小国綾子 『魂の声 リストカットの少女たち 私も「リスカ」だった』 ― 2006/11/23

この本は毎日新聞、夕刊の連載記事「あした会えたら リストカットの子どもたち」から生まれたものだそうです。
記者の小国綾子は、1966年生まれ。
高校時代の生物の授業で血液型検査の仕組みについて学んだ時に、指先から血を一滴、ガラス版に落としたことがきっかけになり自傷行為を始めたといいます。
こんなに簡単に血が出せるんだと思い、それから指を刺して血を出すことを、週数回から毎晩とやるようになったそうです。
大学を出て、記者になっても数度、自傷行為をしていたそうです。
彼女自身、自傷行為をしたのは、親が原因ではないと、最初は言い切っていました。
欧米では、自傷者の6割前後が幼少期に親や周りにいる人から身体的・性的・精神的な虐待を受けているそうです。
彼女が止めるきっかけは、ただやっているうちに「昔のように癒されない」ということに気づいたからだと言います。
自傷行為は、「心の叫びを言葉にできないから」、「誰かわかって、支えて」というシグナルだといいます。
「心にできない、どうしようもない怒りや悲しみ、孤独や不安で心が張り裂けそうになった時に」自傷は起こるのです。
「心の傷を肉体の傷で、心の痛みを肉体の痛みで一時的に癒す」のです。
小国は何人かのリストカットをやっている少女たちに会い、インタビューをしています。
そうするうちに、自分に対する内観が進み、最後に自分の自傷行為について、こう書いています。
高校時代、「私は寂しかったのだ。親に心配をかけたくないからといつしか心のうちを隠し、「いい子」を完璧に演じているつもりで、そのことにプライドを持っていた。」「結局寂しくて、もっと甘えたくて、気づいてほしくて仕方なかったのだ。」
東海大学の長谷川博一教授の言葉が、何故今、自傷行為をする子どもたちが増えているかということの理由の一つを言い当てています。
「殴る蹴るの暴力や暴言だけが虐待ではない。今の時代には『きれいな虐待』もある」
敏感な子は、親の気持ちに簡単に支配されてしまい、親の顔色を見て親の期待通りに、行動するように育ってしまうそうです。
そのため「いい子」の仮面をつけ、生きていくことに疲れ、ある日突然、自傷をしてしまったり、引きこもったりするのでしょう。
「いい子」だからいいのではないのです。
「いい子」はひょっとして親の都合のいいように動かされている、親にとって都合の「いい子」なのかもしれません。
長谷川教授は言います。「子どもの育つ力を信じ、ほったらかすほうがいい」と。
もちろん、幼い頃に愛情をたっぷり与えた上で、ほったらかすのですよ。
同じ自傷行為をしたもの同士として、小国はいいます。「それでも生きていけるなら、今は切ってもいいんだよ。」
マスコミなどの報道やいろいろな本を読んだり、少年・少女たちと話したり、町などで見かけたりして思うのは、今は子どもたちの生きにくい世の中なのだということです。
「寂しい」のはみんな同じ。
「寂しい」けれど、みんな親から与えられた愛情を頼りに生きていっているんだと思います。
でもその愛情を感じられなかったら、生きるのが苦痛になるのでしょう。
それが高じると、「死にたい」と思ったりする…。
ひょっとして「いじめ」もそういう寂しい子どもたちの訴えなのかもしれませんね。
記者の小国綾子は、1966年生まれ。
高校時代の生物の授業で血液型検査の仕組みについて学んだ時に、指先から血を一滴、ガラス版に落としたことがきっかけになり自傷行為を始めたといいます。
こんなに簡単に血が出せるんだと思い、それから指を刺して血を出すことを、週数回から毎晩とやるようになったそうです。
大学を出て、記者になっても数度、自傷行為をしていたそうです。
彼女自身、自傷行為をしたのは、親が原因ではないと、最初は言い切っていました。
欧米では、自傷者の6割前後が幼少期に親や周りにいる人から身体的・性的・精神的な虐待を受けているそうです。
彼女が止めるきっかけは、ただやっているうちに「昔のように癒されない」ということに気づいたからだと言います。
自傷行為は、「心の叫びを言葉にできないから」、「誰かわかって、支えて」というシグナルだといいます。
「心にできない、どうしようもない怒りや悲しみ、孤独や不安で心が張り裂けそうになった時に」自傷は起こるのです。
「心の傷を肉体の傷で、心の痛みを肉体の痛みで一時的に癒す」のです。
小国は何人かのリストカットをやっている少女たちに会い、インタビューをしています。
そうするうちに、自分に対する内観が進み、最後に自分の自傷行為について、こう書いています。
高校時代、「私は寂しかったのだ。親に心配をかけたくないからといつしか心のうちを隠し、「いい子」を完璧に演じているつもりで、そのことにプライドを持っていた。」「結局寂しくて、もっと甘えたくて、気づいてほしくて仕方なかったのだ。」
東海大学の長谷川博一教授の言葉が、何故今、自傷行為をする子どもたちが増えているかということの理由の一つを言い当てています。
「殴る蹴るの暴力や暴言だけが虐待ではない。今の時代には『きれいな虐待』もある」
敏感な子は、親の気持ちに簡単に支配されてしまい、親の顔色を見て親の期待通りに、行動するように育ってしまうそうです。
そのため「いい子」の仮面をつけ、生きていくことに疲れ、ある日突然、自傷をしてしまったり、引きこもったりするのでしょう。
「いい子」だからいいのではないのです。
「いい子」はひょっとして親の都合のいいように動かされている、親にとって都合の「いい子」なのかもしれません。
長谷川教授は言います。「子どもの育つ力を信じ、ほったらかすほうがいい」と。
もちろん、幼い頃に愛情をたっぷり与えた上で、ほったらかすのですよ。
同じ自傷行為をしたもの同士として、小国はいいます。「それでも生きていけるなら、今は切ってもいいんだよ。」
マスコミなどの報道やいろいろな本を読んだり、少年・少女たちと話したり、町などで見かけたりして思うのは、今は子どもたちの生きにくい世の中なのだということです。
「寂しい」のはみんな同じ。
「寂しい」けれど、みんな親から与えられた愛情を頼りに生きていっているんだと思います。
でもその愛情を感じられなかったら、生きるのが苦痛になるのでしょう。
それが高じると、「死にたい」と思ったりする…。
ひょっとして「いじめ」もそういう寂しい子どもたちの訴えなのかもしれませんね。
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