橋がこのようなことを考えたのには理由があります。
代理人たちも柳橋も人生に迷い、悩み、後悔し、前に進もうとしているのです。
そのきっかけになるのが、今回はモネの≪睡蓮≫。
この四つの美術館のどこに柳橋の≪睡蓮≫があるのでしょうか。
勘のいい人ならわかってしまいそうですね。
私は国立西洋美術館とポーラ美術館に行っています。
大原には行ったことがあります。でも記憶が定かでは無いのですが、大原美術館には忙しくて入る暇がなかったような気がします。
京都なので、今はインバウンドの人たちが多く観光がしずらいようなので、もう少し人が少なくなったら行こうと思いますが、そんなこと言っていたらいつになるのかわかりませんねww。
モネの≪睡蓮≫以外の絵も出て来ます。
優彩が好きと言ったマリー・ガブリエル・カペの≪自画像≫を載せておきます。
優彩も桐子も互いに似ていると思っています。
優彩は自信に満ち溢れているところが桐子に、桐子は天真爛漫さが優彩に近いと思っています。
互いに思いやれるところがいいですね。
ちなみに桐子さんが好きなのは、ルーベンスの≪眠る二人の子供≫だそうです。
子供のいる人ならなお一層惹かれそうな絵ですね。
どちらも国立西洋美術館にあります。
「モネ 睡蓮のとき」は2月11日までだそうです。
私は行きたいのですが、混んでいてじっくり見られそうもないので、パスします。
3月からは京都市京セラ美術館でやるそうなので、大山崎山荘美術館といっしょに見てもいいかも。考えときますわ。
展覧会に行く予定の方、もしくはこれから行こうと思っている方は、この本を読んでから行かれると、より深くモネの≪睡蓮≫がわかるのではないかと思います(たぶんww)。
「印象派モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」@東京富士美術館 ― 2024/09/16
東京都美術館で開催しているのを見逃した展覧会が八王子の東京富士美術館でやっているのを見つけ、三連休にこれといって行くところがなかったので、行ってみました。
ウスター美術館は1898年にアメリカのマサチューセッツ州ウースターに開館しました。ウースターはボストンから車で約一時間、電車で約2時間ほどです。
所蔵品はローマのモザイク画やヨーロッパやアメリカの絵画、日本の版画、アメリカで二番目に多い武器や防具のコレクションなど約4万点ほどあるそうです。
<Chapter 1 伝統への挑戦>
19世紀になって、画家たちは農民の生活や田園風景を主題に選ぶようになる。
ジャン・パティスト=カミーユ・コロー
≪ヴィル=ダヴレーの牧歌的な場所ーー池畔の釣り人≫ 1865-70年
ウィンスロー・ホーマー ≪冬の海岸≫ 1892年
ほかにコンスタン・トロワイヨンやギュスター・クールベ、トマス・コールなどの絵があります。
<Chapter 2 パリと印象派の画家たち>
1874年パリで、のちに「印象派」と呼ばれる画家たちの初めての展覧会が開催される。
クロード・モネ ≪税関使の小屋・荒れた海≫ 1882年
ベルト・モリゾ ≪テラスにて≫ 1874年
ピエール=オーギュスト・ルノワール ≪アラブの女≫ 1882年
メアリー・カサット
≪裸の赤ん坊を抱くレーヌ・ルフェーヴル(母と子)≫ 1902-03年
ピエール=オーギュスト・ルノワール
≪闘牛士姿のアンブロワーズ・ヴォラール≫ 1917年
クロード・モネ ≪睡蓮≫ 1908年
このほかにルイ=ウジェーヌ・ブーダンやアルフレッド・シスレー、カミーユ・ピサロ、チャイルド・ハッサムの絵画が展示してあります。
モネの「睡蓮」はウスター美術館が世界で初めて購入した「睡蓮」の連作二点のうちの一点です。購入の際にやり取りされた手紙などが展示されていました。
<Chapter 3 国際的な広がり>
パリに留学した画家たちは新しい絵画の表現技法を母国へ持ち帰り、各地で独自に展開していく。
アンデシュ・レオナード・ソーン ≪オパール≫ 1891年
ソーンはスウェーデン出身の画家です。
ジョン・シンガー・サージェント ≪コルフ島のオレンジの木≫ 1909年頃
サージェントはフランスで美術教育を受けたアメリカの画家です。
黒田清輝 ≪落葉≫ 1891年
他に久米桂一郎や藤島武二、斎藤豊作、大田喜二郎、児島虎次郎、中沢弘光、山下新太郎の絵があります。
<Chapter 4 アメリカの印象派>
1880年代半場、アメリカの画商や収集家の間でヨーロッパの印象派が人気になってきた。そのため多くのアメリカ人画家がヨーロッパに留学し、印象派の様式を現地で学んだ。
ジョゼフ・H・グリーンウッド ≪リンゴ園≫ 1903年
ジョゼフ・H・グリーンウッド ≪雪どけ≫ 1918年
チャイルド・ハッサム ≪朝食室、冬の朝、ニューヨーク≫ 1911年
ウィリアム・メリット・チェイス、フランク・ウェストン・ベンソン、ジョン・ヘンリー・トワックマンなどのアメリカ人の画家の作品があります。
<Chapter 5 まだ見ぬ景色を求めて>
「フランスのポスト印象派は光への関心を継承しつつも自然主義を脱却」、ドイツでは「自らの内面の表出を重視する表現主義の芽生え」が見られ、アメリカでは、「トーナリズム(色調主義)の風景画が人気を博した」
ポール・セザンヌ ≪「カード遊びをする人々」のための習作≫ 1890-92年
ジョン・ヘンリー・トワックマン ≪急流、イエローストーン≫ 1890-99年頃
ポール・シニャック、ジョルジュ・ブラック、ロヴィス・コリントなどの作品があります。
普段見られない作品が展示されていた展覧会でした。
チケットは美術館で買うよりもネットで買った方が安いです。
この展覧会を見逃した方、9月29日までやっていますので、ちょっと遠いかもしれませんが、八王子まで足を伸ばして下さい。
もっと空いているかと思って行ったのに、結構混んでいたので、平日がお勧めです。
他に「大使館の美術展Ⅱ 文化交流随想 インドネシア大使館」、「アメリカン・フォトグラフス~近代写真の系譜」、「西洋絵画 ルネサンスから20世紀まで」、「ジュエリー・コレクション」(皇后ジョセフィーヌのティアラ)、≪タヴォラ・ドーリア≫特別展示がありました。
ナポレオンの肖像画。
エディエンヌ=モーリス・ファルコネ ≪アモール≫ (18世紀)
他に現代の画家ではピエール=オーギュスト・ルノワール、クロード・モネ、イリヤ・レーピンなどの作品も展示されていました。
詳しくは美術館の展示中の収蔵品をご覧ください。
暑くてあまり歩かないせいか、また右膝の調子が悪くなり、一時間以上経つと傷みが出るようになりました。
そんなわけで、常設展示の方はいい加減に見てしまい、後でブリューゲルの作品を見ておくんだったと思いました。
カフェがなくなり、和室になっていて、インドネシアのものが置いてありました。
お昼になったので、レストランに行くと満席で、紙に名前を書いてからしばらく待たなければなりませんでした。
夫は鳥グリルレモンカレーとアイスコーヒーフロート、わたしはプレートランチが売り切れだったので、カルツォーネプレートとアイスコーヒーを頼みました。
アイスコーヒーはたっぷりの量で、わたしは飲みきれず。
夫のコーヒーフロートにのっていたアイスクリームがびっくりするぐらい多くて、わたしももらいました。
フィンランド旅行④ーオーディとイッタラ&アラビア ― 2024/08/02
【第六日目】
昨夜からバスルームのシンクの水が流れなくなりました。
友人は次の日にイギリスに帰るので、頼んでフロントに電話をしてもらいました。
すると、係の者は帰ってしまったので、明日の10時に部屋にうかがわせると言われました。
次の日、本当に来てくれるのかわからなかったので、10時過ぎに友人がフロントまで直接行きました。
そうするとしばらくして係の人が来てくれました。
水が流れる音がしたので、これで大丈夫。そう思って私たちは出かけました。
この日は14時頃に友人が空港に行くというので、アモスレックスの近くにあるムーミンショップに行った後にオーディ(Oodi)に行くことにしました。
アモスレックスの天窓
オーディはフィンランド独立100周年記念事業として2018年にオープンした公共図書館です。
「オーディは、フィンランドの新しい時代の幕開けを象徴するとともに、ヘルシンキ市や国の図書館全体を代表するシンボルであり、またその名のとおり、「フィンランド文化」「読書」「言語・表現の自由」「平等」「民主主義」へのOodi(頌歌・賛歌)を体現しているということである。また、2019年8月には、国際図書館連盟(IFLA)からPublic Library of the Year 2019を受賞し、世界中から注目を集めている」
ホテルの窓から見えていたのは、オーディの裏側でした。
なんとも不思議な建物です。
全面に木が使われています。
1階にはレストランや誰でも使えるチェス盤が置いてあり、映画館もあります。
2階は窓が少なく、3Dプリンターやミシン、拡大印刷機、音楽スタジオ、キッチン、ゲームルーム、個室、ミーティングルームなど様々な学習活動や作業ができるスペースがあります。
三階が十万冊(思ったよりも少ないです)の蔵書があるという図書館です。
椅子が多く、どこにでも座って本が読めます。
テラスがあり、市民よりも観光客が多いんじゃないかと思うぐらいで、そこにいる人たちは日光を浴びてくつろいでいます。
カフェもあります。
本を運ぶロボットを見かけました。この後ロボットは左側の駕籠の下に入っていきました。
こんな感じで本を運んでいます。(斜めってしまったw)
この先にみんなが行きたがる、端っこがあります。
高所恐怖症気味のわたしはちょっとブルブル、笑。
ここのガラスは透明ではありません。
こんな感じです。
らせん階段がありました。美しいです。
素晴らしい施設の何時間でもいられる図書館です。
少し早いですがオーディのレストランでランチを食べました。
ビュッフェランチが11時からで、13.50ユーロ。
ショウガの入ったスープと大きいミートボールとサラダです。
外の席で食べていると、雀たちが寄ってきました。
パン屑でも探しているのでしょうか。
しばらくするとカモメが飛んで来ました。
高いところから餌がないか見張っています。
警官たちもやって来ました。
オーディの前の広場で何かイベントがあるようです。
一旦ホテルに帰って、友人は荷物整理をします。
わたしも一緒に帰り、少し休み、空港へ行く友人と別れてから一人でイッタラ&アラビア・デザインセンターに行きました。
RautatieasemaからArabia行きの6番のトラムに乗って、Arabiankatuで降ります。ここのミュージアムは平日11時からです。
2、3分歩くと見えて来ました。
ここが入り口です。
この通路を歩いて行くと、左側にイッタラ&アラビアのショップ、右側にカフェと他のメーカーのショップがあります。
ミュージアム(無料)にはエレベーターで8階まで上ります。
受付の女性がイッタラ&アラビアのショップの15%割引券をくれました。写真は自由に撮っていいそうです。
写真の展覧会をしていました。
ずらっと年代順に並んだイッタラのカップとコップたち。
反対側にアラビアの製品が並んでいます。
今売っているものとは絵柄が違いますね。
ムーミンもいました。
イッタラとアラビアの製品の変遷がよくわかる展示でした。
ショップにはヴィンテージ品があると聞いていたのですが、あまりなかったです。
ムーミン製品はここで買うよりも日本のアマゾンの方が安いみたいで、ムーミンフィギュアは2600円ぐらいで買えます。円安の影響でしょうか。
別のお店で木のムーミン一家を見つけました。残念なことに、ムーミンだけがいません。ムーミンが一番人気なんですね。
カフェでアイスラテを飲んでまったりしてから中央駅まで戻り、スーパーに寄ってホテルに戻りました。
ここで悲劇が起ります、笑。
シンクの水が流れていなかったのです。
五時を過ぎていたので、修理の人は帰ってしまっていますが、フロントに言いに行きました。
するとフロントの女性が来てくれて、排水溝クリーナーみたいな道具を使って直そうとしてくれましたが、全くつまりが取れません。
後二日泊まるので、部屋を変えてくれと交渉すると、変えてくれました。
今度の部屋は同じ階ですが、見晴らしが悪く、シャワーだけの部屋です。
しかし、部屋の掃除は行き届いていて、バスルームの歯磨き用コップには埃よけが被せてあります。前の部屋と掃除する人が違うのでしょうかね。
排水は前よりも段違いにいいです。もっと早く言えば良かった…。
ホテルは中央駅からすぐなので立地はよく、フロントの方々もいいのですが、設備が古く、掃除がいい加減なのが残念でした。とはいっても、わたしたちは全く気にしていなくて、次も泊まるかもしれません。
そうそう、シーツが四日間変わらなかったのは、頼まなかったからかしら?
日本とは違うことがあるので、何でもわからなかったら訊いてみた方がいいですね。
今回の反省点としますww。
フィンランド旅行③ーラーセポリ博物館とムーミン美術館 ― 2024/08/01
【第四日目】
二日間、ヘルシンキ市内を回ったので、この日はヘルシンキ郊外へ行くことにしました。
友人が大好きなヘレン・シャルフベックの絵がある、小さな博物館まで行きました。
博物館はラーセポリ博物館(Raaseporin Museo / Raseborgs museum)といい、タンミサーリ(Tammisaari / Ekenäs)という町にあります。
*(フィンランド語/スウェーデン語)
友人が交通機関を調べてくれたので、わたしはただ着いて行くばかりで、楽ちんでした。
VRアプリで電車の切符もバスの切符も買えました。
あまり電車やバスがないので、気をつけないと接続が悪く、帰りが遅くなります。
ちょうどヘルシンキからの電車が全線改良工事をしていたため、ヘルシンキからカリス(Karyaa/karis)までバス(片道10ユーロ)、カリスからローカル線(片道 3.40ユーロ)に乗り、タンミサーリ(Tammisaari / Ekenäs)まで行きました。
バスも電車も好きな座席に座れました。
田舎の風景が見られて、楽しかったです。
タンミサーリ駅から博物館(入館料12ユーロ)まではGoogleさんに頼りましたが、わたしの携帯では案内人が道から外れていて、不思議でした。
詳しい経路を知りたい方はこちらをご覧下さい。
ヘレン・シャルフベック(1862年ー1946年)の絵はシャルフベック館にあります。
絵の他に彼女が使用していた杖とかイーゼルとかもありました。
英語の説明書きがなかったのが残念です。
軽く彼女の生涯を紹介しときますね。
1862年にヘルシンキに生まれる。
3歳の時に階段から落ち、足が不自由になり、一生杖をつく生活をした。
小学校に通えず、家庭教師に教わる。
11歳の時に絵の才能が認められ、フィンランド芸術協会の素描学校で学ぶ。
1880年、≪雪の中の負傷兵≫がフィンランド芸術協会に買い上げられ、奨学金を得ると18歳でパリに行き、画塾アカデミー・コラロッシで学ぶ。
≪雪の中の負傷兵≫ 1880年 アテネウム美術館蔵
1889年、≪快復期≫で国際的な名声を得る。
≪快復期≫ 1888年 アテネウム美術館蔵
1890年にフィンランドに帰国。ヘルシンキの素描学校で教鞭を執る。
1902年に療養をかねてヒュヴィンカーへ引越し、母と暮らすが、その後15年間、家に引き籠もって制作に集中する。
1914年、フィンランドを代表する9人の美術家のひとりとして、フィンランド芸術協会から自画像を依頼される。
≪黒い背景の自画像≫ 1915年 アテネウム美術館蔵
1918年、内戦が勃発。タンミサーリに二週間滞在する。
1920年、フィンランド大統領から高位勲章の白薔薇勲章を授与される。
1923年、母が死去。
1925年、タンミサーリに引越す。
1939年、第二次世界大戦が始まり、フィンランドは冬戦争に突入し、シャルフベックはタンミサーリから北のテンホラにあるポルカの農場に疎開する。
1939年、第二次世界大戦が始まり、フィンランドは冬戦争に突入し、シャルフベックはタンミサーリから北のテンホラにあるポルカの農場に疎開する。
1944年、スウェーデンのサルトショーバーデンの療養ホテルに定住する。
晩年には自画像連作を描いて、1946年1月23日83歳で死去する。
大きな失恋をパリ時代とヒュヴィンカー時代に二回ほどしたようです。
写真が写せないので、どういう絵があったのか紹介できませんが、わたしが一番印象に残ったのが、彼女の自画像です。彼女は40点以上の自画像を描いたそうです。その中に彼女は自分の悲痛な思いを込めているのかもしれません。
入り口の壁に若い頃から順番に自画像の写真が並べてありましたが、晩年のものは…ハリーポッターに出てくるヴォルデモート卿かと思えるほどです(失礼)。
ショップとカフェがあったので、カプチーノを頼み、しばし庭でくつろぎました。
両側に犬連れの方々がいて、右側のわんこはご主人様がやって来ると、嬉しくて飛び上がっていました。か・わ・い・い。
ランチがまだだったので、駅までの帰り道の途中にあるカフェに入ってみました。
海老ののったオープンサンド(紅茶とともに7.50ユーロ)を食べました。
カフェの横から海が見えたので、行ってみることにしました。
石の教会が見えました。
通り過ぎていくと、パターゴルフをしている人たちがいます。
水辺に行くと、犬を連れて水の中に入っていく女性がいました。
わんこは水が好きなんですね。
もう一匹やって来ました。
お姉さん、スカートが短くて、お尻が見えていますよ。水着かな?
わんこがブルブルすると大変です。
浜辺になっていて、海水浴をしている人もいるようです。
空が晴れ渡っています。
ガレージセールかな?色々と古いいらなくなった物を売っていました。
海辺にはヨットが沢山停めてあります。
乗ってみたいですねぇ。
ヘレン・シャルフベックの絵も浜辺もよくて、ずっとここにいたかったです。
帰りは電車からバスに乗り込み、無事にヘルシンキまで戻って来られました。
【第五日目】
この日はタンペレ(Tampere)のムーミン美術館(Muumimuseo)に行きました。
前日にVRアプリで特急列車の切符を買っておきました。今回は座席指定しなければなりません。行きと帰りの運賃が違います。
1時間半で着く電車もあったのですが、少し運賃が高かったので、2時間ぐらいかかる電車にしました。行き、22.90ユーロ、帰り、23.90ユーロ。
ひょとすると、もっと前に予約するともっと安かったかもしれません。
わたしたちの前の座席にテーブルがありました。
長距離の電車には二階席や食堂車があり、犬禁止の車両もあります。
電車に乗っていて気づいたのですが、フィンランドの白樺って北海道のに比べると細いですね。寒いと白樺も大きくなれないのかしら?
ヘルシンキでは晴天で汗をかくぐらいの天気が続いたのですが、なんとタンペレではザンザン降りの大雨に遭いました。
ゴアテックスのスニーカーとポリエステルの服とパンツをはいていたので、わたしはそれほど被害はなかったのですが、友人はスニーカーがグッショリ濡れて、大変でした。
駅からムーミン美術館の道のりが遠く感じました。
この大きなタンペレホールの中にムーミン美術館はあります。
右側がホールの入り口です。
ムーミン美術館の入り口。
大雨にもかかわらず、ムーミン美術館(14.50ユーロ)には沢山人がいました。
人気なんですね。
美術館にはムーミンの挿絵の原画やスケッチ、5階建てのムーミン屋敷、本のワンシーンのミニチュアなどが展示されていて、日本語でもムーミン作品の朗読が鑑賞できます。
狭い部屋に人が多くて、わたしは疲れが出たのか、あまり見る気になれず、ほどほどに見て、お腹が空いていたので、カフェで食事をしながら友だちを待ちました。
そうそう、ムーミンの銅像は見に行きましたよ。といってもホール正面の左側にポツンとにありましたけどね。
かわいいムーミンです。
少し大きくしてみましょうか。
握手ができますね。
ショップは小さく、それほどムーミングッズが置いてなくて、残念でした。
帰る時には晴れていて、行きのわたしたちが歩いている時だけ雨が降ったようです。
帰りの道はあっけなく、こんなに駅から近かったのかと思うほどでした。
この後、パイプオルガンのコンサートに行くので、タンペレの町は見ずにヘルシンキに戻りました。
フィンランドの電車を載せておきます。
猫の絵が描いてあった電車です。猫はこの地方のマスコットなのかしら?
7時からヨハンネス教会(Johanneksenkirkko)でパイプオルガンのコンサートがありました。
この教会に行くにはソコスデパートの横にあるLasipalatsiから10番のトラムに乗ります。
トラムのJohanneksenkirkko駅からすぐの所にある、ルーテル派教会で、フィンランド最大規模の石造教会だそうです。
スウェーデンの建築家が多くの装飾や窓材料をスウェーデンから輸入して建てたそうです。
入り口の上、座席の後ろ側にパイプオルガンがあります。
コンサートは10ユーロで一時間でした。今回はパイプオルガンとバリトンの共演です。
<Program>
RICHARD WAGNER オペラ「さまよえるオランダ人」序曲
リヒャルト・ワーグナー 「ヴェーゼンドンク歌曲集」より
「天使」、「悩み」、「夢」
「タンホイザー」
ヴォルフラム:
Blick ich umher
Pilgerchor
Wie Todesahnung... O du mein
holder Abendstern
OSKAR MERIKANTO Rukous (祈り)
オスカル・メリカント Suvi-illan vieno tuuli (san. Eino leino)
(夏の夜の風)
Häähymni (婚礼讃美歌)
Juhana Kotilainen , baritone
Arttu Selonen, organ
プログラムに英語がない上に、「タンホイザー」のことをよく知らないので、ヴォルフラムの歌う歌をドイツ後のまま書いています。(どなたか教えて下さい)
Oskar Merikanto(オスカル・メリカント)はフィンランドの作曲家だそうで、フィンランド語の訳を載せました。
オルガニスト(前)もバリトン(後)の方も若いですね。バリトンの人の声がよかったです。
多彩なパイプオルガンの曲を聴きましたが、たまには正統派のバッハなども聴きたくなりました。
帰りにダンスをしている人たちを見かけました。
遠くから撮ったので、よくわからないかもしれませんが、昔のフォークダンス風の踊りでした。
楽しそうでいいですね。
この日は帰ってからハプニングがありました。
フィンランド旅行①ーヘルシンキ市内とパイプオルガン ― 2024/07/30
【第一日目】
フィンランドへの飛行機は夜の11時ぐらいに出発し、ヘルシンキに早朝5時頃着く便があります。
朝着いてすぐに活動するほどの元気がないので、日本を午前10時過ぎに出発するフィンエアに予約をしました。
ところが8時25分発のJAL便に変更になってしまいました。
朝が苦手なのに、家を五時過ぎに出なければなりません。
休日にもかかわらず、結構電車に人が乗っていて、驚きました。
仕事に行くのか、朝帰りなのか…?
空港は夏休みになったばかりなので、少し混んでいました。
アプリでオンラインチェックインをしていたので、自動手荷物預け機で荷物を預けます。
この時、バーコードをかざす場所がわからなかったり、バーコードをかざしてもなかなか読み取ってくれなかったりして焦りました。
FACE EXPRESSを使うために、顔情報を登録しようとしましたが、またバーコードをかざす所がわからず、やっと見つけてかざしてみても読み取ってもらえません。
他の人がどうやっているのかよく観察してからやってみると、見事成功ww。
バーコードはわたしには鬼門です。
バーコードやパスポートは下に向けましょうねww。
バーコードで苦労した以外は何事もなく、無事に搭乗でき、隣の席が空いていてラッキーでした。
窓からフィンエアのマリメッコ機体が見えました。
これに乗りたかったわ…。
機内では寝ないで映画を観まくりました。
観たのは「異人たち」、「アーサー・ザ・キング」、「バービー」、「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」の4本です。
「異人たち」は見る時に注意が必要です。男同士の…があるんですもの。
機内食の味はまあまあで、量は男の人には少ないかも。
メインの食事ではチキンか豚肉かを選び、デザートはハーゲンダッツのアイス、軽食としてツナサンドをもらい、最後の食事は無印のバターチキンカレーでした。
カレーが一番美味しかったです。
ヘルシンキに15時40分に着く予定でしたが、15時10分ぐらいに着きました。
早くホテルに行けると思ったら、とんでもなかったです。
入国審査場まで遠くて、その上、入国審査に時間がかかり過ぎでした。
フィンランド国籍のある人はパスポートを機械にかざすだけでOKですが、それ以外の国籍の人は入国審査官に呼ばれるまで待っています。
呼ばれても、なかなか終わらないんですよ。何を質問しているんだか。
わたしの時は一人で旅行するのかとか、何日間いるのか、他の国に行かないのかなどということを訊かれ、すぐに終わりました。
若い審査官でしたが、英語が聞き取りにくくて困りました。
入国審査に時間がかかったので、荷物はすでに出ていました。
空港を歩いていると、犬がいました。
フィンランドって犬がOKの場所が沢山ありそうです。
ヘルシンキ中央駅の近くのホテルに滞在するので、電車で行くことにしましたが、駅までもが遠かった。東京の大江戸線みたい。
切符の買い方はVlogなどを見ていたので、迷わず買えました。
空港からヘルシンキ駅までABCゾーンで4.10ユーロです。
電車に乗ると、思わぬことが起りました。
行き先に「Helsingin rautatieasema」がないんです。
心配になって乗っている女性に英語で聞くと、この電車でいいと言われました。
でも、行き先が…。
ここで閃きました。電車の場合、中央駅は「Helsinki」なんですよ。
アナウンスで「Helsinki Central Station」って言ってました。
「Rautatieasema」はトラムや地下鉄の駅なんです。
後でこのことを話すと、友だちも迷ったそうです。
私たちだけがわからなかったのかしら?
ヘルシンキ中央駅に着いたのが五時過ぎ。
お腹がすくかもしれないと思いキオスクでヨーグルトとクロワッサンサンドを買いました。
カードを使うと、日本語で指示されましたが、キオスクと空港以外では日本語表示はでないようです。
ホテルの部屋はツインでバスタブのついている部屋です。
しかし、バスルームのシンクの排水が悪く、ちょっと心配。
友人はイギリスから来たのですが、夜の11時過ぎにホテルに着きました。
【第二日目】
ちょっと薄曇りの朝。中央駅付近に人はそれほどいません。
まず最初にアテネウム美術館に行きました。
2019年に国立西洋美術館で日本とフィンランドの外交関係樹立百周年記念として開催された「モダン・ウーマン―フィンランド美術を彩った女性芸術家たち」展で印象的だったヘレン・シャルフベックの絵があるということで、最初に行くことにしました。
入館料は22ユーロで、特別展のエーロ・ヤルネフェルト展にも入れます。
財布以外の荷物をロッカーに入れてしまい、後で困りました。
せめて携帯を持っていれば、好きな絵を写真で撮れたのに。
そんなわけで、この美術館の詳しい情報はこちらのブログでご覧下さい。
ヘレン・シャルフベックの絵は数点しかなく、それもあちこちにあるので、ウォーリーをさがせ!状態でしたww。
子どもたちを描いた絵が可愛くて、好きです。
エーロ・ヤルネフェルト展はそれほどの規模ではないだろうなんて思っていたら、とんでもなかったです。展示されている絵画が多すぎです。
彼の後期の風景画が気に入りました。さすが雪国の人。雪の描き方が上手いです。
腰が痛くなってきたので、最後の方の肖像画は飛ばしました。
友だちとの待ち合わせまで後10分というところで、足と腰にきたので見るのを諦めてカフェに入り、カプチーノ(4.90ユーロ)を飲みました。
初めてのフィンランドのカプチーノは美味しかったです。
カフェは美術学校時代には彫刻のギャラリーだったそうです。
美術館の後はエスプラナーディ公園へ。
銅像の頭の上にカモメがとまっています。
カモメは人の頭の上が好きなんでしょうか。
かわいいわんこがいました。オペラ座の怪人風なので、名付けて仮面わんこ。
この公園は小さいですが、芝生があるので、寝そべったり、ピクニックしたりするのがよさそうです。
ヘルシンキといったら、ヘルシンキ大聖堂でしょう。
雲が多いですが、雨は降りませんでした。
ここの階段を上るのは嫌でしたが、仕方なく上りました。
意外と上りやすく、筋肉痛にはなりそうもありません。(なりませんでしたよ)
実はこの階段を上らなくても、教会に行けます。
足が不自由な方は左側の通りから行ってみてください。
そうでない方は階段を上りましょうね。
階段上から見た元老院広場です。
教会の入り口に夜の7時からパイプオルガンのコンサートが開かれるというポスターがあったので、行ってみることにしました。
お腹が空いたので、マーケット広場とオールド・マーケットホールに向かいます。
海辺はいいですね。晴れてきました。
この船がスオメリンナ島へ行くのでしょうか。
マーケット広場にはベリー類や食べ物を売っている屋台のテントがあります。
日差しが強く、暑いので、オールド・マーケットホールに入ってみることにしました。
この中に食料品や食べ物を売っているお店が入っています。
サーモンやトナカイ肉なども売っています。
ちょうど真ん中にあるStoryというお店でサーモンスープランチ(16.90ユーロ)を食べることにしました。
たっぷりとたくさんのデルやサーモン、ジャガイモが入ったスープです。
これだけでお腹がいっぱいになりましたが、ちょっとわたしには塩辛かったです。
夜にパイプオルガンを聞きにいくので、エスプラナーディ公園に戻り、マリメッコなどのお店を覗いてから、デパートのストックマンとソコスの地下にあるスーパーを見学に行ったついでに夕食を買うことにしました。
そうそう、帽子を忘れたので、買いました。(しかし、最終日になくしてしまったのです(>o<)。馬鹿なわたし)
ストックマンではスーパーに行くまでの間にペットショップがあり、わんこたちに音のするおもちゃを買いました。フィンランド製ではなく、中国製でスウェーデンの会社のものです。
スーパーにサーモンのお寿司が売っています。大体12〜13ユーロぐらいでした。
醤油がついていませんが、このまま食べました。
カード決済では、フィンランド語、スウェーデン語、英語のどれでするかと聞かれます。
英語が3番なので3番を押すと、決済できないことが多いです。何故なのでしょうね。
少し休んで、パイプオルガンを聞くために、再度ヘルシンキ大聖堂に行きました。
道を間違えたおかげで、階段を上らずに行くことができましたww。
オルガニストは井上圭子という日本の方です。
<Program>
NICOLAS DE GRIGNY Récit de Tierce en taille
CÉSAR FRANCK Choral No.1 E-dur
THÉODORE DUBOIS Toccata
HARRI VIITANEN Images d'oiseau
LOUIS VIERNE Cathédrales ("Pièces de Fantasie")
Hymne au soleil ("Pièces de Fantasie")
10ユーロで1時間の演奏会でした。
「Images d'oiseau」という曲を作った作曲家のHARRI VIITANENさんが来ていました。
パイプオルガンの音色の多彩さが印象的なコンサートでした。鳥の鳴き声もオルガンで描けるんですよ。
夏のこの時期にはヘルシンキ市内のどこかの教会でパイプオルガンのコンサートがほぼ毎日開かれているようです。
興味のある方は是非行ってみて下さい。
前売り券を買わなくても、その場で入場券が買えます。もちろんカード払いもできます。
「北欧の神秘 ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画」@SOMPO美術館 ― 2024/06/04
前売り券を買っていたのに、なかなか行けなかった美術展にやっと行って来ました。
この美術展ではノルウェー国立美術館、スウェーデン国立美術館、フィンランド国立アテネウム美術館の3つの国立美術館のコレクションから選び抜かれた約70点が展覧されています。
北欧諸国では、「19世紀になると、ナショナリズムの高まりとともに、独自の芸術を探究する潮流が生まれ」、「北欧の画家たちは、故郷に特有の主題を求め、北欧の自然、古くから語り継がれる北欧神話や、芸術とは縁遠い庶民にもなじみ深い民話を題材として多くの作品を制作」したそうです。
「序章 神秘の源泉ーー北欧美術の形成」
アウグスト・マルムストゥルム ≪踊る妖精たち≫ 1866年
妖精と森。如何にも北欧という感じですね。
この絵は「北欧文化における自然と神話の強い結びつきを示唆している」そうです。
「1章 自然の力」
ニルス・クレーゲル ≪春の夜≫ 1896年
スウェーデンの画家、クレーゲルのこの作品が気に入りました。
木のエネルギーが感じられます。
エドヴァルド・ムンク ≪フィヨルドの冬≫ 1915年
ムンクはノルウェーの画家で、彼の作品は2点あります。
彼の風景画を観るのは初めてではないと思いますが、印象が薄いのか、覚えていません(恥)。
ヴァイノ・ブロムステット ≪冬の日≫ 1896年
ブロムステットはフィンランドの画家です。
静謐な海が広がっていますね。
アイリフ・ベッテシェン ≪夜景画≫ 1887年
湖というと北欧という感じですよね。
「2章 魔力の宿る森ーー北欧美術における英雄と妖精」
ガーラル・ムンテの『名誉を得し者オースムン』という物語をもとにした作品群。
ガーラル・ムンテ ≪山の中の神隠し≫ 1928年
テオドール・キッテルセン ≪トロルのシラミ取りをする姫≫ 1900年
トロルに捕まったお姫様を助けに行くと、お姫様がシラミ取りをしていたそうです。お姫様とシラミ取りというのが、合っていませんね。トロルにもシラミが湧くんですかww。
「3章 都市ーー現実世界を描く」
19世紀になると、産業化が進み、都市を題材にし絵を描き始める画家が増えてきたそうです。
アウグスト・ストリンドバリ ≪街≫ 1903年
嵐がやって来るのか、雲と海が荒れているような感じがします。
そんな中に工業地帯の明かりが見えます。
クリスティアン・クローグ ≪生存のための闘争(習作)≫
パンを求めて、取り合う人々。この習作から下の絵が描かれたようです。
クリスティアン・クローグ ≪生存のための闘争≫
描かれた年がわかりませんが、1900年前後かな?この頃は貧富の差が激しかったのでしょうか。
そういえば鳥の声とかBGMが聞こえていて、絵の展覧会にBGMなんてあったっけと思っていたら、この展覧会用のBGMでした。
四階の展示室とゴッホの≪ひまわり≫は写真撮影ができます。
今週までですので、行きたい方は急いで下さい。
空いているかと思っていたら、平日なのに混んでいました。
終わる前に見ようと思う人が多いんでしょうね。
午前中に用事があったので、少し遅いランチとなりました。
そうすると、楽しみにしていたフルーツサンドが売り切れでした。
仕方なくミックスサンドイッチを食べました。スープとサラダ、フルーツがついています。
量が多かったけど、頑張って食べましたww。
松本市美術館 ― 2024/05/21
碌山美術館のある穂高駅から松本駅まで約30分ぐらいで着きます。
駅から歩いて松本市美術館に行くことにしました。
途中に「珈琲美学アベ」がありましたが、人気があるのか人が並んでいます。
約10分ぐらいで美術館に着きました。
松本市は草間彌生さんの故郷です。
その関係から松本美術館に草間さんのコレクションがあります。
美術館の前に巨大なチューリップが。
まあ、よく作ったものです。
何で作ってあるのか気になります。セラミックかしら?
美術館の壁が水玉です。
まあ、自動販売機まで水玉です。
右側には男女二体のマネキンがありますが、それも水玉です。
ベンチまでもが水玉。
「ブラックジャック展」をやっていましたが、特に見たくもないので、コレクションだけ見ることにしました。410円という安さ。
コレクション展では「草間彌生 魂のおきどころ」と「田村一男 作品セレクション」、「作家の息づかい」(上条信山記念展示室)、コレクション展「小川千甕」
を見ることができます。
それほど作品数は多くありませんが、草間さんの様々な作品(絵画、彫刻、インスタレーションなど)が見られます。
わたしはシャンデリアの作品が好きです。いつまでも見ていられます。
唯一写真に撮っていいのが、カボチャ。
カボチャと言っても、様々な形のものがありますね。
草間さんの他に見てよかったのが、上条信山さんの書です。
書と言っても絵画のようなもので、私なんかには絶対に書けないと思いました。
上條は戦後、小学校で書道を必修化する運動をした人なんですね。
美術館の庭です。奥に見える建物にカフェがあります。
なんか楽しそうな女性たちの像がありました。
お昼が早かったので小腹が空き、カフェで食べたアンミツです。
980円です。高くないですかぁwww。
美術館から歩いて中町通りと縄手通りに向かいます。
10分ぐらいで中町通りに着きました。
大火から守るために漆喰で作られた白いなまこ壁の土蔵が道沿いに続きます。
中町蔵シック館。
特に興味を引かれるお店はありませんでした。
中通りからそれて川沿いに行くと、「珈琲まるも」があり、喉が渇いたので入ってみました。
民藝家具のテーブルと椅子があり、レトロな雰囲気です。
アイスコーヒーを飲みました。
旅館も経営しているようで、一泊八千円ぐらいです。
隣の女性三人の声が聞えなければ、もっと長く滞在したいところでした。
川の流れている音はいいですね。この川は女鳥羽川というらしです。
この川沿いに縄手通りがあります。
アラ、カエルが。
カエルがマスコットなのね、笑。
カジカガエルというカエルで、水のきれいな川にしか生息しないそうです。
昔、女鳥羽川に沢山いたそうです。
カジカガエルの復活と街おこしをかけて「カエルの街」なんですって。
しばし縄手通りを歩くと願い事と縁結びの神、四柱神社に辿り着きます。
右側に行くと、蕎麦屋があります。
左側に入り口があります。神社の境内にあるんですね。
ちょっとのぞくと、人がいっぱい入っていました。
神社から出たところに、またカエルがいました。
これは強烈です。
道であったら、気絶しそうww。
神社のそばに川辺に下りられる階段があったので、下りてみました。
川音を聞きながら、いつまでも座っていたかったです。
観光の最後に、川向こうにある松本市時計博物館に行きました。
一階と二階しか見られませんでした。
古今東西の珍しい時計が展示されています。
ホテルで少し休んでから夕食に出かけましたが、どこも早くに閉めるようで、蕎麦屋に行くと営業終わりと書いてあり、他のレストランに行くと、やってなくて、結局コンビニ飯になってしまいました(T.T)。
この日の歩数はおよそ一万四千歩。
よく歩きました。
「マリー・ローランサンー時代をうつす眼」@アーティゾン美術館 ― 2023/12/14
コロナ禍になる直前に開館(2020年1月18日)し、ずっと行きたいと思っていたアーティゾン美術館に行ってきました。
この前行ったSOMPO美術館は人気のゴッホだったので、人が多くてゆっくり見られませんでした。
しかし、マリー・ローランサンは今はそれほど人気ではないので、人が少なくてよさそうということでネットで予約をしました。
時間間近になっても誰も並んでいませんし、バッグの中まで見られることもありませんでした。危険物検知ゲートシステムを導入しているのだとか。すごいですね。
贅沢を言わせていただくと、海外の美術館のように(大英博物館とかルーブル美術館を除く)もう少し人がいない方がいいのですが。
美術館の入り口です。
素敵なデザインの美術館です。トイレが広くてゆったりしていて、嬉しかったです、笑。
6階まで上がり、降りていきます。
さて、マリー・ローランサンについて簡単に復習しておきましょう。
1883年にパリで私生児として生まれ、1956年に亡くなった、20世紀前半に活躍したバイセクシャルの女性画家。
パリのアカデミー・アンベールで学び、ブラックと出会い、キュビスムの画家として活動を始める。後に、ピカソやアポリネールと知り合いになる。
アポリネールとは短期間付き合い、彼は「ミラボー橋」でローランサンへの思いを歌っている。
1914年にドイツ人男爵と結婚するが、1920年に離婚してパリに戻る。
パリの上流婦人の間で彼女に肖像画を注文することが流行る。
舞台装置や舞台衣装のデザインでも成功する。
73歳で亡くなるまで、制作を続けた。
序章:マリー・ローランサンと出会う
彼女の自画像が4点。
≪自画像≫ (1904年)
この自画像が彼女の本当の顔なんでしょうね。ルッキズムと批判されるかもしれませんが、彼女の描く絵の女性とは全く違いますね。
≪自画像≫ (1908年)
キュビスムの影響が強いですね。
≪帽子をかぶった自画像≫ (1927年頃)
これがもっともローランサンらしい絵といえるでしょうね。
第1章:マリー・ローランサンとキュビスム
これは誰でしょう?
答え:≪パブロ・ピカソ≫(1908年)
彼ってこんな顔をしていましたっけ?年老いた頃の写真しか見たことがないので、ピンときませんが、Wikipediaにある1908年の写真を見ると、似ています。
キュビスムはローランサンに合っていなかったのでしょうね。
≪ブルドッグを抱いた女≫ (1914年)
ローランサンの絵には犬がよく出てきます。猫は今回だけなのかどうかわかりませんが、一枚も描かれていません。犬好きなのかしら?
第2章:マリー・ローランサンと文学
ローランサンは詩も書き、詩人たちとも交流を持っていたそうです。
本の挿絵も手がけており、『スペイン便り』や『小動物物語集』、『椿姫』などの挿絵が展示されています。
第3章::マリー・ローランサンと人物画
≪女優たち≫ (1927年頃)
これぞローランサンという絵になっていますね。
人物画が得意だそうですが、こうなると誰が誰だかわからないのでは?
ローランサンの目指した絵というものは、モデルに似ているかどうかは関係ないのですねぇ。
1920年代にココ・シャネルがローランサンに肖像画を依頼しますが、似ていないと、肖像画の受け取りを拒否し、描き直しを要求します。
しかし、ローランサンは描き直しを拒絶します。
同族嫌悪ですかね、笑。
ちなみにこの肖像画です。(この展覧会にはありませんから、お間違えなく)
第4章:マリー・ローランサンと舞台芸術
バレエリュスのために衣装や背景画を制作していました。
第5章:マリー・ローランサンと静物画
初めて見るローランサンの静物画です。生涯を通じて描いていたそうです。
≪レモンのある静物≫ (1919年)
これなんか、一見すると誰が描いたかわかりませんね。
≪花を生けた花瓶≫ (1950年頃)
ローランサンらしい花です。
終章:マリー・ローランサンと芸術
≪三人の若い娘≫ (1953年頃)
晩年の作品。
左上にあるのがミラボー橋。
ローランサンは遺骨の心臓の上にアポリネールの手紙を置いてほしいと遺書に書き残したそうです。
展覧会の他に特集コーナー展示で野見山暁治の絵と石橋財団コレクション選が見られますので、展覧会だけではなく、是非ご覧ください。
1階にカフェがあったので、入りたかったのですが、電車が混む時間になりそうだったので、今回はパスしました。
次回は早めの時間帯を予約して、カフェでゆっくりお茶をしたいです。
<今日のわんこ>
おやじですが、ピンクが似合います。
最初にグイグイいくので、最後の方はペースが落ちます。
「あのね、昨日、パパが珍しく花を買ってきたよ。ぼく、びっくりして吠えちゃった」
花が欲しいと言ったら、こんなのを買ってきました。どうしちゃったんでしょうね。
「ゴッホと静物画ー伝統から革新へ」@SOMPO美術館 ― 2023/10/25
ランキングがこの頃おかしいです。
昨日が三位で、今日は十二位。誰がどこから見に来ているのかしら?
そのうち落ち着くでしょう。
パスポートを申請しに行くついでに、美術館にも行って来ました。
安田火災海上本社ビルの42階に東郷青児美術館があったのですが、別東を建てて移転し、SOMPO美術館として2020年にオープンしたそうです。
建物の入り口でチケットを持っているかどうかチェックされ、中ではバッグの中身までも見られました。こんなこと初めてです。
入場予約ができ、入場制限があるので、それほど人がいないと思っていたのですが…。
入り口の撮影スポット。
エレベーターで5階に行き、会場に入ると、開場間際にもかかわらず、思ったよりも混雑しています。
この展覧会は写真を撮っていい絵が沢山あります。
音声ガイドが導入された時も思ったのですが、写真を撮ってからその場で絵を見るので、人がなかなか絵の前から動かなくなっているようです。
寒くなったからか、右膝の痛みが出てきていたので、私はさっと流して見ました。
ゴッホの絵の中では、私は植物を描いたものが好きです。
彼の静物画はあまり見たことがないので、どういうものか興味がありました。
この展覧会は「17世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパの静物画の流れのなかにゴッホを位置づけ、ゴッホが先人達から何を学び、それをいかに自らの作品に反映させ、さらに次世代の画家たちにどのような影響を与えたかを探る」ものだそうです。
名だたる画家たち(クラウス、ドラクロワ、マネ、モネ、ピサロ、ルノワール、ゴーギャン、セザンヌ、ヴラマンク、シャガールなど)とともにゴッホの静物画が紹介されています。
1:伝統ー17世紀から19世紀
一番最初に飾られている「麦わら帽のある静物」(1881年)。
ゴッホの初期の静物画です。
ピエール・クラース 「ヴァニタス」(1630年頃)
静物画というとこんな(↑)のが浮かびますが、ゴッホが描くと…。
「骸骨」(1887年)
骸骨を描いてもゴッホらしさがありますね。
「野菜と果物のある静物」(1884年)
他に「コウモリ」とか「燻製ニシン」、「鳥の巣」とかの静物画が展示されています。
もともとデッサン力のある人なので、こういう絵を見てもそれほど驚きはないです。
ルノワールの「アネモネ」(1883年~1890年)
いかにもルノワールという「ばら」の絵もあります。
「野牡丹とばらのある静物」(1886年~87年)
「青い花瓶にいけた花」(1887年)
人の後ろから撮っているので、トリミングしないとこんな感じですwww。
これらの花の絵は後の「ひまわり」に続く習作なのでしょうね。
2:花の静物画ー「ひまわり」をめぐって
クロード・モネ 「グラジオラス」(1881年)
「ひまわり」(1881年)と「アイリス」(1890年)が並んでいます。
何故なのかわかりませんが、「アイリス」の前に誰もいません。
やっぱり「ひまわり」の方が人気があるのですね。
こうして並べて見てみると、「ひまわり」も悪くはないのですが、私は「アイリス」の方が生き生きとしていて好きです。
「結実期のひまわり」(1887年)
正面から写真を撮っていないので、ちょっと斜めっていますが、こんなひまわりも描いていたんですね。
他にも様々な画家が描いたひまわりの絵があります。
その中に好きな絵があったのですが、撮れませんでした。
3:革新ー19世紀から20世紀
「靴」 (1886年)
意外と好きなのが、靴の絵です。この絵だけでも色々なことが想像できます。
ポール・ゴーギャン「りんごのある静物」(1895年)
ゴッホといえば、この人がいなけりゃいけません(ということもないのですが)。
ポール・ゴーギャン「ばらと彫像のある静物」(1889年)
ゴーギャンらしい花の絵ですね。私はあまり好きではないですが(ゴメン)。
ゴッホの静物画、結構よかったです。
人がもっと少なければ、じっくり見られたのですが、日本の美術展では無理ですねぇ。
出展作品が全69点で、ゴッホの油彩画が25点です。
早めの時間よりも遅めの方が人が少なくていいのかもしれません。
11月17日と12月8日の金曜日は20時までやっているらしいので、狙い目でしょう。
そういえばカフェがやっていませんでした。土日祝日のみだそうです。
新宿駅に近いので、いいのですが、ちょっと残念でした。
「シン・ジャパニーズ・ペインティング 革新の日本画ー横山大観から現代の作家まで」@ポーラ美術館 ― 2023/08/23
箱根での二日目は暑いので観光地には最初から行く気がなく、ポーラ美術館がすぐ近くなので、展覧会を見てからランチを食べるために、短時間わんこたちを置いて行くことにしました。
美術館の駐車場が新しくなっていて、思っていた以上に車が止っています。
この通路を歩いて行くと、入り口があります。
入場料は1800円(ホテルに置いてあった美術館のパンフレットを見せると100円割引き)です。
「明治政府のお雇い外国人として来日していたアーネスト・フェノロサは、当時、日本国内で目にした絵画を総じて”Japanese Painting"と呼び、この英語を日本人通訳が「日本画」と翻訳したことから、明治以後に「日本画」という概念が社会的に定着していった」と言われているそうです。
「シン」とは何か。たぶん「革新」の「新」なんでしょうね。
展覧会の構成は以下です。
プロローグ:日本画の誕生
第一章:明治・大正期の日本画
第二章:日本画の革新
第三章:戦後日本画のマティエール
第四章:日本の絵画の未来ー日本画を超えて
日本画が西洋絵画と出会い、どのように進化していったのかがわかる展覧会です。
洋画と日本画との違いは、使われている絵の具などの材料や道具の違いだと思っていましたが、だんだんと境目が曖昧になってきているようです。
見ながら現代作家さんたちの作品が漫画チックになっているな、と思いました。
印象に残った作品を紹介しましょう。
入り口にあった杉山寧の≪慈悲光≫には心が洗われる思いでした。
60円切手になっている岡田三郎助の≪あやめの衣≫の原画がとても色っぽかったです。昔の女性の肌はこのようにツルツルしていたのでしょうかね。
収蔵してあるという黒田清輝の≪野辺≫も見たかったです。
野口哲哉の≪Clumsy heart≫は壁にハートを描いている鎧兜をつけた武士のフィギュア(?)。一見作品に見えませんでした。
山本基の絵の気泡のようなものはどうやって描いたのか知りたいです。ひとつひとつ描いたのなら、相当な時間がかかったでしょうね。
山本太郎の≪紅白紅白白梅図屏風≫の右上を見ると、アラ、まあ。
これは尾形光琳の≪紅梅梅図屏風≫をモチーフにしていますが、同じ頃に杉本博司も≪月下紅白梅図≫を描いていたそうで、同じモチーフの二人の作品が並べて展示されるのは今回が初めてだそうです。
金魚絵師と言われている深掘隆介の≪方舟2≫の金魚たちは本当に精巧に作られています。≪緋ノ魚≫に描かれている金魚が勢いがあっていいです。私、この屏風欲しいです。
天野喜孝の≪増長天≫、≪広目天≫、≪多聞天≫、≪持国天≫なんかは『北斗の拳』かと言いたくなったぐらいです、笑。
後は「よくよく見ると日本」、「画家さんがいっぱい、誰かわかるかな?」、「山かと思ったら…」とか色々と面白いものがありました。
現代の日本画ってどうなっているのかなっと思っていたので、現代作家さんたちの作品が色々と見られてよかったです。
(どんな絵が展示されているのか知りたい方はこちらをご覧下さい)
展覧会の作品以外に、ピカソやルノワール、モネなどの有名な作品も展示されていました。
外国人観光客が増えていると聞いていたのですが、美術館には1組ぐらいしかいませんでした。あまり観光客には知られていないのか、交通の便がよくないからかもしれませんね。
売店に集めているりんごの置物があったので、買い求めてから食事をすることにしました。
レストランに行ってみると、予約機械があり、待っている人は誰もいないようです。2名と入力してしばらく待っていましたが、なかなか呼び出しが来ません。
中に入ってみると、席が半分以上も空いているのに、お席を用意しますからお待ちくださいと言われてしまいました。
ちょっと嫌~な予感がしてきました。
窓際の席に通されたのですが、隣の関西親子四人組のおしゃべりが五月蠅く、緑はホテルで見られるから後ろの席でよかったのにと思いました。
夫はカレー、私はランチセットの鶏の香草パン粉焼きを頼みました。
給仕の男性が残念な上に、料理も焦げる寸前という感じ…。
食い意地がはっている夫は接客と食事がイマイチだと途端に不機嫌になってしまいます。これならホテルに戻って食べればよかったねと言い合い、次回は展覧会だけにすることにしました。
帰りに駐車場の出入口の精算機に車のナンバーを打ち込むと、車の画像が現れ、車を特定してから駐車料金500円を払いました。(前はタダだったんじゃないかしら?)
口直しに早く帰ってわんこたちと遊ぶことにしました。
クレートから出るとにすぐに、にわとりの奥さんを咥えるヨーキーです。
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