梨木香歩 『春になったら苺を摘みに』 ― 2010/08/27
梨木さんの本は今までに三冊ぐらい読んでいます。
『西の魔女が死んだ』で私が特に強い印象を受けたのが、学校に行けなくなった孫に祖母が言う言葉でした。
「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」
この本を読んだ時に、私は迷っていました。
そんな時に目に入ったのがこの言葉。
「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」
この本を読んだ時に、私は迷っていました。
そんな時に目に入ったのがこの言葉。
「サボテンは水の中に生えない」「シロクマはハワイでは暮らさない」
私が他で生きることを選んだからといって誰にも迷惑をかけないし、誰も気にもかけない。
他人にどう思われるかを考える自分こそが自分を傷つけているのだ。
私には私に適した場所があるはずだ。
この祖母の言葉が私に決心させてくれました。
この祖母の言葉が私に決心させてくれました。

『春になったら苺を摘みに』は、小さなことでは些細な日常生活の中にある自分と違う、そして、大きなことでは国と国の文化の違いから起こる異質さへの違和感、拒否感、差別感・・・など、さまざまな反応をどう受け入れていくかということを考えさせてくれます。
何故『西の魔女が死んだ』の祖母は孫にあの言葉を言えたのか。
このエッセイに出てくる、作者が20年前学生時代を過ごした下宿の主人、S・ワーデンのウェスト夫人の姿が、その答えです。
「理解はできないが受け容れる、ということを観念上のものにしない」
ウェスト夫人は日本人である梨木さんを受け容れただけではなく、自分の家に様々な国、人種の人たちを受け容れてきました。
このエッセイに出てくる、作者が20年前学生時代を過ごした下宿の主人、S・ワーデンのウェスト夫人の姿が、その答えです。
「理解はできないが受け容れる、ということを観念上のものにしない」
ウェスト夫人は日本人である梨木さんを受け容れただけではなく、自分の家に様々な国、人種の人たちを受け容れてきました。
いえいえ、そんな特別な人たちだけではなく、S・ワーデンに住む人たちも。
その人たちが、どのような言動をしようが、是非を問うのではなく、ただ受け容れるという姿には脱帽です。
彼女自身は英国人ではなく、アメリカのニューヨーク州、バッファローで生まれました。
父親は戦争中銃を持つことを拒否し、軍事法廷で裁かれ、懲役の代わりに難民のための小屋を造る仕事をやりました。
大不況後は会社を首になったので、黒人のためのレストランを作ります。
この頃、黒人の入れるちゃんとしたレストランがなかったからです。
戦後、ウェスト夫人は平和のために何かをしたく思い、クウェーカーに入り、戦後の復興を助けるためにドイツに行きます。
戦後、ウェスト夫人は平和のために何かをしたく思い、クウェーカーに入り、戦後の復興を助けるためにドイツに行きます。
そこで将来の夫になるウェスト氏と出会い、S・ワーデンで暮らすことになるのです。
彼女のような生き方を誰でもできるわけではありませんが、彼女のような人が増えたら、世界は変るでしょう。
「理解はできないけれど受け容れる」
観念だけではなく、実行をともっなった行いを。
観念だけではなく、実行をともっなった行いを。
最近のコメント