「聖なる怪物たち」―シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン2009/12/19

西洋のバレエと東洋のカタックとの出会い。
 
カタックとは「北インドの宮廷古典舞踏」で「神話や抒情詩を身振り手振りで語っていたのが起源」とのこと。
パンフレットにも書いてあったのですが、バレエは「上を目指して伸びていく天上志向」で、カタックは「大地に根をおろそうとする」舞踏です。
日本の能などの動きを考えてみても、基本動作は腰を落とした大地をしっかりと踏みしめるものです。
東洋は上ではなく、下へ向かう志向が強いのですね。
農耕民族と狩猟民族の違いでしょうか?
 
 
アクラムはバレエダンサーを見慣れた目には身体がガッチリしすぎています。
ダンサーというより、K-1選手かプロレスラーと言っていいような身体つきです。頭を剃り、ギエムより大分背が低いです。

踊りを見ると、ギエムの手が足が上へと伸びていくのですが、アクラムはどっしりと腰の安定した、それでいて機敏な動きです。
自分のパートが終わると、片隅に座り、汗をふき、水を飲むダンサー。
演奏家も舞台上にいるという、どこか街の片隅、寺院の庭で踊られるような雰囲気です。

ところどころに台詞が入り、自分について語るギエムとアクラム。
東洋と西洋との違いはあっても、踊るということは「聖なる」もの。
東洋的なるものが勝った公演です。

特に二人で踊る場面がすばらしいです。
溶け合うことのない西洋と東洋が、それぞれを主張しながら、混沌と交じり合っていく・・・。
 
音楽を聴きながら、私はこういう音が好きなんだなと思いました。
身体の底が反応する音楽です。
ギエムとアクラムの踊りがなくても聞きに行ったでしょう。

次のアクラムの言葉がこの公演のすべてを表していると思います。

「私はコンテンポラリー・ダンスの世界にいると、ここでは崇高な世界に到達できないと感じる。精神性を見出せないのだ。しかし、古典舞踏に没頭していると、外界に踏み出すことが許されない閉塞感におそわれる。私にとってもっとも素晴らしいのは、双方の世界に手を差し伸ばせる場所なのである」  アクラム・カーン